[過去ログ] (強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ68 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
774
(1): 2017/05/01(月) 19:21:35.66 ID:igu4utAR(1/9)調 AAS
>>769
それはパラドックスに陥るのではなかったかな。

仮に物理状態が確定的であったとして、宇宙誕生の瞬間から現在までを演繹できるとして、
しかしその物理状態が“意味”するものを見出そうとするこの試み自体が確定論を退ける。

だから「頭の中で考えていること」ではなくて脳の物理状態(しかもそれに限定できない)が
何かを意味するとどのようにして確定的に述べることができるのか。
これはたとえばゲーデルを超えねばならない。クワインのテーゼを超えるでもいいけども。

宇宙全体の物理状態を誕生から現在までを確定的に演繹するということは、
何も現在で区切る必要性はまったくない(恣意的にはともかくとしても)わけで、
つまり宇宙の終焉(そんなものがあるのかどうか分からないが)まで、
「宇宙(世界の全体、時間の流れも全部含む)」という一言、それではい終わりという以外ない。
もしもそれ以外の何かしら恣意的な区切りを用いるなら、何かを意味すると言いたいなら、
確定論とは別のレイヤーともいうべき手法に我々は依存しているのだという話になってくるだろう。

主客の別を持つということの意味。
776: 2017/05/01(月) 19:25:32.80 ID:igu4utAR(2/9)調 AAS
世界が確定論的であるかどうかに拘わらず、我々が頭の中で考えていることは、
やはり我々自身の我々自身による思考なのだと言わねばならない。

こういった議論における「〜だ」という断定は本来的に
〜であるべきだ、〜でなければならない、というものになるだろう。

思考なるものは、その「所在」はどこにどのように帰するべきなのか。
785: 2017/05/01(月) 20:46:18.10 ID:igu4utAR(3/9)調 AAS
カーツワイル氏の『ポスト・ヒューマン誕生』の中の特に人体3.0の話はかなりファンタジーだよ。

機械化が進んで脳とネットが融合して完全没入型のヴァーチャルリアリティが云々と。
体の形も好きに替えられて、相手の姿もこちらの主観内においては好きに替えられるとか、
これでよく自己同一性はゆっくりとしか変化しないと言えるものだと。
あの話は概念モデルだから、細部の技術の萌芽が現時点でどういうものがあるのかという部分は
それなりに説得力があるのだけれど(その部分にしたって“それなりに”だよ)、
それを統合していった先の未来のしかも2.0から3.0へとバージョンを上げてとなったら、
想像部分が膨らみすぎていて、現実「予測」として素直に受け止めていいようなものではない。

そういったことを多少なりとも割り引いて未来の一つの大予想ということで見るならまだしも、
そのまままるっと受け入れて信じ込んで、一方では何か細かく資産を食い潰すまでの年数を
計算しつつ2045年だかその辺まで生きるには云々とか、なんというかカルト宗教だなぁと
思わずにはいられない。思い通りにならなければ自殺すればいいだけだというような、
いかにもそういうアレな感じになってるんだねぇという虚無的姿勢。
エゴ剥き出しで社会性の欠落が著しい。だから、そういう人はシンギュラリティの話をするにしても、
現実社会制度がどのように崩壊し得るのか、どのように急変革をしのぐのかといった社会構造の話が
すっぽりと抜け落ちている。
794
(1): 2017/05/01(月) 21:30:07.91 ID:igu4utAR(4/9)調 AAS
AIの進歩に強い懸念を表明しているホーキング博士やビル・ゲイツ氏、あるいはイーロン・マスク氏
(警鐘を鳴らしたが誰も耳を傾けないのでだったら少しでも安全な方向になるよう自分で技術開発するんだとか、
ともかくそういう建前なんだそうな)、彼らはそれぞれに立派な肩書きもあり、「賢い」人達なのだろうが、
そりゃそういう権威も多少は重要ではあるけれど、極端な権威主義に縋っていてはどうにもしようがないので、
当たり前のことだけど議論の中身について検討すべきだろう。

シンギュラリティが到来したらユートピアが立ち現れるというような主張に関しても同様。

素人風情が云々というだけでは、そういった発言のいったい何が玄人なのかと。
教祖であるところの○○様の著した聖典を肯定的にだけ読め!というのでは、
まるっきりカルト宗教のそれだよ。

雇用主の話にしたって、当該人物の全ての主張内容をそのまま全て支持してのことではないだろうに。
個別の議論を放棄してただ印象なり権威なりを掲げるだけというのはいただけない。
800
(2): 2017/05/01(月) 21:45:28.65 ID:igu4utAR(5/9)調 AAS
>>798
>>769
>宇宙が確定論的だとすると、今この瞬間俺が今頭の中で考えてることについても、
>ビッグバンの時点で既に確定していたことになるよな

これがパラドックスに陥る理由は提示してあるよ。
決定論・確定論的世界における「思考(特に誰其のという所在や意志の帰する先が問題となる)」の
扱いについてはいろいろ議論があって、俺が提示したのは普通によく言われる(?)議論だよ。
たとえば有名なところだとダニエル・デネット氏の立場はそういうもの。

キミが何を興奮しているのかよくわかりかねるのだけど、

>アインシュタインが量子論に否定的だったことなんざグーグルでほんの少し調べたってわかる程度の話だ

それでどうしたんだい?それが上記のパラドックスの話の否定にならないじゃん。
802
(2): 2017/05/01(月) 21:50:44.56 ID:igu4utAR(6/9)調 AAS
>>800訂正・補足
つまるところ世界が決定論・確定論的であるか否かに拘わらずというべきだった。
決定論・確定論的世界における「思考」の扱いと、その世界に限定されるものではない。
世界が確定論的ではないから、だから、思考もという議論にはならないから。
805: 2017/05/01(月) 21:55:19.95 ID:igu4utAR(7/9)調 AAS
ダグラス・ホフスタッター氏はデネット氏の盟友だけども、彼の著作である通称GEB
『ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環』はとても有名だよ。

これも自己言及についてのパラドックスの話。
それにまつわる議論を延々と重ねているとても奇妙な本。

「(誰其の)思考」というものの扱いはとてもやっかいだということは、そこここで議論されているし、
決定論・確定論と「思考(あるいは特に自由意志)」の関係性とか、こういうのもよくある議論だよ。
815: 2017/05/01(月) 22:20:36.81 ID:igu4utAR(8/9)調 AAS
>>809
便宜上、大まかに議論を二つに分けると、一つはそこに提示されているような議論。
この世界(の物理法則)が決定論・確定論的であるか否かということと自由意志の問題は
直接的に関係があるとする議論だね。おそらく一般的に広く支持されている議論。

もう一つは直接的に関係があるわけではないという議論。
デネット氏やホフスタッター氏なんかそういう立場の人。
俺もこの立場を支持してる。

議論のとっかかりはこうなる。仮に世界が決定論的だったとして「自由意志」なんてないとして、
自分の思考なり意志というものは自分で思っているように思っている(ややこしいね)だけだと。
全部自動で決まってることをなぞっているだけなんだと。
しかし、そうは言ってもこの自分で思ってる感、自分主体の自分の裁量・自分の行為という
自由意志・思考の所在(我思う故にという強烈にぬぐいきれないこの感じ)、
この主観的世界との折り合いがどうにもうまくいっているようには思えない。
主観的にそう思えないというだけではなくて、ゲーデルの不完全性の定理や
クワインの根底的翻訳の不可能性のテーゼと統合的に考察した時の違和感といおうか。

そこでそもそも自由意志とはどういうことを意味するのだろうかといような、
自由意志の必要条件や十分条件の話とか、それを決定付けることの困難さとか、
自由概念は由来が変化しつつも拡張(あるいは縮小)するものであるとか、
そういう議論展開があって、全てを知ることができないからこそ部分を切り取って、
しかも生得的に能動的に世界を探索するという方途(その世界“観”)に依存している
我々の精神活動(言語活動の問題も多分に含まれる)と、
全てを知り得る(ここで既にして認知の議論に踏み込んでいる)前提での確定論とは
直接的に関係がないという話になってくる。

これはまぁ、直感に反すると思う人が多いだろうね。
確定論的世界における自由意志の存在ってなんやねんなと。
人は人を擬人的に見ているとか、そういう心の議論も多いに関係があってややこしいと言えば
ややこしいけど、物理法則だけでは人の思考(信念、〜についてという性質、意味するところ)は
読めないんだよ。
816: 2017/05/01(月) 22:30:57.45 ID:igu4utAR(9/9)調 AAS
自然科学と人文・社会科学の違いの議論と確定論・自由意志の議論は関係がなくもない。

人為の所産であるところをどのように記述でき得るのかという話。
あるいは統語を徹底させたところで、何かしら意味の一端を持たせた途端に矛盾が入り込むという話。
そこから意味論のど真ん中に話を持っていかざるを得ない思考なり意志なりの扱いについて、
こういったものはその体系そのものが不確定な相互解釈の循環に依存しており、
今のところそれは綺麗に紐解けないでいる。

だから強いAIの強いってどのように定義できるのかというような、そもそもの知性の定義にしたって
人間中心主義から逃れ得ないというような議論にもなるし、ひとまずはブラックボックス化した上で、
擬人的な振る舞いとして見ることで、本当に人のような擬人的振る舞いなのか、
擬似・擬人的なものにすぎないのかという範疇での判断に依存しているのが、
たとえば有名なチューリングテストもそう。

さりとて別に物理と精神をまったくの二元論として捉えるべきであるという話ではない。
それは究極的には一元論であるのだろうがしかし、やっかいなのは一元論をそのまま一元論として
我々はどのように記述できるのかという問題がある(おそらく何かしら二元論的表現をすることは避け得ないだろう)。
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ

ぬこの手 ぬこTOP 1.792s*