[過去ログ] 【無職転生】理不尽な孫の手 総合183【六面世界の物語】 (1002レス)
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196: 2020/09/21(月) 21:06:55 ID:xIpFgsw7(1)調 AAS
2005年 編集
1月4日東京ドーム大会のメインイベントにて中邑と初めてシングルマッチで対戦。腕ひしぎ十字固めに敗れ、長らく保持したU-30王座から陥落。試合後に涙を流しながら退場した[21]。2月16日、全日本プロレス主催の国立代々木競技場・第二体育館大会に参戦し、かつて付き人を勤めていた武藤敬司とシングルマッチで対戦したがムーンサルトプレスに敗北[21]。4月、新設されたトーナメント戦、NEW JAPAN CUP(以下「NJC」)で優勝[21]。さらに6月、中邑がU-30王座を返上したことで行われた王座決定リーグ戦を全勝で突破し、U-30王座に返り咲くことに成功[21]。7月18日にはNOAH東京ドーム大会に参戦し、力皇猛の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦したが敗北した[21]。

一方タッグでは、中邑と共に前年12月に獲得したIWGPタッグ王座の防衛戦で数々のタッグチームを撃破。同タッグでCMLLにも参戦するなど、タッグ戦線に新風を巻き起こしてきたが、10月30日神戸ワールド記念ホール大会にて蝶野正洋 & 天山広吉組に敗れタッグ王座から陥落[22]。試合後、中邑と別々に退場しタッグ解消を宣言し[22]、11月3日後楽園大会にて中邑と共に永田 & 中西組と対戦。中邑が中西から逆十字固めでギブアップ勝ちを収めた[22]。試合後に棚橋は「お互い違う道を通って上を目指して行く」と、1年近く共闘してきたパートナーとの決別を改めて宣言した。

2006年 編集
パートナーの中邑と袂を分かち、この年より棚橋はシングルプレーヤーに転向。1月にTNAに遠征しAJスタイルズ、ロデリック・ストロングとシングルマッチを行いいずれも敗北を喫してしまったが、現地関係者よりその躍動感溢れるファイトスタイルから「ハイフライングスター」と呼ばれ高い評価を受けた[22]。遠征先での試合を生かした棚橋は、2月5日の月寒グリーンドーム大会で初めて中邑からシングル初勝利を飾り[22]、19日両国大会では永田からも初勝利を収め、次なる目標としてIWGPヘビー級王座に標的を定めた。6月7日にブロック・レスナーが保持するIWGP王座に挑戦することが発表され、それに伴い自ら保持していたU-30王座を返上[23]。しかしタイトルマッチ2日前に迫った7月15日、レスナーが契約上のトラブルを理由に来日不能となり、それに伴いタイトルマッチの中止が決定。17日月寒大会にて急遽行われた新王者決定トーナメントに出場し、決勝戦でジャイアント・バーナードをスリング・ブレイドで破り、IWGP王座初戴冠を果たした[注釈 2][23]。多事多難の中、3度目の正直でようやく手にしたベルトを腰に巻いた棚橋は、観衆に向けて「愛してます」と涙ながらに絶叫した[23]。

2007年 編集
4月13日大阪大会にて永田のバックドロップホールドに敗れIWGP王座から陥落[24]。さらに5月1日の試合後に右膝半月板損傷および内側側副靭帯損傷のため欠場[24] となり、上半期は思うような結果が残せずに苦しんだ。7月26日、G1開幕を控えた棚橋は洒水の滝に訪れ、2004年以来となる滝修行を敢行[24]。修行後の囲み取材で「これを機に一気にスターダムへとのし上がります!」と、力強く決意を述べた[25]。8月、6年連続でG1に出場。予選を勝ち抜き決勝トーナメントに進出を決めた棚橋は、同月12日の準決勝戦で真壁、決勝戦で永田を破り、悲願のG1初制覇を成し遂げた[24]。G1を制覇した棚橋は次なる標的としてIWGP王座に狙いを定め、10月8日両国大会にてIWGP王座を保持する永田と再び対戦。ハイフライフローで勝利を収め、約半年ぶりにIWGP王座に返り咲くことに成功した[24]。

翌9日、一夜明け記者会見の場で結婚していたことを明らかにした[26]。
197: 2020/09/21(月) 21:08:03 ID:hHX1wPUR(1)調 AAS
6月、新日本プロレスの単発興行「WRESTLE LAND」に邪道・外道とトリオを組み、「北海道」のリングネームで出場[1]。
7月8日にディファ有明で開催された総合格闘技イベント「MOVE ON! Kings!」で総合格闘技に初挑戦する予定であったが、腰のヘルニア悪化および右肩腱鎖関節損傷のため欠場した[2]。
新日本プロレスに参戦し正規軍の一員として戦う。
2008年
TNAへミラノコレクションA.T.とともに遠征。
しかし、TNAでは一試合も試合をすることなく予定を早めて帰国をしたことが公式サイトで明らかになった。
帰国後、ミラノの技・ロープパラダイスやギミックである透明犬(後に「ミケコ」と命名)を真似するようになり、ミラノとの抗争に発展しシングルマッチが2度組まれるがいずれも敗北。
11月、犬猿の仲といわれたミラノと和解し、タッグチーム「ユニオーネ」を結成。同タッグとしてG1 TAG LEAGUEに初出場するも、一勝のみにとどまった。
2009年
1月4日、レッスルキングダムIIIの第0試合に出場。同年より新日本プロレスの所属となった[1]。
4月よりリングネームを「石狩太一」から「タイチ」へと改名。
6月のBEST OF THE SUPER Jrでは2年ぶりに出場を果たした。
6月20日、DOMINION6.20にて、IWGPジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けて、Apollo 55(田口隆祐 & プリンス・デヴィット組)と対戦。「タイチ」コールを沸き起こす奮闘を展開したが、最後は田口のどどんでピンフォール負けを喫した。
7月20日、月寒大会において王座奪還に成功したApollo 55の初防衛戦の相手としてIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦するが、パートナーのミラノがピンフォールを奪われ、奪取はならなかった。
タイチのパートナーであるミラノが目の負傷で長期欠場した(後に引退)。
11月下旬からは金本浩二とタッグを結成した。
メキシコ遠征 編集
2010年
1月19日、CMLLへの長期遠征が発表された。
2月15日、メキシコへ出発。
19日(現地時間)にアレナメヒコ大会のセミファイナルに初登場し内藤哲也、レイ・メンドーサ・ジュニアと組んでストロングマン、ミステル・ニエブラ、マキシモ組と3本勝負で激突しストレート勝ちを収めた。
3月21日、アレナコリセオ大会で対戦相手のラ・マスカラのマスクを剥いだことから因縁が勃発。
5月7日、棚橋弘至、OKUMURAと組んでラ・マスカラ、イホ・デル・ファンタズマ、エクトール・ガルサ組とCMLL世界トリオ王座を賭けて対決し、これに勝利して同王座に載冠、タイチにとって初のベルト奪取となった。
21日の初防衛戦にて同王座に陥落、短命政権に終わった。
23日、マキシモのキス攻撃を受けてしまったことから因縁が勃発した。
6月6日、CMLLのビッグイベントの一つとされているシン・サリダ興行のメインイベントでカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチとしてマキシモと対戦し、メインイベントを務める。試合はパワーボムでピンフォール負けとなり、丸坊主になったがCMLLに参戦した日本人レスラーの中でも異例となる短期間での大出世であり、メキシコのプロレス界において一躍有名となった。
198: 2020/09/21(月) 21:10:04 ID:tjcssdOD(1)調 AAS
入門以前 - 練習生時代 編集
学生時代は陸上競技に打ち込み、中学生時代にG1 CLIMAX2002の決勝戦である蝶野正洋 vs 高山善廣戦を観てプロレスラーになることを志す。2008年に八王子実践高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受けるも不合格に終わる。翌2009年に再度入門テストを受けて合格を果たし、新日本に入団した。同期にはキング・ファレ、三上恭佑がいた。因みに練習生時代、新日本主催のスーパーJカップにてセコンドに付いた際、DDTプロレスリング所属の男色ディーノの入場パフォーマンスで行われるディープ・キスの被害を受けており、これがヒロムのファーストキスだった。

新日本プロレス 編集
2010年8月24日、新世代育成プロジェクトNEVERにて、高橋は三上恭佑を相手にプロデビューを飾った。しかし、試合は三上の逆エビ固めの前にギブアップ負けを喫した。

2011年2月24日NEVER.5にて、DDTプロレスリングの平田一喜と対戦。小林邦昭直伝のフィッシャーマンズスープレックス・ホールドでプロ初勝利を挙げる[2]

2011年4月、BEST OF THE SUPER Jr.(以下BOSJ)の予選として行われたROAD TO THE SUPER Jr.に出場した。一回戦ではDDTプロレス所属の石井慧介と対戦するも、ダブルアームDDTで敗戦した。そして7月13日、高橋は新日本のヒールユニット、CHAOS所属の矢野通によって頭髪をハサミで切られる被害に遭い、さらに9月19日の永田裕志 vs ヒデオ・サイトーの試合後に矢野が永田を襲撃し、永田を身を挺して守ろうとした際に高橋は矢野に再度ハサミで髪を切り落とされてしまった。この矢野の暴挙に激怒した高橋は、矢野に一騎討ちを要求して同月21日にシングルマッチが組まれ矢野と対戦、高橋も意地を見せるが最後は矢野の鬼殺しでピンフォール負けを喫した。高橋はその試合後、矢野にバリカンで髪を刈られてしまった。

2012年5月26日、BOSJ前日記者会見において突如姿を現し、ブラック・タイガーの欠場により空位となった出場枠に参戦させてほしいと菅林直樹社長に直訴した。結果として参加が認められ、念願であったBOSJに緊急出場することとなった。リーグ戦ではBブロックにエントリーし、なかなか勝利に恵まれなかったものの、最終戦である6月9日名古屋大会で鈴木軍のTAKAみちのくからピンフォール勝ちを収め、価値ある1勝を手に入れた。9月23日、DESTRUCTIONにて、井上亘とのタッグで桜庭和志 & 柴田勝頼組と対戦するが秒殺された[3]。10月27日、台湾台北にて行われた全日本プロレス & 新日本プロレス創立40周年記念大会"We are Prowrestling LOVE!in TAIWAN"にて、真田聖也と対戦したがTHiS iS iTを決められ敗戦した[4]。

2013年2月17日、DDTプロレスリングが主催するDDT Into The Fight 2013にて、坂口征夫と対立していた獣神サンダーライガーのパートナーに指名され、初の外敵として他団体に参戦。坂口 & 彰人と対戦し、彰人にフィッシャーマンズ・スープレックスを決めて勝利を収めた[5]。5月18日、TAJIRIが主宰するレスリング・ニュー・クラシック(Wrestling New Classic、略称 : WNC)に参戦。児玉ユースケと対戦し、フィッシャーマンズ・スープレックスを決めて勝利した。同月24日、BOSJに2年連続で出場するもAブロックで全戦全敗、0点という結果に終わった[6]。6月9日、後楽園ホールにて行われた同大会最終戦にて中西学とのタッグで永田裕志 & 渡辺高章組と対戦。渡辺から逆エビ固めでギブアップ勝ちを収め、試合後イギリスへ遠征することをファンの前で発表した[7]。

海外遠征 編集
イギリス 編集
6月14日、4FW(4 Front Wrestling)にて海外デビューし、みちのくプロレス所属の剣舞とのタッグチーム、トーキョートルネードを結成。15日、レボリューション・プロレスリング(Revolution Pro Wrestling、略称 : RevPro)にて、ダグ・ウィリアムスと対戦するが敗戦した。10月18日、4FW & みちのくプロレスによる合同イベントにて、4FWジュニアヘビー級王座を保持する剣舞と対戦するもベルトを奪取するに至らなかった。11月29日、RPWにて元TNA所属であるマーク・ハスキンスと対戦するが敗戦。同月30日、ドイツの団体であるwXw(Westside Xtreme Wrestling)にてバッド・ボーンズと対戦するが敗戦した。
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