[過去ログ] 大東流の鬼門は東北にあり[転載禁止] [転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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118
(1): 日本語講座 2015/04/06(月) 16:01:36.19 ID:cGesoBHQ0(8/8)調 AAS
いや〜
夜間中ツクオがフルボッコでワロタなあ。

引き続き剛一のソースを絶賛受け付け中どす。

そんなものは無いのだけどね。

>>117
ゲジョウ小三郎と読むのだけど
皇武館以前の東京時代に
翁と新陰流の交換教授をした方だね。

武田惣角との知己は
師の柳生厳周を介した間接的な知己であり
惣角柳生との邂逅は一度目の上阪途上にあったのでは
と考証しているのだけど。
119
(2): 2015/04/06(月) 16:10:26.11 ID:WrzsHY0LO携(8/8)調 AAS
>>102の証明まだ〜?wwww
120
(1): 2015/04/06(月) 18:38:43.69 ID:O0+jqjzh0(1)調 AAS
新陰流と心影流で元々交流があったのかもしれん
121
(1): 2015/04/06(月) 20:57:51.94 ID:7m338Xpf0(1)調 AA×
>>116>>118

122
(2): 2015/04/06(月) 22:37:44.71 ID:2iWa919a0(1)調 AAS
武田の合気は剣術から来たらしい
佐川の合気は剣術?柔術?どっちから来た
123
(2): 日本語講座 2015/04/07(火) 03:35:00.45 ID:u4lzlGQl0(1/2)調 AAS
>>119
また芝が植えられとるがな。

剛一のソースまだ?

>>120
だね。

恐らく上阪途上
同じ新陰系統ということで
厳周を訪れる程度はしたのだと思う。

>>121
コ三郎は山形出身なのだけど
惣角の山形時代とは時代が食い違うし
どうも両者の足跡に直接的な接点が見出しにくいところがあるんだよね。

とすると長良ルートの時から間接的に
という高商・・・
考証が自然に導き出されもするよね。

ただこの学説にも弱点があって
とすると折り返し途上に惣角が鉄串さんと再会しなかったのか
的な疑問符が否めなかったりも。

>>122
大穴で谷口雅春からとか?
124
(2): 2015/04/07(火) 03:48:51.25 ID:+1qopzRnO携(1)調 AAS
養神館の関係者の皆様へ

>>123の日本語講座さんがおっしゃる剛一とは塩田剛三先生のことでございます。
何でも日本語講座さんは塩田先生が講道館の三段ではなかった証拠を見つけたそうです。

それを塩田先生を貶めるネタとして使用、煽りまくっていくそうなのでw
どうぞ皆様でお好きな対応をなさって下さい。
もちろん無視でもかまいませんよww
125: 日本語講座 2015/04/07(火) 16:14:58.94 ID:u4lzlGQl0(2/2)調 AAS
>>124
んで
剛一が柔道三段だったソースと
國井氏に太刀で勝てたソースは?

他人ではなくツクオ本人が
持っている!
と主張したソースなんだから
他人に泣き付くのではなく
ツクオ本人が開陳せんと。
126
(1): 2015/04/07(火) 18:33:20.26 ID:8cZG8w6k0(1)調 AAS
>>>122
佐川氏の合気は、合気から来ているのでは・・・・
合気そのものを取り出して、身につけ、伸ばすのを課題とした・・・・
 
話変わると、ソーカクは「鍛錬しているのを見た事がない」と、佐川氏証言しましたが、
実は目の前でいつも見せていた、すなわち歩くのを鍛錬としていたのかも・・・・
 
>>123
芝が植えられとるw
 
毎度むりやりな小ネタに、笑わせてもらっています。
テッケンさんとは、確かに再会しなかったのかという、基本的な疑問が出ますね。
 
そうなると、旅の行き帰りに、地図上くいちがいのある一点、矢張り大阪が、「その地」だったのでしょうか・・・・
127
(2): 2015/04/08(水) 02:41:27.71 ID:HV/NaXtf0(1)調 AAS
少し調べてみたら、明治初頭の旅、
中部、関西付近を行き来するには、木曽路と呼ばれる、本州中央寄りのルートどりが、普通だったようです・・・・
 
ソーカク1876年の旅は、師である榊原健吉に挨拶するため、まず東京、しかも港区という海沿いへ足を運ぶ必要があったわけです。
 
そのため行きは、向かう地が四国だったので、傾向として、全体的に海沿いのルートになったものと思われます。
しかし帰りは、通常の通りやすい、木曽路がとられたであろうと考えるのは、べつだん無理はありません。
 
すると行きと帰りでルートがちがう、すなわち「かの地」をとおったのは一度きり、再会する事も無かったと、なります。
 
伝説の地は、もろもろの条件が満たされる、矢張り愛知、三重間辺りの、長良川だったのでしょうか。
カフェがまだ残っていれば、テッケンさんの写真もあるかも知れません・・・・
128: 日本・天皇G林田+内田 ◆WSZ7beIuXw [tu_domo@yahoo.co.jp] 2015/04/08(水) 03:21:55.93 ID:mOslx7w20(1)調 AAS
連絡が入った。無料でカメラを貰える俺の妨害をしているのは「陸上自衛隊 第3方面 〜」。これは足立区の誰かが自衛隊に直に連絡をして妨害している。
妨害理由は、足立区に預けられた「昔のウエサマ の女」を他の男に「転売」「預け直し名目」で譲り渡して子を作らせたののカモフラージュ。
当然、妨害者は「厳重な処罰」(A級戦犯・国賊指定・国家反逆罪・天皇への反逆罪)である。この関係者は多数死んでいる。預け直しで受け取って使った男たちも、共犯者であるのでB級・C級戦犯扱いである。
129: 2015/04/08(水) 21:15:55.23 ID:qR3UIyoP0(1)調 AAS
ところで中国が勝った気になっている。東北の雄もがんばってほしい。
外部リンク:news.infoseek.co.jp
130
(1): 日本語講座 2015/04/09(木) 01:49:43.27 ID:1SGnJDv70(1)調 AAS
>>126
ふむ

歩きを鍛錬に代えていた
というパターンは大いにあり得るね。

太刀を構えなかったファイトスタイルからも
歩きながらの
長良・・・
ながら太刀のテイストが伺えるし。

大阪説は
やはり有力なのかな。

考えてもみれば鉄串さんを誰よりも意識していたハズの惣角が
復路に同ルートをとらなかったのも不自然な話しかも。

>>127
と思いきや
木曽路という
基礎路を見逃していたね。

鍵吉経由もあったね。

すると鍵吉ルートから日本橋へ迂回した可能性が浮上し・・・

そもそも長良ルートは通らなかった?
131
(1): 2015/04/09(木) 20:10:05.59 ID:l3deMzws0(1/2)調 AAS
>>130
一部>>127に訂正があります。
鍵吉の道場は、台東区でした。
 
講座さんが「日本橋」と仰る理由が、一瞬わからなかったのですが、調べると木曽路のまさにスタート地点、
街道の始まるのが、日本橋だったのですね・・・・
 
そして台東区と日本橋は、さほど離れていないので、
台東区へ寄った以上、四国へ向かう旅は海沿いになるだろうという、僕の推理は、崩れました。
 
単に日本橋へ、少しだけ移動すればいいだけですからね・・・・  移動して木曽路へ入り、旅を便利なものとすればいい。
勿論、木曽路だろうと海沿いだろうと、長良川は通るわけですが、海沿いじゃないという話になると、再会の生じなかった理由が、無くなってしまう・・・・
132: 2015/04/09(木) 20:11:42.69 ID:gvEOPgMh0(1)調 AAS
次スレ立てました

【日本屈指】合気界の最強者・望月元晴【3】
2chスレ:budou
133
(2): 2015/04/09(木) 22:18:22.91 ID:l3deMzws0(2/2)調 AAS
ウェブを調べて回っていると、惣角1876年の旅、かの鵜戸権現に遭ったのが、浜松だったという情報に当たりました。
 
浜松に顕れ・・・・現れたのだとしたら、厳密には鵜戸権現じゃなくなりますが、それはいいとして、
浜松に立ち寄ったという回想が出てきたのは、材料として大きいです。
 
つまり惣角は、木曽路ではなく、浜松に立ち寄るルート、ほぼ間違いなく東海道を使ったのが、これにより判明した事に・・・・
 
東海道も木曽路同様、日本橋がスタート地点です。
では木曽路を選んでも(むしろ選んだほうが)いいだろうという事になりますが、会津から木曽路へ入るには、日本橋から始める必要はありません。
 
ここでわかった重要なポイントは、日本橋近辺、つまり台東区に用があったのだろうという事です。
用は鍵吉への挨拶以外、考えられず、すなわち鍵吉への師事が史実だったのも、ここから割り出せてしまったと、言えるのではないでしょうか。
134
(1): 日本語講座 2015/04/10(金) 03:38:32.73 ID:Uad086M/0(1)調 AAS
>>131
確かに木曽ルートで長良越えをしたとして
長良川は長良川でも木曽ルートにカフェが存在した場合
往路で避ける理由も無いからね。

>>133
と思いきや
そう言えば浜松ルートも惣角関連の諸伝承には出て来ていたね。

ここで浜松説も盛り込めば
浜松を経由する理由はやはり柳生説かな。

で柳生目的だけだと
浜松が必要だとは限らないから
東海道に乗る積極的な理由を探ると
柳生との関連からもやはり鍵吉の介在が逆算される
となるのだろうか。

なるほどねえ。
135: 2015/04/11(土) 02:32:55.36 ID:F1EdnFXD0(1)調 AAS
>>134
そうですね、確かに「なぜ東海道に乗ったのか」
 
これは東海道を一つの線分と考えた場合、線分の両端が両端である理由、
すなわち東京と尾張(愛知県西部)に、立ち寄る理由が存在したから。
 
東京と尾張に、何があったか。
 
東京は鍵吉。
尾張は柳生。
 
これは理由として、ほぼ確実でしょう。
更に推理を進めるなら、同じ新陰流、おそらく鍵吉に紹介状を貰ったと考えて、飛躍は無い気がします。
136
(1): 日本語講座 2015/04/11(土) 04:02:58.03 ID:uTNvoL9M0(1/2)調 AAS
ふむ。

どうやら解けたね。

改めて惣角の
新陰流との関係性を強調して考証すると

・(厳周の)済寧館時代以降の惣角は既に北海道の人であり
・植芝盛平の教授代理と同時に新陰流の伝書も授与し
・また新宿時代?は度たび十二社のコ三郎邸を訪ねている

以上から有意な接点が惣角前半生の中部時代しか考えられず
どこかに中部時代があったとすれば
やはり浜松説と連動せざるを得ないだろうね。

カフェ一つから惣角氏が
わけても大東流合気の創造史が解けて来つつあるね。
137: 日本語講座 2015/04/11(土) 05:02:21.11 ID:uTNvoL9M0(2/2)調 AAS
訂正
惣角史が
だね。

なお
惣角からの新陰流伝書には
何故か二代目が江戸柳生の但馬守となっているけど(以後中略)
これは済寧館以降尾張柳生が歴史的な東京進出を果たしたことを
伝書の年代的にも反映している可能性があるものと思われるね。
138
(1): 2015/04/11(土) 16:39:53.02 ID:pEHVlQQp0(1)調 AAS
佐川で習う剣に新陰の匂いはなかったけどなあ。
濃いのは、一刀流。と思った。
139
(1): 2015/04/11(土) 19:40:50.96 ID:GRjvh+k/O携(1)調 AAS
有名な惣角の小手連打も一刀流系列の技だにょ
140
(1): 2015/04/11(土) 21:48:35.47 ID:Q52vSu3Q0(1)調 AAS
>>136
こう改めて箇条書きにして頂くと、コサブローという人物は、ソーカクに並々ならぬ影響を与えたんだなあと、
正直なところ驚かされます・・・・
 
ソーカクは人が誰もいない時、まだ少年だった佐川氏だけがいる前で、
「これが心影流の極意だ」と、剣を見せてくれたのだそうです。
それは次々に必殺の角度へ吸い込まれるものでした。
その日その時、次元がちがうとさえ言える剣を見た事が、佐川氏が生涯、武を追い求める事になった、或いは理由なのかも知れません。
 
その剣に、シンカゲリューちがいではあるものの、どうもコサブローが影響を与えたらしいのが判り、
誰なんだろう、どんな人なのだろう、どれくらい強かったんだろう、どうしよう・・・・  と、俄かに興味が膨れ上がっています。
141
(1): 日本語講座 2015/04/12(日) 05:16:17.03 ID:jdzbCzcL0(1/2)調 AAS
>>138
太刀の基礎はそうだろうね。

>>139
惣角の片手斬りと居合いは多分にマロバシの影響だろうね。

>>140
コ三郎こそが大東流と合気道
両史を読み解く秘顕・・・
秘鍵だろうね。

むろん
惣角がコ三郎から目録以上を得て
盛平に目録を授けた
というパターンは年代的にありえないけど
ではどこで惣角がシンカゲの目録以上を得たのかといえば
日新館との間がプッツリ途切れているし
そもそも日新館の伝系からして伝書の内容と微妙に違うし
やはりコ三郎派しか
時代を溯って明治中葉以前にしか接点が見出せないんだよね。

技法面では間合いに関して
最終的に翁の完成に寄与したのがコ三郎だったそうだしね。
142: 2015/04/12(日) 07:44:10.68 ID:oFeF6jtVO携(1)調 AAS
惣角はシンカゲは弱いから嫌いなんだな
師匠の榊原も弱いから見下してるんだな
143: 日本語講座 2015/04/12(日) 16:02:08.66 ID:jdzbCzcL0(2/2)調 AAS
正確には
袋竹刀が嫌いだった。
144
(2): 2015/04/12(日) 18:45:52.43 ID:Edh4bo8I0(1)調 AAS
>>141
1986年度連載開始、小説『鬼の冠』を、久々紐解いてみました。
 
すると1876年、秋に始まる、かの旅に、東海道(木曽路ではなく)が使われたと、既に明記されていました。
物語には、旅の目的も書かれていて、大阪の桃井道場を目指したとあり、確かにそれなら、東京に寄った場合、木曽路よりも都合が良いですね。
 
いずれにせよ東京というファクターは外せなく、東京すなわち鍵吉という事になりますから、とりあえずのところ、惣角の師事歴は、否定出来ないでしょう。
145
(1): 2015/04/12(日) 23:47:40.08 ID:1dxtvl330(1)調 AAS
それで、なぜ突然>>144で、旅の話に戻ったかと言うと、
実は『鬼の冠』に、新陰流が登場していたのです。
 
作中「名高い新陰流の遣い手の道場」と表現される、柔剛館という場所へ寄るために、
東海道を名古屋で離れ、岐阜へ向かったと、書かれていました。
 
岐阜に入って、すぐの場所にあったらしいです。
道場主は早坂三五郎というかただったと、ありました。
 
しかし、このお名前を検索しても、ウェブには当たらず、道場自体も、それらしきのが見つかりませんでした・・・・
作中、とりあえず新陰流が登場したのは、ここだけなので、どのように扱えば良いのか、単にフィクションと割り切り、無視して良いのか・・・・
146: 2015/04/13(月) 00:37:41.48 ID:m1FvqAZMO携(1)調 AAS
惣角が時宗さんのコーチとして選んだのは一刀流の先生
惣角の死後に時宗さんが研究してたのは一刀流
147
(2): 日本語講座 2015/04/13(月) 20:36:38.06 ID:JU88Z4oy0(1)調 AAS
>>144
情報どうも。

小説は史実をどこまで反映しているか不明だけど
意味もなく交通の便が悪い東海道のほう
と書いているわけでもないだろうね。

>>145
岐阜の
三五郎か〜。

恐らくは批判となってしまうことへ配慮しただけで
尾張柳生のことだと思うよ。

厳周は農民へは教えないとした高飛車な方だったらしく
当時の惣角では随分と邪顕・・・
邪険にされたのではないかな。

それがお互い黒歴史だから後世に明文化されていないというパターンで
三五郎はコ三郎をもじったネーミングだろうね。
148: 2015/04/13(月) 23:15:48.94 ID:NT6z7GVa0(1)調 AAS
>>147
邪顕w
毎度むりやりな小ネタが笑えますw
 
作中、まさにそう扱われたのが、大変批判的に描かれていました。
 
なるほど、尾張柳生を、しかもモロにコサブローを、遠まわしに批判したいがための、記述だったのですね・・・・  (名を変えたのは、津本氏個人の配慮)
そこにはソーカクの、勿論本当に批判したい箇所もあった以外に、新陰流から得た影響の大きさを、どこか隠したい意図も、感じなくはないですね・・・・
 
新陰流と言っても、分派のたとえば黒田泰治氏などは、言うまでもなく問題にならないほど、ソーカクの剣は飛びぬけていました。
 
しかし榊原鍵吉や、分けても柳生本体は、ちょっとそういうのとは、モノがちがったでしょう。
大東流合気の創造史、いよいよ読み解けてきたかも知れません。
149
(1): 日本語講座 2015/04/14(火) 03:44:41.16 ID:p1Tgc1ft0(1)調 AAS
惣角の腕前は本当にそうだね。

大本では太刀で剣道教師を素面素小手で圧倒しているし
体術でも明治の免許を打ち倒している。

明治後半生まれがおいそれと及ぶ位ではないだろうね。

一瞬話しを拡大すると
恐らく惣角の人生は新陰ということもあり
どこかで鵜戸権現に感応し
求めるというものだったではないかと思う。
150
(1): 2015/04/14(火) 20:02:08.99 ID:Am/Y00KZ0(1)調 AAS
>>149
剣道教師を素面素籠手で・・・・
矢張り惣角の剣は、次元がちがったと言ってよいのでしょうね。
 
ちなみに、器用な人間は、ものすごく剣が強いです。
 
惣角が、剣に於いては水を得た魚になったという言い伝え、色々と身近な例からもよくわかり、
そういう意味では、黒田泰治氏なども、確かに剣にかなり向いていたのは、窺い知れます。
 
それでも惣角の剣は、刃鳴りや一点集中等、さすがにものがちがいますが、だからと言ってそういう差を、そのまま新陰流全体に、適用は出来ません。
 
影流の祖・愛洲久忠は、鵜戸の岩屋に参籠し、1787年、35歳の時、剣の覚りを得たとされます。
確かに惣角は、自らの人生を新陰流の歴史そのものに、ややオーバーラップさせていたのかも知れないですね・・・・
151
(2): 2015/04/15(水) 06:00:53.82 ID:1GVKjOb6O携(1/2)調 AAS
続・大東流の七不思議より
>ついでながら、ものの本には惣角が柔道家に締め技で落とされてしまったと書いてありますが、
同書にはどう考えても非現実的な武勇伝が数多く書かれており、
それらと合わせて考えると、あまり信憑性はありません。

ハゲ日記ケンパチww世間様からの信頼度零wwwこれが現実wwww
152
(1): 日本語講座 2015/04/15(水) 16:35:06.19 ID:P/Phmj620(1)調 AAS
>>150
1487年だね。

惣角は鵜戸権現に感応し
植芝盛平はシンカゲの中に見出した
鹿島系に感応する人生だったのではと思われるね。

>>151
久八段が惣角から
惣角が敗れた話しを聞かされた
と書かれた史料も存在するね。

他に敗れた話しも聞かないから
恐らく同一の件だろうね。

本人がそう証言しているなら
それでいいんじゃないかな。
153
(2): 黒魚老師 2015/04/15(水) 18:13:37.48 ID:3X/qVzQl0(1)調 AAS
>46
理屈ではそうだが、物理的に体重が二倍三倍あれば同じ条件なら無理なのよ。
それ以上の感知出来ないスピードを得たりすれば小さい人も勝てるけど。
154: 2015/04/15(水) 19:44:08.71 ID:V/QRjbD/0(1)調 AAS
「里諺曰、千人所指、無病而死、臣常為之寒心」w
155: 2015/04/15(水) 20:34:05.95 ID:1GVKjOb6O携(2/2)調 AAS
動画リンク[YouTube]

156
(1): 2015/04/15(水) 23:19:36.69 ID:bci0Ghsu0(1)調 AAS
>>153
だから程度が低いレベルでどや顔してんと、
もっと稽古しろよ。
157
(1): 2015/04/16(木) 02:24:52.94 ID:XMJ27ZvJ0(1/4)調 AAS
>>152
あ、1「4」87年でしたね。
300年まちがえちゃった・・・・
 
久八、惣角からじきじき聞かされていたのですか。
佐川氏も聞かされていたわけだし、こう何人もの高弟へ、惣角ご本人が話していた事を、目の色変えて否定しても、意味無いのではと思うのですが・・・・
158
(1): 2015/04/16(木) 02:38:10.23 ID:XMJ27ZvJ0(2/4)調 AAS
>>153
>>156
体格に劣る人間が、重い荷物を持ち上げるのと、
体格に劣る人間が、体格に優る人間を投げる事、どちらも大変な技が要ります。
 
どちらか一方だけ、程度が低いなどという事は、ありません。
少ない力で大きい物が扱えるという、寧ろ共通点のある話になり、興味を持つのは悪くないと思います。
159
(2): 2015/04/16(木) 03:12:32.75 ID:pxMviW8/O携(1/3)調 AAS
>>102の返事まだ〜?

剛一への煽り続けないの〜?

久がケンパチの名前出してるソースどこ〜?
160
(2): 日本語講座 2015/04/16(木) 04:27:54.99 ID:RM2VXGut0(1/2)調 AAS
>>157
興味深いことに
久八の愛洲氏自体が
清和源氏系とされるんだよね。

恐らくはここに惣角が
何らかのアイデンティティを見出したのだろうね。

久忠は決定打だったね。

>>159
ん?


何か混線した?
161
(1): 2015/04/16(木) 04:39:48.12 ID:pxMviW8/O携(2/3)調 AAS
>>151
ケンパチ監修公認のハゲ本が嘘だらけだったからどうにもなりまへんな〜
162: 2015/04/16(木) 04:42:22.58 ID:XMJ27ZvJ0(3/4)調 AA×

163: 2015/04/16(木) 04:52:12.73 ID:XMJ27ZvJ0(4/4)調 AAS
>>160
数あるお弟子さんの内、
ひょっとしたら惣角が一番かわいがったのも、久八だったのかも知れませんね・・・・
 
久八と角義だけには、合気を教えた。
そんな噂も、あったりします・・・・
164
(1): 2015/04/16(木) 15:47:41.52 ID:wPWLkdA90(1)調 AAS
>>158
重い荷物を持てる力があれば武術も・・・

ないよ。
「女、子供の方が上達が早い」と言う逸話や、
「力はいらない。」まはと言われる

「日本の」

武術に関しては。
165
(1): 日本語講座 2015/04/16(木) 17:31:32.57 ID:RM2VXGut0(2/2)調 AAS
>>161ああ
>>160自己訂正。

興味深いことに
久忠の愛洲氏自体が
清和源氏系とされるんだよね。

恐らくはここに惣角が
何らかのアイデンティティを見出したのだろうね。

久八は決定打だったね。

>>16273年の奉額ではまだ竹田姓なんだよね。

当然といえば当然なんだけど
年代的に
77〜79年の長旅以降ではない点が重要だと思う。

つまり
73年の時点では
清和源氏→武田氏(→愛洲氏)のインスピレーションを受けていなんだ。

むろん
98年の史料では既に改姓している。

とすると
「それ」
は晩くとも柳生の尾張時代
そして頼母は一刀流(溝口派)
ではいつと考えると年表作成上おぼろげながら見えて来るものがあったりするね。
166
(1): 2015/04/16(木) 18:01:08.62 ID:pxMviW8/O携(3/3)調 AAS
2015年9月11日(金)から〜13日(日)の3日間にわたって
塩田剛三生誕100周年イベント開催

主催〜塩田国際合気道連盟

場所〜千葉県、勝浦の日本武道館研修センター
167: 2015/04/16(木) 18:06:01.78 ID:4uU9TLi+0(1)調 AAS
リアル筋肉ってなに?
168
(1): 黒魚老師 2015/04/16(木) 18:40:13.79 ID:q2JCO9040(1)調 AAS
力はいらないというが、佐川先生が力はあればあるほど良いと言いましたけどね。
そういう人がリラックス出来るかなんです。
169: 2015/04/16(木) 19:28:27.39 ID:ccq/dw9+0(1)調 AAS
>>168
それは「分かった人」が鍛えた場合の話。
ただ重いものを持ち上げる力だけの人は上達が遅くなる。
力を使う癖が出るから。
だから力を使う癖の少ない「女、子供は云々」と言われる。

こんなことちゃんと稽古をしてれば分かること。

お前、ただの佐川ファンだろ??
170
(1): 2015/04/16(木) 19:50:42.95 ID:eoZ7t1xi0(1)調 AAS
佐川氏も、若い頃は近代的なウェイトトレーニングをガンガンやって
逆三角形の体型にしたけど結局そういう筋力は武術には余り関係なかったということで
結論してたハズ
171: 2015/04/17(金) 11:11:44.70 ID:4eqtqhTR0(1)調 AAS
東北の食品も十分チェックしてほしい。盛岡も注意が必要かな。
動画リンク[YouTube]

172
(1): 2015/04/18(土) 02:47:04.34 ID:jWqtye760(1/3)調 AA×
>>164>>165

173: 2015/04/18(土) 03:12:21.64 ID:jWqtye760(2/3)調 AAS
>>170
佐川氏の一時期の体は、無論これはこれで凄いですが、確かに所謂「近代的」ですね。
画像リンク

 
でも>>8にも貼った、この方たちは、近代的な体じゃないと思うし、近トレの力でもないと思うんですけど・・・・
画像リンク

174
(2): 日本語講座 2015/04/18(土) 04:17:36.87 ID:+D45HaaQ0(1/5)調 AAS
力といわゆる筋力も分けて考えないと
話しが混線するよね。

オニ三郎の岩ゴロゴロは合気だと思うし
筋力ではない(無理だ)と思うけど
力と表現する人が居てもいいだろうからね。

>>172
訂正どうも。

ところで惣勝の逝去は
75年と
76年
両説あるけど
奉額に典拠すると
75年ということになりやしないかな。

その年
そこに居合わせたということで。

額に名前を連ねているということは
奉納演武に参加して・・・いた?

あとは門人帳と数合わせをするしか無いなこりゃ。
175
(1): 日本語講座 2015/04/18(土) 04:52:44.57 ID:+D45HaaQ0(2/5)調 AAS
とりあえず
八重の桜の中野竹子さんは奉額に見当たらない。

となると
記載名は少なくとも歴代門弟一同ではなく
養気館一同か
存命者一同なんかね。
176: 2015/04/18(土) 05:36:11.84 ID:jWqtye760(3/3)調 AA×
>>174-175

画像リンク

177
(1): 日本語講座 2015/04/18(土) 18:14:29.53 ID:+D45HaaQ0(3/5)調 AAS
中野竹子さんはそうだね。

バカが否定していた二道者だね。

存命といえば
当時二年不在だった宗角が存命だったとは限らないから
少なくとも奉額は存命者一同とも言い切れないね。

とすると養気館一同かな。

あとは保科門からの出立のタイミングで
年表と改姓の時期が推定できそうだ。

というか戸籍に改姓の時期が書かれているハズなんだけど。
178
(1): 2015/04/18(土) 19:49:09.18 ID:cq1lpoub0(1/2)調 AAS
>>177
二道くらい、歩む人いくらでもいるでしょうに、なぜムキになって否定するのでしょうか・・・・
僕には解せませぬ。
 
ところで>>174に、さらりと大事な話を書いて下さったのを、見落としました。
奉納演武に参加していたのではないか、という箇所です。
当時、奉納演武と言うと、今で言う柔道の福島県大会か、それ以上(多分それ以上でしょう。年一回でしょうから)の、重要行事だったに違いありません。
そんな、一門の栄誉のかかった演武会に、当時15歳、今で言う中三が出るなど、普通は無いと思います。
 
余程見栄えのする武技を持っていたのだと思います。
二年後、軽業師の一団に加わった際、剣と手裏剣術を看板芸にしたのは、この時の演武が自信になったのかも知れないです・・・・  既に名手だったのも、逆算出来る?
179
(1): 2015/04/18(土) 20:29:59.90 ID:cq1lpoub0(2/2)調 AAS
武田惣角は、父・惣吉が185センチ(流石に時代的にありえないと考え、10センチ差っぴいても175)あったのに、一説には148しか無かったと云います。
 
まさか・・・・  小人症だったなんて事は・・・・
画像を見ても、確かに異常に小さい印象です。
画像リンク

 
でも惣角の大体同時代(歳は四つ下)を生きた、フランスのアンリロートレックさんという画家は、見るからに、より異様な体型をしています。(152センチ)
外部リンク:blogs.c.yimg.jp
 
ロートレックは、中一で左大腿骨、中二で右大腿骨を、不幸にも事故で折り、その時ピタッと背が停まってしまったのだそうです。
小人症でありながら史上唯一、所謂天才だったとされる人ですが、病理学的な検査を受けたわけでもなく、症状名の断定は、出来ないそうです。
 
芸術の大家として名を残す以外に、えらく器用だったらしく、銃を持たせたら百発百中、狩に出たら、外す事が無かったのだとか・・・・
遠く異国の地に、どこか似た人がいたのですね・・・・
180: 2015/04/18(土) 21:02:55.62 ID:IpvAN97g0(1)調 AAS
信夫、リアル筋肉ってなんだよ?
181: 2015/04/18(土) 22:47:54.74 ID:dVENzWtFO携(1/2)調 AAS
>>166
2015年9月11日(金)から〜13日(日)の3日間にわたって

塩田剛三生誕100周年イベント開催
主催〜塩田国際合気道連盟

場所〜千葉県、勝浦の日本武道館研修センター
182: 日本語講座 2015/04/18(土) 23:00:20.29 ID:+D45HaaQ0(4/5)調 AAS
>>178
>二道くらい
>歩む人いくらでもいるでしょうに
>なぜムキになって否定するのでしょう

バカなのだろうね。

>当時
>奉納演武と言うと
>重要行事だったに違いありません

考えてもみればそうだね。

だからこそ奉額まであるのだろうし。

>余程見栄えのする武技を持って
>この時の演武が自信になったのかも

なるほど。

>既に名手だったのも
>逆算できる

論理的に正剛・・・
整合するね。
183
(1): 2015/04/18(土) 23:09:16.10 ID:dVENzWtFO携(2/2)調 AAS
なんでいつも言葉に力が無いんだろ?
184: 日本語講座 2015/04/18(土) 23:27:31.40 ID:+D45HaaQ0(5/5)調 AAS
>>179
頭を強打して身長が停まる症例もあるそうだね。

相撲か竹刀打ちでそうしたことがあった可能性もゼロではないね。

惣角は作中においてではなく
西郷頼母に不覚にも背後をとられたことがあったらしく
これは別に頼母がオニ三郎のような達人だったからというより
自分より小柄な人に不慣れだったから
というのもあるだろうね。

>中一で左大腿骨
>中二で右大腿骨

成長期に大腿骨を折っても同じことが起きるらしいけど
左右を別々に折ること自体がもっと珍しいね。

こういう人ほど肉体の成長に動員されたハズのエネルギーが他に充当されたりしたのかな。

>>183
IDがツクオと一緒だからじゃね?
185
(1): 2015/04/20(月) 02:17:22.08 ID:dVbJUdXb0(1/4)調 AAS
え、ちょっと待って下さい、頼母、惣角よりも小さかったのですか・・・・?
 
慌てて画像を検索すると、よく知られた西郷四郎とのツーショットが出てきて、これじゃ検証出来ないな・・・・   と思ったら、
四郎が153センチだったのを思い出し(僕も一応柔道をかじった身なので、知っていた)、青ざめました。
画像リンク

 
ち、小さ過ぎる・・・・
これだと確かに、小さ過ぎて見失うかも知れないという講座さんの推理、的を射ているかも知れません。
 
背の伸びが停まる原因に、外傷性のものもあるのは、初めて知りました。
まだまだ人体は、果てしなく奥が深いです・・・・
 
あくまで小説ですが、惣角は鍵吉に、面を撃たれ気絶しているので、あるいはその瞬間、背が停まったのかも知れないですね。
186
(2): 日本語講座 2015/04/20(月) 03:18:39.96 ID:QXIKTpMw0(1/3)調 AAS
ハッキリとはわからないけど
呼び名や西郷四郎との比較からも
頼母は惣角より小さかったようだね。
外部リンク[html]:page.freett.com

それこそ前スレ?の本田サゴ兵衛や小弾平と同じ二つ名だし。

>頭が大きく

とあるから小人症かな。

>柔道と和歌には際立った才能が有った

とも書かれているね。

柔道?

惣角の心影修行は惣吉の伝手だから
そこまで烈しくは扱われなかった気もするね。
187: 2015/04/20(月) 04:00:25.38 ID:dVbJUdXb0(2/4)調 AAS
>>186
リンク先、拝見しました。
 
「三尺ダルマ」などという、妖怪めいた呼び名が冠されてしまっていたのですね・・・・
ロートレックの、>>185の画像と較べやすいショットですが、確かに異様ではあるものの、較べやすいだけに、更に頼母が小さいのが判ります。
画像リンク

 
小人症・・・・  だったのでしょうか。
 
だとしたら病理学史上一人しか確認されていない、「小人症でありながら名を成した(not見世物)」という、奇跡の例が、
ほかでもない我が国に、二人もいた事になります。
 
同じ日本人として、誇りを覚えてなりません。
188
(1): 日本語講座 2015/04/20(月) 04:15:52.10 ID:QXIKTpMw0(2/3)調 AAS
ロートレックは隣の人も小さく見えるね。

ただ頼母は細いのも相俟って
確かにもっと小さく見える
かな。

希少種だね。

頼母と惣角
両者のDNAを調べる手立てでもありやしないかな。
189: 2015/04/20(月) 04:22:26.62 ID:dVbJUdXb0(3/4)調 AAS
>>186
本田サゴ兵衛、確かに前スレ、お名前出していましたね。
むむむ、何やら妖怪めいた響きのある人・・・・  いつかお話下さいませ。
 
柔道は、確かに気になりますね。
とにかく「やわら」に、異常に才能があるという人は、いるのかも知れません・・・・
 
鍵吉は講座さんの仰るように、惣吉と旧知の仲だったようですから、後遺症を残すほどの扱われようは、なかったでしょうね。(失礼しました)
 
思ったのですが、遺骨をDNA解析すると、今は小人症だったか否かも、判ると云います。
惣角、頼母、ついでに惣吉の遺骨を調べたら、さまざま貴重な事実が判明するでしょうね。
190
(1): 2015/04/20(月) 04:31:24.53 ID:dVbJUdXb0(4/4)調 AAS
書いているあいだに、講座さんの>>188が入りました。
 
「DNA」という意見が、かぶりましたね・・・・
お二人とも、確か墓があったと思います。
 
道義上著しい問題があるとは思いませんので、遺骨を「借りて」、一度我国の栄誉のためにも、検査機器にかけてみてほしく・・・・
191
(2): 2015/04/20(月) 07:48:11.59 ID:558v25pS0(1)調 AAS
惣角は双子じゃなかったか?
小さいのもそれが理由なんじゃね
192
(1): 日本語講座 2015/04/20(月) 16:42:43.31 ID:QXIKTpMw0(3/3)調 AAS
>>191
そうだったの?

塚原卜伝が双子だったのは聞いたことがあるけど。
//dic.ニコビデオ.jp/a/%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8D%9C%E4%BC%9D

>>190
ちょっと笑った。

遺骨は
過去帳よりもレンタルが難しそうだね。

惣角が小人症かどうか
手が大きいのが唯一の難点なんだよね。

そうするとやはり双子かな。
193
(1): 2015/04/21(火) 23:43:58.66 ID:t0mXIchG0(1)調 AAS
合気は惣角の前からあったのだろうか?
194
(1): 日本語講座 2015/04/22(水) 03:50:34.24 ID:O9Rl1J+S0(1/2)調 AAS
言い古されていることだけど
技術的にはむろん存在したし(技術合気?)
柔術用語としても存在したね(用語合気?)。

あえて大東流との接点を考証してみると
用語合気の母体流派には例えば
外部リンク[html]:www.geocities.jp
この人がいたわけで
更には
その人が創流した分派が
外部リンク:www.jstage.jst.go.jp
これ。

んで母体流派の分布が
外部リンク[pdf]:dspace.wul.waseda.ac.jp
こう

となると西郷豆彦の

>柔道と和歌に際立った才能が〜

の柔道とは
用語合気込みで上掲の分派だった可能性がゼロでもないね。
195
(1): 日本語講座 2015/04/22(水) 17:16:16.05 ID:O9Rl1J+S0(2/2)調 AAS
リンクが巧く貼れなかったけど
外部リンク[html]:www.geocities.jp
は文字列の通り定信のサブセクションをクリック。

その師の方の創流はこのように
外部リンク:www.jstage.jst.go.jp
特異なものだったそうで。

ただここをそのまま大東流の源流とすると
今度は清和源氏の仮託が説明し切れないけどね。
196: 2015/04/23(木) 19:28:10.58 ID:KaH4aC7l0(1)調 AAS
>>191
惣勝は年齢がちがったし、名著『鬼の冠』には、一ページだけ妹が出てきますが、双子だとは書かれていなかったと思います。
でも興味深い情報です・・・・  改めて色々史料にあたってみますね。
 
>>192
ぜひ連樽・・・・  レンタルしてほしいものですね。
 
手はそうですね、よく気がつかれたと思います。
確かにその部位の大きい小人症は、ありえないのかも知れません。
 
双子は左利きになる確率が高いと云いますから、左利きの惣角は、矢張り双子だった、そして双子だったがゆえに小さかったと、考えられます。
 
>>193-195
なるほど、豆彦(w  の教えてくれた「柔道」とは、セーベークニノリの、神武柔道だったと!(※しんぶじゅうどう、と読む。ちゃんとした流派名)
合気という用語はクニノリの先輩が創ったのですし、大東流がぶっちゃけこの流派だったと考えれば、用語の伝わっていた理由もすんなり説明がつきますね。
197
(1): 透明な智から 2015/04/24(金) 03:36:37.13 ID:H3bKomhN0(1)調 AAS
>連樽

何か懐かしい響きだね。

そう言えば武聖の戦後初出って今更ながら
山田一郎の本よりも以前の史料なんだよね。

巻末に旅日記近刊とあるから
山田本にある伝説の一戦も恐らくはこの筋の情報だろうね。

>神武柔道

技法的には総てそこにあったのだろうけど
改めて確認すると厳周のアザナが三五郎だったんだよね。

すると考証通り
小説の描写はどこか真実であり
シンカゲから否定したい大きな影響を受けたことにもなって来るのかな。
198: 2015/04/25(土) 04:04:52.59 ID:fjukHccY0(1/2)調 AA×
>>197>>147

199
(1): 透明な智から 2015/04/25(土) 04:52:49.40 ID:lISpn1A60(1/2)調 AAS
さてかなり進んだね。

次に移ろう。

惣角南下の動機は桃井道場
或いは西南戦と種々囁かれているけど
いずれも中途的に発生したもので
そもそもの主因は第一次上京が中断されている点にあると思う。

というのも挨拶や添え書き入手のためだけに
強いて遠隔地から第二次上京を果たすのも考えてみれば奇矯な話しで
子弟の修行に理解のある鍵吉が
惣角の一時帰郷に際して来るべき上阪に向けて予め添え書きを持たせるのは充分あり得るし
すると第二次上京の当初の目的は上京自体にあった可能性が大きくもなる。
200
(1): 2015/04/25(土) 05:11:42.78 ID:DtCFNlRfO携(1/4)調 AAS
透明な智から=日本語講座=信夫
201
(1): 2015/04/25(土) 05:19:42.80 ID:fjukHccY0(2/2)調 AAS
>>200
あれ、ひょっとして負け犬のツクオじゃない?
生きてたの?
 
>>199
お〜、二次上京の目的は、上京自体にあった・・・・  わくわく。
ここからどう推理が展開するのか、楽しみに待っています。
202: 2015/04/25(土) 14:30:06.80 ID:DtCFNlRfO携(2/4)調 AAS
負け犬はお前だ自演レンタル
203
(1): 2015/04/25(土) 14:32:01.40 ID:DtCFNlRfO携(3/4)調 AAS
剛一への煽りが不味いと感じて改名かよヘタレww
204
(2): 透明な智から 2015/04/25(土) 16:37:02.79 ID:lISpn1A60(2/2)調 AAS
>>201
繰り返しだけど
地獄坂・・・
じゃなくて坂下から上阪するには
直接木曽入りしたほうが何倍も効率的だしね。

>>203
徳一?

それって上記史料の方の後輩のこと?
205
(1): 2015/04/25(土) 22:02:27.03 ID:DBCjevVS0(1/2)調 AAS
>>204
地獄坂、さすがに何の事だか解からなかったんですけれど(笑)、検索したら、おォ・・・・
 
かの武聖の通われていた、スーパーエリート校の門へ向かう、坂ではないですか・・・・
美しい眺めです。
画像リンク

 
今から百年前、かつて武聖も、ここを歩いて、登られていたのですね・・・・
 
惣角は、1876年末〜1877年3月の滞在中、既に桃井春蔵と試合(おそらくは竹刀スパー)で、互角だったそうです。
高一にして、この実力。
 
天才だったのかも知れません・・・・
透明な智からさんのお話の続き、楽しみにです。
206: 2015/04/25(土) 22:04:43.62 ID:DBCjevVS0(2/2)調 AAS
楽しみです。
 
でした。
207
(1): 2015/04/25(土) 23:56:12.29 ID:DtCFNlRfO携(4/4)調 AAS
>>102 >>124 >>159
208
(2): 透明な智から 2015/04/26(日) 03:42:11.78 ID:4SA9nu3/0(1)調 AAS
>>205
武聖坂だね。

武聖・・・もとい
武田惣角は第二次上京の折り
鍵吉門での有意な修行譚を聞かないことからも
目的は必然的に鍵吉門自体ではなかった。

しかし上京自体が一次的な目的だったのは
論理的に明白
と来る。

後世まで徳一・・・
じゃなくて一徳斎と確かに交流があった。

よって鍵吉門との関係性は史実のようだ。

ではここに見え隠れする上京の動機は何だろうか。

>>207
>>208って感じかな。
209
(2): 2015/04/26(日) 07:19:55.38 ID:aEdIKmAo0(1)調 AAS
惣角は一刀流と直心影流の影響どっちが濃いんだろう
210: 2015/04/26(日) 09:34:42.54 ID:7BvUwfgP0(1/2)調 AAS
>>208
>>209
一徳齋との交流があったのを、佐川氏が聞いていない筈は無いし、
また透明な智からさんが>>204に再び簡単に纏めて下さった推理は、天才なら浮かばなくもないでしょう。
 
三五郎の件も併せると、よりカゲ流の影響のほうを、少なくとも隠したいのは、窺えるのではと。
惣角ではなく、佐川氏の意向としては。
211: 2015/04/26(日) 10:12:25.43 ID:SX2DQF56O携(1)調 AAS
一人三役おつかれさん
212
(1): 2015/04/26(日) 11:56:15.00 ID:7BvUwfgP0(2/2)調 AA×

213
(1): 透明な智から 2015/04/29(水) 03:51:55.84 ID:C4aXsb+a0(1)調 AAS
>>209
ワンクッション置くと
二刀剣は明らかにシンカゲの天狗抄の影響だよね。

居合いや片手斬り
晩年の盛平の手かざしは直シンカゲの影響。

>>212
春蔵とは3−2だったともされているよね。
214
(1): 2015/04/30(木) 10:41:42.71 ID:zjtRuWYs0(1)調 AA×
>>213

215
(1): 2015/05/01(金) 21:26:56.47 ID:ts7ze3kq0(1)調 AAS
やっぱり合気は白鳳会が最高!
216
(1): 2015/05/01(金) 21:59:09.86 ID:5F6QmvTDO携(1)調 AAS
あったりまえだのケンパッチ
217
(1): 透明な智から 2015/05/02(土) 02:12:19.62 ID:Tb333Odi0(1/2)調 AAS
>>214
養気館は坂下だね。

>>215
最高峰は渋谷区(新宿区)の某会
更には同門の首都圏の某会だろうね。

>>216
興風会の前田小天狗は伝説的だね。
218: 2015/05/02(土) 10:42:35.04 ID:+650wvwa0(1)調 AAS
>>217
前田小天狗、検索したら漫画の主人公にもされた人なのですね・・・・
すごいなァ
 
画像の前田整骨院を開業し、昔は書生や乞食をタダで住まわせ、併設の柔道場(地下、34畳)は、今も連綿と続いており、小天狗の伝えた技が学べるのだそうです。
外部リンク:www.google.co.jp
 
あまりに貴重な、幻の道場ですね・・・・  東京在住だったら、武者修行に訪れたいのですが、居住地域に無理あり過ぎるのが、残念です。
219
(1): 透明な智から 2015/05/02(土) 22:47:45.72 ID:Tb333Odi0(2/2)調 AAS
現況は流石に知らなんだ。

どうも!

若?先生も九段らしいね。
220: 2015/05/02(土) 22:50:24.09 ID:qwyU3JrvO携(1)調 AAS
村井珍八らしいらしい
221
(1): 透明な智から 2015/05/03(日) 00:37:48.92 ID:HuT3E47U0(1)調 AAS
親子で九段は新記録だね。
222
(1): 2015/05/07(木) 01:11:18.71 ID:lNZbo7MF0(1/2)調 AAS
僕はいつも、合気を探してテクテク歩いている。
冷えたブナの森の中を、暗い北の湖のほとりを。
合気はどこにあるのか。
どこかで気が燃えだしてくれないか、枯れ腕が炎を噴いてくれないかと期待しながら。
いつも一人で、いつまでもいつまでも歩いている。
草地に散り敷いたブナの枯葉の上にひざまずき、身を折って、ぼくは何度も地面に額を押しつけた。
古い城の塔の頂きに立ち、湖を見つめて祈ってもみた。
でも合気には出会えなかった。
 
約束の地に戻ってから、人はみな合気を探した。
しかし世界を焦がす業火の中に、合気は無かった。
世界を滅ぼす大地震の中にも、合気は無かった。
嵐の中にも、地を揺する強風の中にも、合気は無かった。
 
しかし、木々をそよがせる黄昏の微風の中に、合気はあった。
 
自然の中にすべての啓示は現れる。
数式や真理の中、芸術の内にも。
それらは磨き抜いた鏡だから。
神の意志はそういうものに映る。
人格を持つ神を、僕は信じない。
223
(5): 2015/05/07(木) 01:36:27.17 ID:lNZbo7MF0(2/2)調 AA×
>>219>>221

224: 透明な智から 2015/05/07(木) 18:16:58.53 ID:XftLZlxI0(1)調 AAS
>>222
確かにtechtech歩くべきものだね。

>>223
武聖も恐らくは講道館史上の
新記録のホルダーだしね。
225
(1): 2015/05/07(木) 22:58:46.70 ID:UF2fWdCO0(1)調 AAS
>>223
惣角がいつ合気に気がついたのかも入れてくれ
佐川は1919年らしいが
226: 2015/05/08(金) 07:27:15.86 ID:UGrZ24eSO携(1)調 AAS
自演は続くよ〜♪いつまでも〜♪
227: 2015/05/08(金) 07:48:42.37 ID:LEkAJROa0(1)調 AAS
佐川はホラだらけや
228: 2015/05/08(金) 15:22:08.07 ID:A6ArfUZg0(1)調 AAS
じゃあ本物は誰よ?
229: 透明な智から 2015/05/09(土) 00:59:20.38 ID:Ut/Jmv610(1/3)調 AAS
他スレによるとNさんという人のが上らしい。
230: 2015/05/09(土) 02:51:28.46 ID:g/APgqh90(1/2)調 AAS
>>225
それは惣角の足跡を、従来無いほど事細かに辿る事で、自ずと浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 
「従来無いほど」というのが、ここでは大事なのです。
たとえば、お書きの1919年という数字は、世間に流布する佐川氏ご自身の証言、「17歳で―― 」を元になさったのでしょう。
 
しかし注意深く情報元を眺めれば、あの本は一貫し、数えで歳が書かれていて、実際には16歳か満15、年代は1918年なのが、判ります。
231: 透明な智から 2015/05/09(土) 03:23:23.98 ID:Ut/Jmv610(2/3)調 AAS
確か年末だっけか。

いずれにせよ
Nさんは不動だね。
232
(1): 2015/05/09(土) 04:16:29.71 ID:g/APgqh90(2/2)調 AAS
フランツリストというかたをご存知ですか?
 
ハンガリー出身、史上最高と称えられるピアニストです。
大変な美形で知られたものの、背は185センチと巨人で、指が人の倍の長さがあるとまで云われた手が、武器になっていたそうです。
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打鍵の威力が凄まじく、弦は切れ、ハンマーが折れてしまうので、演奏会には三台のピアノが並べられた事も。(補欠)
 
しかし次第にそういう荒い事は無くなり、より表現力という方向へ進まれたそうです。

「指が5本ついている手が二つあると思うな。
 身体から10本の指が生えていると思え」
 
誰をも無料で指導した、リストの技術論です。
このスレで繰り返しテーマになってきた器用論、合気論にも通じるものが、ありそうですね・・・・
 
最後に、これは技術論に較べ、大事な話か判りませんが、リストの人間性に関する逸話を、紹介します。
 
ある時、リストの弟子という偽の肩書きを持った人に、リストが会いました。
その人が、嘘をついていたことをリストに謝ると、リストは、「弾いて聴かせてください」と言います。
あまり上手な演奏では無かったが、聴き終わると、リストは言いました。
「さァこれであなたは、リストの弟子だと胸を張って言っていいですよ」
233
(2): 透明な智から 2015/05/09(土) 22:38:23.20 ID:Ut/Jmv610(3/3)調 AAS
おおー
こんな鮮明な写真が・・・

ってそこかい!

手と指という概念を超えれば
そこまて手の威力が出るんだね。

そしてそれだけ精神の包容力も
身体の浅い部分で滞らずに深みが持てる。

リストにしろ
Nさんにしろ
とかく
精神がいいや。
234
(1): 透明な智から 2015/05/10(日) 23:34:03.22 ID:T/FR4jx/0(1)調 AAS
そこまで
だったね。
235
(1): 2015/05/11(月) 13:39:35.81 ID:gJPG3dYh0(1)調 AAS
>>233
武田惣角の師爺、男谷精一郎は、君子の剣と称えられました。
剣の聖(ひじり)、剣聖とも。
 
さしずめリストは、鍵聖ですね。
 
Nさんは、チンオスレの情報によると、柔道の(元)国体選手だったそうです。
野球も得意でいらっしゃるらしく、そんな運動能力の塊が、伝統武林にいる事自体が、驚きでした。
236
(2): 透明な智から 2015/05/11(月) 23:22:54.05 ID:5hg813Ub0(1)調 AAS
>これであなたは
>リストの弟子だ

>さしずめリストは
>鍵聖

一瞬
鍵吉と読み違えた私は只のオタクとして

あいつには教えていないのだから百年経ってもわからん
とかの誰かに教えたい説話だね。

ひじりと言えば昨日は
武星の命日だったね。

コメントしなんだ。
237: 2015/05/14(木) 07:21:24.28 ID:9NRF5n870(1)調 AAS
>>236
鍵吉w
 
―――剣聖は、鍵吉の家が苦しいのを見て、指導に一切、報酬は貰わなかったそうです。
鍵聖と同じですね・・・・
 
惣角はまだ、剣聖や鍵聖の域には達されていなかったのでしょう。
鍵吉は、師の「武のこころ」を、惣角に伝えなかったんですかね・・・・
 
ぶ、武星とは・・・・?
五月十日がご命日に、どなたかいたかな・・・・
 
以前、チンオスレに、キリストと命日が同じというかたの話が出て、その例も未だ判らないのですが、どうにせよこういう話は単純に面白いです。
238: 透明な智から 2015/05/14(木) 09:07:36.88 ID:udw5bbH/0(1)調 AAS
惣角も角聖へと昇華して欲しいところだね。

ああ角聖は先客が居たっけか。
239
(1): 2015/05/21(木) 08:22:32.69 ID:3aZhjRvc0(1)調 AAS
佐川氏の鍛錬のメニューには、腕立てや素振りに混ざって、「合気」があったらしいです。
 
遺された日記に、「腕立て千回、合気○○回」といったような記述があったと。
興味深いですね。
 
対人稽古と違い錬体、すなわち独りでやる運動で、合気はどのようにして抽出され、鍛えられたのでしょう。
240
(1): 2015/05/21(木) 09:48:18.94 ID:8L8YZrtY0(1)調 AAS
佐川爺の年寄りの冷や水だわな

老人性膝関節症でヨレヨレだったもんな。
241: 2015/05/21(木) 11:07:33.67 ID:u0IluT4l0(1)調 AAS
佐川をカルトにしたのは一部の狂信的ネラーたちでもある
 
バカは何でも宗教にするからな。
242
(2): 2015/05/21(木) 11:27:12.06 ID:YneV/dBX0(1)調 AA×

243
(1): 透明な智から 2015/05/21(木) 14:36:50.41 ID:uuxiRym30(1)調 AAS
>>239
興味深い情報だね。

前腕の上をバーベルを転がすとかかな。

佐川邸ってバーベルはあったっけ?

>>242
すげえ!

ちゃっかり親鸞の鸞が入っているとかウケルんですけど。
244
(1): 黒魚老師 2015/05/21(木) 14:56:44.98 ID:Ope3AOsv0(1)調 AAS
>240、241
しつこい性格は女性に
一番嫌われるのは理解しているかね。
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