[過去ログ] シンテイ警備を語る (1001レス)
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169: 名無し 2011/02/15(火) 14:51:25 ID:UzjDPEhx0(1/3)調 AAS
スターリンは矯正労働収容所と称して、シベリアなど、ロシア北西部に数えきれない収容所をつくっていた。
その数、百カ所以上・・・
彼は、囚人を矯正し魂を鍛え直す労働だと言い張っていたが、その実態は、恐怖の強制労働に他ならなかった。
スターリンは国家の工業化のために、大量のタダ働きの奴隷労働者が欲しかっただけなのである。
スターリンにとって囚人はいくらでも代替のきく安価な消耗品でしかなかった。
かろうじて生きられるだけの食料を与えておけばよかったのだ。
170: 名無し 2011/02/15(火) 14:52:14 ID:UzjDPEhx0(2/3)調 AAS
彼は抜け目なく新しい条例をつくっていた。
1926年に交付されたその条例によれば、政府の転覆、崩壊、もしくは革命的成果を
崩壊、弱体化させる行為は、反革命的と見なされ祖国の裏切り者と見なされるというのである。
しかし、人々の日常的行為で、この条例に引っかからないものなどあり得なかった。
要するに、どうにでもデッチ上げることが可能だったのである。
全く意味もない行為が、ねじ曲げられて解釈され、
その挙句に祖国の裏切り者というレッテルを張られて自由をはく奪されることが往々にしてあった。
171: 名無し 2011/02/15(火) 14:54:47 ID:UzjDPEhx0(3/3)調 AAS
囚人たちは体力を消耗して、みるみるうちに痩せ細り死んでいった。
ものすごい寒さと重労働による疲労、飢えのために、ほぼ全員が一冬で死に絶え消滅した。
夏になると、再び新しい囚人の群れが送られてくるが、彼らも冬になると同じ運命をたどった。
毎年、十万単位の囚人がピストン輸送されたが、決して囚人の総数が増えることはなかった。
死に絶えては補充されるという死のサイクルが、休むことなく繰り返されたのである。
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