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満州国 (215レス)
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125
: 2021/01/11(月) 22:55:26.91
ID:OEDinfrP0(5/10)
調
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>>124
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125: [sage] 2021/01/11(月) 22:55:26.91 ID:OEDinfrP0 >>124 労苦体験手記 – 平和祈念展示資料館(総務省委託) https://www.heiwakinen.go.jp/library/shiryokan-heiwa/ 旧独立行政法人平和祈念事業特別基金が、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦の手記を 「平和の礎」としてとりまとめました。各巻をクリックすると、それぞれの手記全文をご覧いただけます。 生き地獄体験記 大野しづ江 https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_099_1.pdf 県庁の総務課長付だった美人の職員が、ソ連兵に暴行、凌辱されて、 井戸に身を投げて自殺をした、痛ましくも悲しい事件もありました。 「井戸を汚して申し訳ございません」と、井戸のふたに書いて飛び込んだのです。 敗戦になってからは、安心して食事もろくろくできない有様でした。 ソ連兵と満人がぐるになって、まだ明るいうちに、夜に押し入る家に目印を 付けているのです。 ある日突然に、「女性は独身寮に行くように」という話がきましたので、 私と奥さんの二人は夜になるのを待って、真っ暗い中をはうようにしながら独身寮に 行きました。開拓課の柴田さんが、自分の部屋に私たちを入れてくれました。 ほっとして手、足を伸ばして休むことができました。 夜になっても電灯もつかないので、早く横になりました。しかし、何となく心配で 寝付かれず、うとうとしていると、多分夜中の十二時過ぎだったと思いますが、 暗やみの中で突然に、「きゃあー。きゃあー」という女の人の悲鳴が聞こえてきました。 しばらくすると今度は、「いや! 助けて!」と、連呼して助けをいう女の人の悲鳴が 聞こえてきました。 ソ連兵に連れていかれたのです。満人のスパイがいて、その夜に寮に女性が集まる という情報をソ連兵に流したようです。 夕方近くになると、駅でもない野っ原の真ん中で列車は止まってしまいました。 急な停車なので、みんなは不安な気持ちになって荷物の陰に隠れる人もいました。 外が暗くなり何も見えなくなるころに、ソ連兵と満人による車内での略奪、暴行が 始まりました。 車内に入ってきて、一人ずつ身体検査を始めました。ソ連兵の指図で、満人が めぼしい物を見付けては取り上げました。そのうちに取る物が無くなると、今度は 「女を出せ」と言い出して、連れて行かれた人も幾人もいました。最初は大声で 助けを呼んでいましたが、だれも助ける人はなく、そのうちに声も出ずに失神状態 となってしまったようです。 白い墓標 渋谷恭子 https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_249_1.pdf 小学校六年生の女の子が、下半身を血に染めて、留守番をしていた家で一人死んでいたとか、 赤ちゃんを背負った母親が、赤ちゃんと共にソ連兵に連れ去られたとか、また、線路端で石炭を 拾っていた人たちの群れに、急停車した貨車から四、五人のソ連兵が飛び降りてきて、若い女性 数人を貨車に引きずり込んでそのまま行ってしまったとか、一切の報道機関がその機能を停止して いて、まともに読める新聞一つないときに、いろいろと悲惨な話ばかりが、口伝えに流れてきた。 敗戦という状況のもとで、悲惨な役目を担うのは、いつの時代でも女性である。母たちは、 女の人が集まるところでは強姦という言葉を、よく口にしていた。日常のおしゃべりの中でも よく出てきた。小学生だった私は、強姦とは、女だけに襲いかかるドラキュラだと想像していた。 大正生まれの我が青春 神吉一夫 https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_230_1.pdf 駅前の満鉄新京支社の裏手に「カラスの森」という木立がありカラスが真っ黒になるほど止まって 一日中鳴き騒ぐので有名だったが、その木立はあっても、あほどいたカラスは一羽もいなくなっていた。 羽のある鳥は自由に飛び去るが、羽を持たない身が悲しくて哀れを感じたものだった。異様な叫び声に 振り向き、がく然とした。凌辱された日本女性が、真っ裸でふらふらと歩いている。すでに気が振れて いるらしかったが、叫び声は中国人の子供たちで、石を投げては、「わあっ」とはやし立てている声だった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1524908096/125
労苦体験手記 平和祈念展示資料館総務省委託 旧独立行政法人平和祈念事業特別基金が兵士戦後強制抑留者海外からの引揚者の労苦の手記を 平和の礎としてとりまとめました各巻をクリックするとそれぞれの手記全文をご覧いただけます 生き地獄体験記 大野しづ江 県庁の総務課長付だった美人の職員がソ連兵に暴行凌辱されて 井戸に身を投げて自殺をした痛ましくも悲しい事件もありました 井戸を汚して申し訳ございませんと井戸のふたに書いて飛び込んだのです 敗戦になってからは安心して食事もろくろくできない有様でした ソ連兵と満人がぐるになってまだ明るいうちに夜に押し入る家に目印を 付けているのです ある日突然に女性は独身寮に行くようにという話がきましたので 私と奥さんの二人は夜になるのを待って真っ暗い中をはうようにしながら独身寮に 行きました開拓課の柴田さんが自分の部屋に私たちを入れてくれました ほっとして手足を伸ばして休むことができました 夜になっても電灯もつかないので早く横になりましたしかし何となく心配で 寝付かれずうとうとしていると多分夜中の十二時過ぎだったと思いますが 暗やみの中で突然にきゃあーきゃあーという女の人の悲鳴が聞こえてきました しばらくすると今度はいや! 助けて!と連呼して助けをいう女の人の悲鳴が 聞こえてきました ソ連兵に連れていかれたのです満人のスパイがいてその夜に寮に女性が集まる という情報をソ連兵に流したようです 夕方近くになると駅でもない野っ原の真ん中で列車は止まってしまいました 急な停車なのでみんなは不安な気持ちになって荷物の陰に隠れる人もいました 外が暗くなり何も見えなくなるころにソ連兵と満人による車内での略奪暴行が 始まりました 車内に入ってきて一人ずつ身体検査を始めましたソ連兵の指図で満人が めぼしい物を見付けては取り上げましたそのうちに取る物が無くなると今度は 女を出せと言い出して連れて行かれた人も幾人もいました最初は大声で 助けを呼んでいましたがだれも助ける人はなくそのうちに声も出ずに失神状態 となってしまったようです 白い墓標 渋谷恭子 小学校六年生の女の子が下半身を血に染めて留守番をしていた家で一人死んでいたとか 赤ちゃんを背負った母親が赤ちゃんと共にソ連兵に連れ去られたとかまた線路端で石炭を 拾っていた人たちの群れに急停車した貨車から四五人のソ連兵が飛び降りてきて若い女性 数人を貨車に引きずり込んでそのまま行ってしまったとか一切の報道機関がその機能を停止して いてまともに読める新聞一つないときにいろいろと悲惨な話ばかりが口伝えに流れてきた 敗戦という状況のもとで悲惨な役目を担うのはいつの時代でも女性である母たちは 女の人が集まるところでは強姦という言葉をよく口にしていた日常のおしゃべりの中でも よく出てきた小学生だった私は強姦とは女だけに襲いかかるドラキュラだと想像していた 大正生まれの我が青春 神吉一夫 駅前の満鉄新京支社の裏手にカラスの森という木立がありカラスが真っ黒になるほど止まって 一日中鳴き騒ぐので有名だったがその木立はあってもあほどいたカラスは一羽もいなくなっていた 羽のある鳥は自由に飛び去るが羽を持たない身が悲しくて哀れを感じたものだった異様な叫び声に 振り向きがく然とした凌辱された日本女性が真っ裸でふらふらと歩いているすでに気が振れて いるらしかったが叫び声は中国人の子供たちで石を投げてはわあっとはやし立てている声だった
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