[過去ログ] 【フリーメーソン】ユダヤの陰謀【イルミナティ】10 (1001レス)
上下前次1-新
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
21: 2007/08/18(土) 02:49:47 ID:n/CTll3Y(1/8)調 AAS
外部リンク[cgi]:snsi-j.jp
[604]太田龍氏が私のことに言及しているので、私の考えを書きます。
投稿者:副島隆彦投稿日:2007/08/08(Wed) 09:12:00
私は、一度だけ、8年ぐらい前(2000年?)に、さる出版社の編集者を介して、東京の神田でお会いした
ことがある。私、副島隆彦が太田龍氏に対して、強い関心を抱いたのは、日本を代表する「ユダヤ陰謀論の
唱道者」としての太田氏ではない。
次に、私が、太田龍氏、お会いしたかったのは、日本における、ユダヤ陰謀論の草分けとして、評判の良い
本の著者として、ではなくて、日本の新左翼(しんさよく、ニュー・レフト)運動の創成期(1956年ごろから)
の重要な自分としてである。
戦前、戦後の日本の左翼(=社会主義者たち。日本共産党が、カトリックの総本山のヴァチカンのように、
強大で神聖であり、戦前も戦後も、日本の理想主義の知識人層のほとんど90%以上が、日本共産党の
権威に服していた。の理科系の大学教授たちであってもそうだった。当時の日本共産党は知の権威であった。
それに対して、日本社会党は、日本国の国民民衆、労働組合員たちにとてのソフトで温和な指導者たち
であった)の中から、生まれた、1956、7年の「ハンガリー動乱」を契機にした、反ソビエトの民衆
暴動、民衆蜂起、であった東欧各国の、モスクワ・クレムリン独裁体制(=ソビエト帝国)への反抗、
抵抗があった。それの日本への波及と余波(アフターマス)としての、新左翼(ニューレフト)運動の創成期
(=日本トロツキスト同盟)の主要な活動家像のひとりが、太田龍氏である。
22: 2007/08/18(土) 02:51:34 ID:n/CTll3Y(2/8)調 AAS
このことは、ここの「今日のぼやき」の2年ぐらい前の文章に、「太田龍論」として、もっぱら、この日本
新左翼運動の創業期のひとりとしての、太田龍氏を、書いている。私が、そのなかで、一番書きたかったのは、
「やがて、革マル派、中核派、第四インターナショナル派、として分裂してゆき、凄惨(せいさん)な、殺し
合いに入っていった、日本の過激派運動の、創業期の一人として、可哀想に、死んでいった若者たちに対して
責任を感じないのか」という一点であった。そのうち、私のこの「太田龍論」を、再度、続編も書いて、
今日のぼやきに、載せようと思う。
東京の飯田橋から日大の方に降りて行ったところの、ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって、はやい
時期から、新左翼運動を応援した経営者がいて、そこに集まった、きわめて敏感な感受性をした、若者たち
がいて、彼らが、「君、この本知っている?」「ポーランドやハンガリーで今、起きていることを知ってる?」
と、語りあった者たちの中から、のちの新左翼党派の指導者たちが、余れたのだ。革マル派(革共同、
かくきょうどう)の創業者の黒田寛一(くろだかんいち)や、そこから分裂した、中核派の最高幹部で後に、
マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の
西キョウジュたちであり、そして、太田龍氏も、そこにいたのだ。
23: 2007/08/18(土) 02:52:38 ID:n/CTll3Y(3/8)調 AAS
私、副島隆彦が知りたくて本人に確認したかったのは、その一点だ。ユダヤ陰謀論のような与太話(よたばなし)
など、どうでもいい。多くの日本の若者たちが、1960年代末から70年の前半までに、「内ゲバ」と称された惨忍な
殺し合いで、どれだけの多くの人間が、死に、そして身体障害者になっていったことか。私は、あの時代の少年兵
であり、目撃者であるから、すべてのことを書き残してゆく。それが、自分の同時代人への務めだ。
太田龍は、その創業期からの、歪(ゆが)んだ精神をした人間のひとりである。すべてを切開(せっかい)しな
ければならない。1980年代から、自分だけ勝手に、ユダヤ陰謀論の、世界的な風潮を、目ざとく手に入れて、
いち早く、日本でのユダヤ陰謀論の主導者となって転身した、その変わり身の良さには、ひとりの日本知識人
としての、連続性の表明が無い。自分の思想転向経緯の説明が無い。
たかが、おどろおどろしい、ユダヤ陰謀論ごときに、何の敬意を持てると言うのか。私、副島隆彦がやって
いるのは、「アメリカで、1960年代に生まれた(JFFKが暗殺されたあとから)、ユダヤ陰謀論という、思想
流派の中から、真実の部分を、丁寧に拾い集めて、日本人に理解できる範囲で、再構成しなおしたい」という
ことだ。だから、私は、おかしな、宇宙人とか、爬虫類(レプタリアン)人間が、地球人類を支配している、
という、妄想を少しでも共有している、私が、「極北(きょくほく)の人たち」と呼ぶ人たちに対しては、
一切の、敬意を持たない。馬鹿だと思っている。 勝手にやって、自滅してゆけばいいと、思っている。
軽度の精神障害者か、相当に性格の偏向した人間たちの世界だと思っている。
24: 2007/08/18(土) 02:53:39 ID:n/CTll3Y(4/8)調 AAS
私、副島隆彦は、秘密結社の秘密とかも、すべて公然と、暴き立てたい、と考えている。一切の、妄想や幻想の
はいる余地を残さない。この地上に、陰謀(コンスピラシー)はあるし、恐ろしい秘密結社は、たくさんある
だろう。それらの秘密を、知りうる限りの知識を情報を欧米社会から流れてくるものを、丁寧に、集めて、
真実だと思われるものを、慎重に吟味(ぎんみ)して、そして公然と書いて、日本国民に知らせなければ
ならない。その際に、自分自身が、「ミイラ取りがミイラ mummyになる」ような、愚かなことになってはならない。
すべてを、明確して、明瞭にして、公然と提起して、「闇に隠れているもの」のすべてを、近代学問(サイエンス)
の手法で、表に出すべきだ。 悪魔主義( diaborism ダイアボリズムと総称する。サタニズム ではない )
の一語で、何かが解明されたといことはない。そんな、おどろおどろしいものなど、存在しない。存在するのは、
秘密結社の中の、犯罪を共同するための、犯罪行為の秘密の儀式だ。それに参加した者たちは、もう逃げられなく
なる。その代わり、組織に忠実であれば、大企業の副社長とか、属国である日本の大臣とかには、してもらえる
だろう。彼らは、「けものみち」(松本清張の小説の名)の世界に入り込んだ者たちが。もう引き返せないところ
に行った人たちだ。裏切れば、きっと、殺されるのだろう。
しかし、それを指して、サタニズムなどと言えば済むのではない。これらの問題は、ヨーロッパ近代学問
(サイエンス)の方法学(メソドロジー)に乗っ取って、その論理(ロジック)の使い方と理解のし方の枠に
従って、出来る限り、厳格・厳密に、「事実の集合」として、細かく解明されなければならない。
29: 2007/08/18(土) 14:57:35 ID:n/CTll3Y(5/8)調 AAS
>>26
太田竜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
外部リンク:ja.wikipedia.org
1942年、豊原第一尋常小学校入学。このころ、次兄東洋がマルクス主義者として逮捕され、
北海道帝国大学予科を退学になる。
1944年3月、父母の郷里である千葉県に引き揚げる。旧制千葉中学校(千葉県立千葉高等学校)
2年生の頃までには、次兄の蔵書に読み耽った影響で熱心な共産主義者となっていた。
戦争末期には級友たちに日本の敗戦を予告したために売国奴と見なされ、運動部の部室で
リンチを受けたこともある<undefinedref>太田竜『私的戦後左翼史』(話の特集、1985年)pp.12</ref>。
1945年10月に日本青年共産同盟(のちの日本民主青年同盟)に加盟、1947年、日本共産党党員に
なったのを皮切りに、1953年に共産党を離党、黒田寛一らとともに1957年に革命的共産主義者同盟
(革共同)を結成する。1958年に第四インターナショナル第五回大会に出席した太田は、帰国する
なり革共同の全面的な社会党への「加入戦術」の採用を提起する。提起を拒否された太田は自身の
影響下にあった東学大と日比谷高校のグループを引き連れて分裂した(いわゆる「革共同第一次分裂」)。
革共同から分裂した太田は、1958年8月に「トロツキスト同志会」(トロ同)を結成。トロ同は
全組織を挙げて、日本社会党の地区組織に「加入戦術」を行う。トロ同は、1958年12月に
「国際主義共産党」(ICP)に発展解消した。社会党への「加入戦術」による穏健な活動を
続けていたICPだが、1960年6月の安保闘争の大高揚に直面した太田は突如、独断で
「大衆は武装蜂起せよ」と呼びかけるビラをたった一人で御茶ノ水駅頭にて配布する。
この独断専行によって、太田はICPから除名される。
30(1): 2007/08/18(土) 14:58:52 ID:n/CTll3Y(6/8)調 AAS
太田は、なおも「加入戦術」を続行したICPグループに1963年に再び「指導者」として迎え入れられ、
1964年に「関西派」と称された西京司、酒井与七らの革命的共産主義者同盟と統一する。1965年に
太田が組織決定を経ずして指導した「立川米軍基地内にデモ隊を突入させ、米兵にデモ隊を射殺
させることで大衆の憤激を喚起し反米軍基地闘争を全国化させる」ことを目的とした「5.18闘争」が
不発に終わり(「十人が射殺される」ことを想定して太田の影響下にあった三多摩社会主義青年同盟
のデモ隊が立川基地内に突入したが、結局日本の機動隊に排除されたのみだった)、責任を追及
された太田は少数の支持グループを率いて脱党。新たに「第四インターナショナル(ボルシェビキ・
レーニン主義派)」(BL派)とその大衆組織である「武装蜂起準備委員会-プロレタリア軍団」を
結成するが、この時期から次第にマルクス主義そのものとの決別を開始し1971年に脱党。
同党から死刑宣告される。同年頃より竹中労・平岡正明らと3バカゲバリスタと呼ばれる仲になり
「世界革命浪人」と自称する。
1971年、記録映画『アイヌの結婚式』に感動。このことが契機で、1972年にはアイヌ革命論者となり、
北海道庁爆破、白老町長および北海道知事に「死刑執行」を宣告(ただし実行犯とは別)、土着革命論、
「人類独裁の打倒によるゴキブリの解放・ネズミの解放・ミミズの解放を!」(『日本エコロジスト宣言』)
を訴える「エコロジー主義」など主義・主張を転々とし、現在は「ユダヤ・ネットワークが世界を裏で
支配している」などと主張する反ユダヤ主義およびユダヤ陰謀論の日本における代表的論客の一人。
また、自然食運動(家畜制度全廃)を主張している。太田当人は「私のことを主張が転々としている、
と言う者がいるが、私は一貫して『反米』なのだ」と語る。
31: 2007/08/18(土) 15:02:47 ID:n/CTll3Y(7/8)調 AAS
>>26
>>属国日本論なんてのを貼りまくったやつのせいで、陰謀論=朝鮮人というソースにされてしまった。
あんなくだらない文章で、陰謀論=朝鮮人などと信じるのは馬鹿だけだ。
あんな文章どうでもいい。
>>宗教的な裏付けがないことを科学的という馬鹿が偉そうにすんな。
馬鹿?科学について何回も貼ってたやったのにまだ上っ面も理解できんのか?
もう引っ込んでろ。
34: 2007/08/18(土) 17:04:27 ID:n/CTll3Y(8/8)調 AAS
>>32~33
失せろ。
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ
ぬこの手 ぬこTOP 0.028s