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903
: 2021/05/09(日) 05:43:12
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903: [] 2021/05/09(日) 05:43:12 ID:0 山陰における日朝関係史(I) 内藤正中(島根大学名誉教授) doi: https://doi.org/10.24568/2131 新羅からは、潮流に乗って船を漕ぎ出すと自然に出雲に着岸するわけで、韓国の学者も、古代に慶尚道 - 木出島 - 風島 - 欝陵島 - 隠岐 - 出雲というコースがあったことを指摘している。出雲神話は、対岸に位置する新羅との深いつながりがあったことを教えてくれるし、新羅の神話のなかでも、新羅人の倭への移住について語られている。 733年『出雲国風土記』には、記紀にはない国づくり神話が物語られている。八束水臣津野命が、出雲国は若国である、自分が大きな国にしてあげようといって、海の彼方の地から国引きをする。初めに国引きをしたのは、「栲衾志羅紀の三埼」であり、それでもって「去豆の折絶よりして、八穂米支豆支の御碕」をつくったという。新羅の余りを引いてきて出雲大杜が鎮座する杵築の地をつくったという説話は、新羅人による渡来を物語るものといってよい。 720年『日本書紀』では、須佐袁命が出雲に天降ったこと、韓鋤之剣で八俣大蛇を退治したことを記している。一書によるととして、須佐袁命は五十猛命と新羅に天降り、曾尸茂梨に住んでいたが、植土で舟をつくり海を渡って出雲に到ったとある。曾尸茂梨は、新羅の都であった慶州であるとされており、水野佑氏によると、八岐大蛇についても、慶州盆地を流れる兄江流域の溪谷につくられていた六村にはじまる新羅の建国神話にもとづくとしている。 新羅神を祀る神杜は、『延喜式』では134杜を数える。出雲の11杜がもっとも多く、近江の10杜、そして大和。伊勢・越前・能登の各8杜。いずれも朝鮮半島からの渡来人が多かった地域であるが、なかでも出雲が神杜数で傑出している。 722年には日本の進攻に備えて新羅の毛伐郡に城が築かれ、731年には300艘の日本水軍が東海岸を襲撃して撃退されたことが、新羅の史料にみられる。日本側の史料でも、732年には新羅の進攻に対処するために、山陰・西海・東海・東山に節度使が任命されたことが出ている。779年の関係断絶に至るまで、新羅と日本の敵対関係は強められていった。 『出雲国風土記』には新羅に対する緊張関係が反映されている。他の風土記とは異なって、軍団の配備や水軍の基地について記述があるほか、新羅神を祀る神杜も意図的に抹消されるなど、出雲の徴妙な立場がみられるのであった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1499972806/903
山陰における日朝関係史 内藤正中島根大学名誉教授 新羅からは潮流に乗って船を漕ぎ出すと自然に出雲に着岸するわけで韓国の学者も古代に慶尚道 木出島 風島 欝陵島 隠岐 出雲というコースがあったことを指摘している出雲神話は対岸に位置する新羅との深いつながりがあったことを教えてくれるし新羅の神話のなかでも新羅人の倭への移住について語られている 年出雲国風土記には記紀にはない国づくり神話が物語られている八束水臣津野命が出雲国は若国である自分が大きな国にしてあげようといって海の彼方の地から国引きをする初めに国引きをしたのは志羅紀の三埼でありそれでもって去豆の折絶よりして八穂米支豆支の御碕をつくったという新羅の余りを引いてきて出雲大杜が鎮座する杵築の地をつくったという説話は新羅人による渡来を物語るものといってよい 年日本書紀では須佐命が出雲に天降ったこと韓鋤之剣で八俣大蛇を退治したことを記している一書によるととして須佐命は五十猛命と新羅に天降り曾茂梨に住んでいたが植土で舟をつくり海を渡って出雲に到ったとある曾茂梨は新羅の都であった慶州であるとされており水野佑氏によると八岐大蛇についても慶州盆地を流れる兄江流域の谷につくられていた六村にはじまる新羅の建国神話にもとづくとしている 新羅神をる神杜は延喜式では杜を数える出雲の杜がもっとも多く近江の杜そして大和伊勢越前能登の各杜いずれも朝鮮半島からの渡来人が多かった地域であるがなかでも出雲が神杜数で傑出している 年には日本の進攻に備えて新羅の毛伐郡に城が築かれ年にはの日本水軍が東海岸を襲撃して撃退されたことが新羅の史料にみられる日本側の史料でも年には新羅の進攻に対処するために山陰西海東海東山に節度使が任命されたことが出ている年の関係断絶に至るまで新羅と日本の敵対関係は強められていった 出雲国風土記には新羅に対する緊張関係が反映されている他の風土記とは異なって軍団の配備や水軍の基地について記述があるほか新羅神をる神杜も意図的に抹消されるなど出雲の徴妙な立場がみられるのであった
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