[美女と野獣]ダン・スティーヴンス No.1 [無断転載禁止]©2ch.net (673レス)
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250(1): 2017/08/24(木) 21:58:19.95 AAS
スティーヴンスの少年時代は、素行の悪さと優秀な成績に特色づけられる。"枯草熱(Hey Fever)"
の舞台で共演したデイム・ジュディ・デンチ(以来、二人は定期的に連絡をとりあっている)と、
キャリアへの最初の大きなきっかけを与えたサー・ピーター・ホールは、彼の忠実な擁護者だ。
しかし、そうであっても、人生は違ったものになっていたかもしれないと彼は思い込んでいる。
生後間もなく養子に出されたことで、彼は今まで誰ともうまくやっていけた思い出がないという。
「小学校では悪ガキだった。いつもトラブルの種で、しょっちゅうトラブルをおこしてた。
トンブリッジでも同じだった。反抗するためのネタがあれば何にでも反抗してた。
11歳で背が6フィート(183?)あって、声は変声期でガラガラだった。それがトラブルのもと
だった。痩せっぽちで、ニキビだらけで、みっともない子供だった。クールでもなかったしオタク
でもなかった。誰とも仲良くなりたいと思わなかった」。
彼を際立たせていたのは、優れた学業成績と演技者としての早熟の才能だった。
「13歳でトンブリッジに入学した年に、舞台でマクベス役に抜擢された。17、18歳の年上の
生徒を差しおいてその役をもらえたんだ。これが問題になった。同じグループの連中から嫌われて、
誰もが僕を退学させたがっていたところに手を差し伸べてくれたのが、何人かの英語と演劇の
先生だった。
「自分自身を振り返ってみると、あの先生たちには感謝してもしきれないよ。たくさんの
人たちが --- 両親を含めて--- 軌道修正してくれたおかげだ。当時は何にでも反抗してたから、
そのことがわかってなかった」。
孤独に感じたのは養子に出されたことが何か関係しているのか尋ねてみると、彼はゆっくりと
うなずいた。
「たぶんそうなんだろう。でも、それは自分の内面の問題だとも思う。本当の親を見つけようと
したことはない。父と母には養子として受け入れてくれて、とても感謝してる。すばらしい人たちだ。
どんなことにでも疑問を持つよう励ましてくれたのは父だった。自分自身の道を切り開くことを、
自分の頭で考えることを、本を読むことを勧めてくれた」。
262: 2017/08/29(火) 23:12:40.34 AAS
>>250 続き
ナショナル・ユース・シアター*に参加し、将来は役者として身を立てるつもりだったが、
スティーヴンスはケンブリッジへ進学し、エマニュエル・カレッジで英文学を専攻した。
「小学生のころから演技をしたいと思ってた。初めて演技したときのことを覚えてるよ。
僕は手がつけられない子供だったから、クラスで役を与えられたのは一番最後だった。誰も
やりたがらなかったミセス・モップ(お掃除おばさん)役をあてられた。そのことが自分の
素行不良のすべてのはけ口になって、演技をしたいと思うようになった。演技にはすぐに夢中
になった。僕にとって演技とは、与えられた役の中でどう演じるか、つまり芝居の構成の中で
どこまで自己主張できるかということで、今でもそれを考え続けている」。
「演劇学校に行くよりケンブリッジに行きたかった。自らの行動は自らの考えにもとづいて
行うべきである、という考えが気に入ったからだ。大学には演劇のコースがなかった。
したければ、演劇クラブに行って芝居ができる。そこには歴史学者や政治家や天体物理学者
なんかがいる。それは僕にとっては、馬の役をやったり、役者を目指して張り合ってる連中と
いるよりはるかに刺激的だった。
「それに、いろいろ実験できるチャンスがある。ほかのことを試したり、違う方向に行ったり、
それが僕がやってたことだ」。
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