[過去ログ] 【無職転生】理不尽な孫の手 総合183【六面世界の物語】 (1002レス)
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197: 2020/09/21(月) 21:08:03 ID:hHX1wPUR(1)調 AAS
6月、新日本プロレスの単発興行「WRESTLE LAND」に邪道・外道とトリオを組み、「北海道」のリングネームで出場[1]。
7月8日にディファ有明で開催された総合格闘技イベント「MOVE ON! Kings!」で総合格闘技に初挑戦する予定であったが、腰のヘルニア悪化および右肩腱鎖関節損傷のため欠場した[2]。
新日本プロレスに参戦し正規軍の一員として戦う。
2008年
TNAへミラノコレクションA.T.とともに遠征。
しかし、TNAでは一試合も試合をすることなく予定を早めて帰国をしたことが公式サイトで明らかになった。
帰国後、ミラノの技・ロープパラダイスやギミックである透明犬(後に「ミケコ」と命名)を真似するようになり、ミラノとの抗争に発展しシングルマッチが2度組まれるがいずれも敗北。
11月、犬猿の仲といわれたミラノと和解し、タッグチーム「ユニオーネ」を結成。同タッグとしてG1 TAG LEAGUEに初出場するも、一勝のみにとどまった。
2009年
1月4日、レッスルキングダムIIIの第0試合に出場。同年より新日本プロレスの所属となった[1]。
4月よりリングネームを「石狩太一」から「タイチ」へと改名。
6月のBEST OF THE SUPER Jrでは2年ぶりに出場を果たした。
6月20日、DOMINION6.20にて、IWGPジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けて、Apollo 55(田口隆祐 & プリンス・デヴィット組)と対戦。「タイチ」コールを沸き起こす奮闘を展開したが、最後は田口のどどんでピンフォール負けを喫した。
7月20日、月寒大会において王座奪還に成功したApollo 55の初防衛戦の相手としてIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦するが、パートナーのミラノがピンフォールを奪われ、奪取はならなかった。
タイチのパートナーであるミラノが目の負傷で長期欠場した(後に引退)。
11月下旬からは金本浩二とタッグを結成した。
メキシコ遠征 編集
2010年
1月19日、CMLLへの長期遠征が発表された。
2月15日、メキシコへ出発。
19日(現地時間)にアレナメヒコ大会のセミファイナルに初登場し内藤哲也、レイ・メンドーサ・ジュニアと組んでストロングマン、ミステル・ニエブラ、マキシモ組と3本勝負で激突しストレート勝ちを収めた。
3月21日、アレナコリセオ大会で対戦相手のラ・マスカラのマスクを剥いだことから因縁が勃発。
5月7日、棚橋弘至、OKUMURAと組んでラ・マスカラ、イホ・デル・ファンタズマ、エクトール・ガルサ組とCMLL世界トリオ王座を賭けて対決し、これに勝利して同王座に載冠、タイチにとって初のベルト奪取となった。
21日の初防衛戦にて同王座に陥落、短命政権に終わった。
23日、マキシモのキス攻撃を受けてしまったことから因縁が勃発した。
6月6日、CMLLのビッグイベントの一つとされているシン・サリダ興行のメインイベントでカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチとしてマキシモと対戦し、メインイベントを務める。試合はパワーボムでピンフォール負けとなり、丸坊主になったがCMLLに参戦した日本人レスラーの中でも異例となる短期間での大出世であり、メキシコのプロレス界において一躍有名となった。
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