[過去ログ] 【人生の勝者】東京六大学【トップエリート】5 [転載禁止]©2ch.net (607レス)
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473: 2016/11/23(水) 21:55:05.00 ID:k2zoE0ng(1)調 AAS
まことに小さな学校が、開化期を迎えようとしていた。
小さなといえば、明治初年の明治法律学校ほど小さな学校はなかったであろう。
校舎といえば小川町の長屋のようなものしかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった
鳥取藩、天童藩、鯖江藩等の田舎の旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「法律」というものをもった。
たれもが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、
博士にも、総理大臣にも、官僚にも、社長にも、弁護士にも、成り得た。
この大学の明るさは、こういう楽天主義(オプティミズム)から来ている。
今から思えば、実に滑稽なことに、法律を学ぼうとする若者が詰めかけ、新校舎を持とうとした。
財政の成り立つはずがない。
が、ともかくも近代法律学校を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな学校が日本における最も古い大学の一つ東京大学と対決し、どのように振舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本の若者ということになるかもしれない。が、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。
山陰は鳥取に一人の男がいた。この古い城下町に生まれた岸本辰雄は、民法典論争が起こるに当って、
勝利は不可能に近いと言われた師・ボアソナード博士を助け、堂々論陣を張った。
その友の宮城浩蔵は、史上最凶の悪法といわれる特別監督条規等により東京帝国大学の統括・管理下に置かれたり、
私学併合を企図されるなどしたいわゆる「私学撲滅」策を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、大学経営に自治・権利自由といったに新風を入れて、 その中興の祖となった矢代操である。
彼らは明治という大学人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く男坂の上の青い天に、もし一朶の白雲が靡ているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。
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