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邪馬台国畿内説 Part698 (1002レス)
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: 2021/04/03(土) 16:35:14.17
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596: [] 2021/04/03(土) 16:35:14.17 卑弥呼の時代(2世紀半ば〜3世紀前半)には異常気象が多発し、大飢饉に見舞われ、多くの倭人が半島に避難したとのこと。 ■新羅本記の記録 173年:倭の女王卑弥呼が使者を送った 193年:倭人が飢饉。倭から多くの避難民が新羅へと流入 ■当時の気候 1〜2世紀は小氷期だった 3世紀〜4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。 『名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。』 ■わかったこと ・唐古鍵が消滅し纏向にも住居がほとんど見られないのは飢饉を逃れ各地へ避難したためである ・飢饉を逃れるため九州に移住した畿内民族は、筑紫の粘土で畿内式土器を製作していた (関西人はどこに行っても関西弁を使うという習性と同様) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1617105719/596
卑弥呼の時代世紀半ば世紀前半には異常気象が多発し大飢に見舞われ多くの倭人が半島に避難したとのこと 新羅本記の記録 年倭の女王卑弥呼が使者を送った 年倭人が飢倭から多くの避難民が新羅へと流入 当時の気候 世紀は小氷期だった 世紀世紀は海面温度が下がり寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる 名古屋大学の中塚武教授は卑弥呼登場前の時代は大雨やが繰り返された不安定な気候の時代であったという わかったこと 唐古鍵が消滅し纏向にも住居がほとんど見られないのは飢を逃れ各地へ避難したためである 飢を逃れるため九州に移住した畿内民族は筑紫の粘土で畿内式土器を製作していた 関西人はどこに行っても関西弁を使うという習性と同様
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