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765: 2022/05/30(月) 12:52:28 ID:LBctpW9x(1/13)調 AAS
1997年の2月から5月にかけ、5人の小学生が被害を受け、2人が死亡し、2人が重軽傷を負った[5]。犯人は事件当時、神戸市立友が丘中学校に在学していた中学3年生の少年A(当時14歳)で[6]、殺人・殺人未遂などの容疑で神戸家裁へ送致され[7]、同家裁(井垣康弘裁判官)の決定により関東医療少年院へ長期収容されたが[8]、関東地方更生保護委員会から「約6年半の矯正教育により、事件の要因となった性的サディズムなどは改善され、再犯のおそれはなくなった」と判断されたため、逮捕から約6年9か月後の2004年(平成16年)3月10日に仮退院を認められ、社会復帰した[9]。事件現場は以下のように、須磨ニュータウン(神戸市営地下鉄西神・山手線:名谷駅の南方)に集中していた。
767: 2022/05/30(月) 12:52:42 ID:LBctpW9x(2/13)調 AAS
第一事件 - 1997年2月10日16時35分ごろ、須磨区中落合一丁目1番の「落合第3団地」402号棟南側路上(座標)で[10]、市立南落合小学校6年生の女児2人(いずれも当時12歳)の後頭部をそれぞれ金槌で殴り、うち1人に全治1週間の怪我を負わせた(傷害罪・暴行罪)[11]。
第二事件 - 1997年3月16日12時25分ごろ、須磨区竜が台二丁目1番の神戸市住宅供給公社35号棟西側路上(座標)で、市立竜が台小学校4年生女児(当時10歳)の後頭部をハンマー (1.5 kg) で殴り、1週間後(3月23日)に脳損傷で死亡させた[12](第二-1事件:殺人罪)[11]。またその10分後(12時35分ごろ)、須磨区竜が台五丁目20番の竜が丘公園(座標)北側路上で、同校3年生女児(当時9歳)の腹部をくり小刀(刃体の長さ約13 cm)で刺し、全治2週間の怪我を負わせた[12](第二-2事件:殺人未遂罪)[11]。
第三事件 - 5月24日昼過ぎごろ、市立多井畑小学校付近の路上で、同校6年生男児(当時11歳)と偶然出会い、須磨区友が丘9丁目22番地の「タンク山」山頂にあったケーブルテレビ中継アンテナ基地付近(座標)まで誘い出した上で、14時ごろに自分の履いていた運動靴の紐で絞殺[13]。翌25日13 - 15時ごろに基地内で遺体を頭部と胴体部とに切断[14]、胴体部分を基地局舎の床下に、頭部は27日未明に友が丘中正門前(座標)にそれぞれ遺棄した[7](殺人罪、死体損壊・遺棄罪)[11]。
通り魔的犯行や遺体の損壊が伴った点、特に被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれた点、地元新聞社に「挑戦状」が郵送された点など、強い暴力性が伴なう特異な事件であった。また、犯人がいわゆる「普通の中学生」であった点も社会に衝撃を与え、少年法改正(2000年)のきっかけとなった。

兵庫県警察は聞き込み捜査の結果、少年Aが動物虐待行為をたびたび行っていたという情報や、被害者男児と顔見知りである点などから、比較的早期から彼に対する嫌疑を深めていたが、対象が中学生であるため、捜査は極めて慎重に進められた[4]。
769: 2022/05/30(月) 12:55:40 ID:LBctpW9x(3/13)調 AAS
岡庭容疑者は、高校2年生の16歳だったちょうど10年前に「連続通り魔事件」を起こしている。2011年11月18日、三郷市の路上で中学3年生の女子生徒のあごを包丁で突き刺して怪我を負わせ、2週間後の12月1日には隣接する松戸市の路上で小学2年生の女児の脇腹など数カ所を刺して重傷を負わせている。岡庭容疑者はこのときに、こう供述していた。

「人を殺してみたかった」

それ以前から身近にいる小動物の虐待を繰り返し、高校にネコの生首を持ち込んで騒ぎになったこともあった。それだけではなく、三郷市内の自動車やバイクに放火を繰り返していた。岡庭容疑者は、通り魔事件で逮捕されると、家裁から検察に逆送され、2件の殺人未遂罪のほかに、放火やネコ2匹を殺したという動物愛護法違反などを合わせて、13の罪で起訴されている。

それですぐに思い浮かぶのが、神戸連続児童殺傷事件、俗にいう「酒鬼薔薇事件」だ。
773: 2022/05/30(月) 12:58:58 ID:LBctpW9x(4/13)調 AAS
1997年5月27日早朝、神戸市須磨区の中学校の正門に、切断された子どもの頭部が放置されているのが発見された。3日前から行方不明になっていた近隣に住む11歳の男児のものだった。

耳まで切り裂かれた口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗る犯行声明文が挟まれていた。それだけでも衝撃だったが、1カ月後の6月28日に容疑者として逮捕されたのが当時14歳の少年だったことは、日本中を震撼させた。

さらに少年は児童を殺害する以前の同年2月1日には須磨区の路上で女児2人をショックレス・ハンマーで殴り、1人に重傷を負わせていた。翌3月16日には、須磨区の公園で当時小学4年生の女児を金槌で殴って殺害。その直後に、別の小学4年生の女児の腹部を刃渡り約13センチの小刀で刺して重傷を負わせている。

それ以前の小学5年生くらいから、カエルなどの解剖をはじめ、その対象が次第にネコに移っていった。それがやがて人間へと辿り着く。のちに家庭裁判所の医療少年院送致決定の中でも、「ネコ殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展した」と指摘されていた。まさに、岡庭容疑者を彷彿とさせる。

岡庭容疑者は精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断され、医療少年院に送られることになった。その少年院を出所した翌年に、今回の事件を引き起こしている。
774: 2022/05/30(月) 12:59:09 ID:LBctpW9x(5/13)調 AAS
1997年5月27日早朝、神戸市須磨区の中学校の正門に、切断された子どもの頭部が放置されているのが発見された。3日前から行方不明になっていた近隣に住む11歳の男児のものだった。

耳まで切り裂かれた口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗る犯行声明文が挟まれていた。それだけでも衝撃だったが、1カ月後の6月28日に容疑者として逮捕されたのが当時14歳の少年だったことは、日本中を震撼させた。

さらに少年は児童を殺害する以前の同年2月1日には須磨区の路上で女児2人をショックレス・ハンマーで殴り、1人に重傷を負わせていた。翌3月16日には、須磨区の公園で当時小学4年生の女児を金槌で殴って殺害。その直後に、別の小学4年生の女児の腹部を刃渡り約13センチの小刀で刺して重傷を負わせている。

それ以前の小学5年生くらいから、カエルなどの解剖をはじめ、その対象が次第にネコに移っていった。それがやがて人間へと辿り着く。のちに家庭裁判所の医療少年院送致決定の中でも、「ネコ殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展した」と指摘されていた。まさに、岡庭容疑者を彷彿とさせる。

岡庭容疑者は精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断され、医療少年院に送られることになった。その少年院を出所した翌年に、今回の事件を引き起こしている。
775: 2022/05/30(月) 12:59:27 ID:LBctpW9x(6/13)調 AAS
1997年5月27日早朝、神戸市須磨区の中学校の正門に、切断された子どもの頭部が放置されているのが発見された。3日前から行方不明になっていた近隣に住む11歳の男児のものだった。

耳まで切り裂かれた口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗る犯行声明文が挟まれていた。それだけでも衝撃だったが、1カ月後の6月28日に容疑者として逮捕されたのが当時14歳の少年だったことは、日本中を震撼させた。

さらに少年は児童を殺害する以前の同年2月1日には須磨区の路上で女児2人をショックレス・ハンマーで殴り、1人に重傷を負わせていた。翌3月16日には、須磨区の公園で当時小学4年生の女児を金槌で殴って殺害。その直後に、別の小学4年生の女児の腹部を刃渡り約13センチの小刀で刺して重傷を負わせている。

それ以前の小学5年生くらいから、カエルなどの解剖をはじめ、その対象が次第にネコに移っていった。それがやがて人間へと辿り着く。のちに家庭裁判所の医療少年院送致決定の中でも、「ネコ殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展した」と指摘されていた。まさに、岡庭容疑者を彷彿とさせる。

岡庭容疑者は精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断され、医療少年院に送られることになった。その少年院を出所した翌年に、今回の事件を引き起こしている。
776: 2022/05/30(月) 12:59:50 ID:LBctpW9x(7/13)調 AAS
名古屋大女子学生の殺人事件とも共通点がある

実は、岡庭容疑者のように「人を殺してみたかった」という理由で人を殺して、精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断された、まったく同じケースがほかにもある。

名古屋大学の当時19歳だった女子学生が、宗教の勧誘で知り合った老女(当時77)を殺害した事件だ。2014年12月7日、2人で宗教団体の集会に参加したあとに、女子学生が「聞きたいことがたくさんある」と自宅アパートに誘い、そこで用意した斧で頭部を殴り、マフラーで首を絞めるなどして殺害している。

「人が死ぬところを見たかった」

そう供述したこの殺人事件の捜査の過程で、さらに女子学生は高校時代に同級生の男子生徒と中学時代の同級生の女子生徒の2人に、劇物の硫酸タリウムを飲ませていたことが発覚。「他人に硫酸タリウムを飲ませて中毒の症状を見てみたかった」というのが理由だった。2人は死に至らずとも、タリウム中毒の傷害を負っている。

また「焼死体を見てみたい」との理由から、実家のあった仙台市内の民家に、2度にわたって放火していたことも発覚している。放火は岡庭容疑者も一緒だ。
777: 2022/05/30(月) 13:01:42 ID:LBctpW9x(8/13)調 AAS
彼はなぜ凶行に及んだのか。医療少年院を退所した'04年以降、どんな人生を歩んだのか。これまで明かされなかった真実を、現在32歳となった元少年A自ら綴っている。

告白は、少年Aが逮捕された日からはじまる。

〈一九九七年六月二十八日。僕は、僕ではなくなった。陽なたの世界から永久に追放された日。それまで何気なく送ってきた他愛ない日常のひとコマひとコマが、急速に得体のしれない象徴性を帯び始めた日。「少年A」—それが、僕の代名詞となった〉

少し紹介しただけでも分かるように、「手記」と呼ぶには文学的すぎる表現が目立つ。事件の動機について綴った「原罪」と題された章には、このように記されている。

〈僕はこれから、精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んできた自らの?原罪?ともいえる体験を、あなたに語ろうと思う〉

少年Aが逮捕された当時から、犯行の動機として、小学5年生の時に最愛の祖母を亡くしたことで人間の生死への感覚が歪んでしまったことと、彼が抱える異常な性的衝動が注目されてきた。

手記では、本人自ら、その性的衝動が殺人へと結びついていった心の動きを語っている。

〈祖母が亡くなってからも、僕はよく祖母の部屋へ行き、祖母と一緒に過ごした想い出に浸った〉

彼は、祖母の部屋の押し入れから祖母が愛用した按摩器を見つけ、それを性器に押し当てたことで、精通を経験したのだと本書で告白している。

〈僕のなかで、?性?と?死?が?罪悪感?という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった〉

彼は、自ら〈冒涜の儀式〉と名づけたその自慰行為に耽っていく。そして同じ頃、〈きれいに洗ったマーマレードの空き瓶にナメクジを集め始めた〉。ナメクジの解剖に夢中になる少年A。

さらに祖母が遺した愛犬・サスケが老衰で死んだことが、多感な中学生の生死の感覚を、揺さぶっていく。亡き愛犬の遺したエサを貪る野良猫に激昂し、カッターナイフで惨殺。その時覚えた〈黒い性衝動〉が、彼を狂気へ導いていった。
779: 2022/05/30(月) 13:04:38 ID:LBctpW9x(9/13)調 AAS
彼は、自ら〈冒涜の儀式〉と名づけた

その自慰行為に耽っていく。

そして同じ頃、

〈きれいに洗ったマーマレードの空き瓶にナメクジを集め始めた〉。

ナメクジの解剖に夢中になる少年A。

さらに祖母が遺した愛犬・サスケが老衰で死んだことが、

多感な中学生の生死の感覚を、揺さぶっていく。亡き愛犬の遺したエサを貪る野良猫に激昂し、
カッターナイフで惨殺。

その時覚えた〈黒い性衝動〉が、彼を狂気へ導いていった。
780: 2022/05/30(月) 13:05:10 ID:LBctpW9x(10/13)調 AAS
〈次から次に近所の野良猫を捕まえては様々な方法で殺害〉していったが、

〈中学に上がる頃には猫殺しに飽き、次第に、「自分と同じ?人間?を壊してみたい。その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、寝ても覚めても、もうそのことしか考えられなくなった〉

そしてページは、'97年3月16日、彼が女子児童2人を襲った日へと進む。

〈ハンマーで頭を殴った彩花さん(当時十歳)は、頭蓋骨を陥没骨折する大怪我を負い、意識不明の重体で病院へ運ばれ、そのまま回復することなく一週間後の三月二十三日に亡くなった。彩花さんを襲った直後、別の女の子(当時九歳)の腹部をすれ違いざまにナイフで刺し、全治二週間の怪我を負わせた〉

この事件が報道されても、誰も彼の犯行だと気づかなかったことが、事態を悪化させる。

〈あれは夢だったのか?

僕は現実には何もしていないのか?

どこまでが現実でどこからが現実でないのかわからなくなった〉

手記は、日本人の脳裏に刻まれた、あの事件へと続いていく。

〈一九九七年五月二十四日、僕はタンク山で淳君を殺害した〉

2日後、タンク山に隠した淳君の頭部を、家に持ち帰った少年Aは、冒頭の「行為」に及んだ。
781: 2022/05/30(月) 13:05:44 ID:LBctpW9x(11/13)調 AAS
〈二〇〇四年三月十日。事件から七年目の二十一歳の春、僕は六年五か月に及んだ少年院生活を終え、社会に出た〉

7年足らずの更生期間がはたして十分なものだったのか、本人自身は言葉を記してはいない。

退院後、およそ1ヵ月間の東京でのホテル暮らしを経て、更生保護施設に入所。派遣会社に登録し、最初に紹介された仕事が、オフィスでの荷物運びだった。

〈人生初の労働だった。キツかった。とにかくキツかった。肉体的にも、精神的にも〉

ビル清掃や廃品回収の仕事などをするうち、更生保護施設内で「元少年A」であるという身元がバレて、身を隠すシーンもある。そんな彼に大きな転機が来る。

〈二〇〇四年五月中旬。僕は東京を離れ、最終居住先である篤志家のYさんの家に移ることになった〉

しばらく後、プレス工として働きはじめ、'04年いっぱいで保護観察期間が終わってからは、Yさんの家を出て職場の近くで独り暮らしを始める。もちろん、Aにとって初めての独り暮らしだ。Yさん夫婦や弁護士のサポートを受けながら仕事をこなす日々の中、〈ある抑え難い想いが、徐々に熱を帯び始めた〉。

〈事件から八年。僕は、他人が自分に着けた?色?をすべて刮ぎ落とし、今度は自分で自分に?色?を着けるために、長い旅に出た〉

食事に興味がなく、カップラーメンと冷凍食品のみの食生活。休日はジョギングと図書館通い。仕事を辞めた彼は、貯めたカネを持って独り暮らしをしたアパートを出る。

彼はアパートの退去手続きに来た不動産業者とのやりとりを詳細に綴っているが、もちろん、その業者は相手が少年Aであったことを知らない。

カプセルホテルに泊まりこむ生活をしばらく続けた後、'05年の冬、寮付きの建設会社で契約社員として働き始める。しかし'09年6月、リーマン・ショックの余波を受け解雇。〈突然解雇を言い渡された時にはさすがにショックを受けた〉。その後は日雇い労働を転々とする。

〈この時期の記憶は断片的にしか残っていない。おそらくストレス性の健忘ではないかと思う。僕は過度にストレスがかかるとしばしば記憶がトンでしまうことがある〉

'09年9月、少年院で覚えた溶接工の仕事になんとか就いた。そしてこの時期に、三島由紀夫と村上春樹を片っ端から読み漁ったという。この手記の文体にも、その影響が色濃く表れている。
782: 2022/05/30(月) 13:06:34 ID:LBctpW9x(12/13)調 AAS
仕事場には、頼れる先輩や、可愛い後輩もできた。しかし彼は、過去に許されない罪を犯した自分が、他人に受け容れられていいのか—そんな自意識に苦しんだと告白。結局、'12年冬、溶接会社に辞表を提出した。

〈会社を辞めてからは、自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた。記憶の墓地を掘り返し、過去の遺骨をひとつひとつ丁寧に拾い集め、繋ぎ合わせ、組み立て、朧に立ち現れたその骨格に、これまでに覚えた言葉で丹念に肉付けしていった〉

そうして、仕事もせずに執筆したのが、『絶歌』だった。巻末には、「被害者の家族の皆様へ」と題された、謝罪と反省の言葉が収められている。

〈自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。

本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません〉

出版を受け、土師淳くんの父親・守さんは「今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」と語った。その声をどう考えるか、前出の担当編集者・落合氏に訊ねたところ、以下のような答えが返ってきた。

「出版について事後報告になってしまったということのお詫びと、なぜ自分がそうまでしてこの本を出すかということについて説明した著者の手紙と、本そのものをご遺族にお送りしています。

本と手紙とを、合わせて読んで頂きたいと思っています。もちろん、その上で差し止めなどの求めがあれば、改めて対応を検討したい」

初版10万部。各地の書店で売り切れが相次いでいるが、「印税の使い道は本人に任せており、出版社からは何も提案していない」(落合氏)という。

自分が生きるために手記をまとめたという元少年A。手記が売れていることで少なからぬカネも手に入るだろう。これで区切りは付いたとばかり、そのカネで彼はこれまでと同様、素姓を隠して生きていく。>>778の生首が見たい
783: 2022/05/30(月) 13:06:44 ID:LBctpW9x(13/13)調 AAS
仕事場には、頼れる先輩や、可愛い後輩もできた。しかし彼は、過去に許されない罪を犯した自分が、他人に受け容れられていいのか—そんな自意識に苦しんだと告白。結局、'12年冬、溶接会社に辞表を提出した。

〈会社を辞めてからは、自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた。記憶の墓地を掘り返し、過去の遺骨をひとつひとつ丁寧に拾い集め、繋ぎ合わせ、組み立て、朧に立ち現れたその骨格に、これまでに覚えた言葉で丹念に肉付けしていった〉

そうして、仕事もせずに執筆したのが、『絶歌』だった。巻末には、「被害者の家族の皆様へ」と題された、謝罪と反省の言葉が収められている。

〈自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。

本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません〉

出版を受け、土師淳くんの父親・守さんは「今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」と語った。その声をどう考えるか、前出の担当編集者・落合氏に訊ねたところ、以下のような答えが返ってきた。

「出版について事後報告になってしまったということのお詫びと、なぜ自分がそうまでしてこの本を出すかということについて説明した著者の手紙と、本そのものをご遺族にお送りしています。

本と手紙とを、合わせて読んで頂きたいと思っています。もちろん、その上で差し止めなどの求めがあれば、改めて対応を検討したい」

初版10万部。各地の書店で売り切れが相次いでいるが、「印税の使い道は本人に任せており、出版社からは何も提案していない」(落合氏)という。

自分が生きるために手記をまとめたという元少年A。手記が売れていることで少なからぬカネも手に入るだろう。これで区切りは付いたとばかり、そのカネで彼はこれまでと同様、素姓を隠して生きていく。
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