[過去ログ] 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
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99(2): 2020/10/15(木) 20:49:33 AAS
ということは、
山幸彦+豊国ワダツミ(広形銅矛) vs 海幸彦+ヤマツミ ということですね。
広形銅矛は、日本列島では主に土佐を攻撃している。
朝鮮半島にも出兵していますが、これは鉄を求めてでしょう。
魏志韓伝の『韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接』『國出鐵韓濊倭皆従取之』の前哨ですね。
広形銅矛が土佐を攻撃していて、瀬戸内海や琵琶湖沿岸を攻撃していないということは、
元は豊国が本貫のカモも、この時代に既に一枚岩でなく、
畿内、瀬戸内、土佐、などの各分派が独立しつつあったわけですね。
ということは、広形銅矛の攻略先から、
山幸彦+豊国ワダツミ(広形銅矛) vs 海幸彦+土佐アジスキタカヒコネ
だったことになり、
海幸彦のバックにいて妃を送りこんでいたのはアジスキタカヒコネだったことになります。
また満ち潮と引き潮、土佐を攻略、ということからは、
海幸彦+土佐アジスキタカヒコネが主導権を握っていたところに、
南海トラフのあれがあって、土佐が弱ったところを、
山幸彦+豊国ワダツミが攻撃して逆転した、ということだったのかも知れません。
地質学での年代測定などできたら比較可能でしょうか。
107: 2020/10/18(日) 15:34:07 AAS
>>99
伊都説だと三雲南小路王がニニギで、
70-80年間の男王が日向三代になりますから、
倭国乱は広形銅矛のしばらく後、ということになりますね。
海幸彦が実権を握り、山幸彦が豊国ワダツミの元に身を寄せた状態から、
山幸彦が捲土重来を期して豊国兵と共に挙兵した、ということになると、
その時点で倭国大乱になってしまいます。
ですから、山幸彦と海幸彦は直接対決はしていない、ということになります。
ということは、
山幸彦が豊国に身を寄せる
→海幸彦+アジスキタカヒコネ一族が倭国の実権を握る
→海幸彦が病や事故で失脚する
→山幸彦が伊都に返り咲く
→山幸彦+豊国ワダツミ、に不服なアジスキタカヒコネ一族が衝突
という順番になります。
710: 2021/08/08(日) 21:05:02 AAS
以上の二人のどちらかが、金印を秘匿して長崎に残って、
その嫡流が難升米ということになりますね。
本来なら、日本統一につれて滅ぼされる運命だったのですが、数奇な流れで踏みとどまります。
・諏訪タケミナカタが降伏した頃に、北部九州でカモが失脚した。>>99
・倭国乱が発生した
・倭国乱に乗じて、狗奴国勃興した。>>689
・狗奴国王が、曹操から例の鉄鏡を貰った
・後漢が滅亡した(220)ので、漢委奴國王金印が失効し、鉄鏡を持つ狗奴国王が難升米父&金印を軽視し始めた
・難升米は狗奴国王と袂を分かち、卑弥呼側に寝返った。>>702
・難升米が活躍して、親魏倭王金印や銀印を得た
・卑弥呼死去→狗奴国が攻めてきて難升米討ち死に
・次の男王は親卑弥呼の拘奴國を攻め滅ぼしたが国内動揺
・地方勢力のタケミナカタ勢はそのまますんなりと邪馬台国版図に収まった
ちなみに、例の鉄鏡も、曹操魏が265年に滅亡したら失効するので、
景行の九州制圧や、ヤマトタケルの東方捜索旅も、理論的には、265年までの出来事になります。
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