[過去ログ] ☆。.:*・゜森内俊之 Part73.。.:*・゜☆ [転載禁止]©2ch.net (1001レス)
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1(3): 2015/04/18(土) 19:09:17.24 ID:CXdhfWxZ(1/8)調 AA×
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2chスレ:bgame
4: 2015/04/18(土) 19:11:05.30 ID:CXdhfWxZ(2/8)調 AAS
・1970年10月10日生まれ。同学年には、羽生、郷田、丸山、藤井、先崎がいる。
・体重は4075g、身長は55cmと非常に大きかったため、大変な難産だった。
・祖父は京須行男八段。奨励会の幹事を務めたこともあったが、
当時の奨励会には中原、米長、大内、河口などが在籍しており、何かと苦労が多かったようだ。
・小学校3年生の時に将棋と出会う。その後、すぐに将棋に夢中になり、
学校から帰ると「将棋世界」誌を読みながら、京須八段の形見の駒を動かしていた。
・1981年1月6日、新宿で開かれた小田急将棋まつりの小学生大会の予選2回戦で
同じ小4で後にライバルとなる羽生善治と初めて対戦し、ツノ銀中飛車で勝利する。
しかし、3日後に行われた本戦の準決勝で再戦し、今度は完敗する。
・1981年8月、友達になった羽生に誘われ、東京都下小学生名人戦に参加するため八王子まで行くが、
神奈川県在住だったため参加することが出来ず、観戦だけして帰った(優勝は羽生少年)。
その姿を見た主催者が不憫に思い、翌年から規定が変わって、県外からの参加もオープンになった。
・1982年4月、小学生名人戦にてTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」という
ADの言葉を勘違いして、将棋まで同じ様に指してしまい、惨敗。優勝した羽生とは対戦できなかった。
・1982年8月、規定が変わった東京都下小学生名人戦に参加。
決勝で小学生名人の羽生を204手の泥仕合の末に下し、優勝する。
・1982年12月、奨励会を受験。入会試験で、負ければ不合格の対局を3連勝して合格(その内の1勝は林葉から)。
・奨励会1級の頃に、高柳道場で時の名人だった中原誠と対局し、大熱戦を演じる。
後年、中原は「ひっぱり込むような受けをされ、負かされそうになった。これは強くなると思いました」と語った。
・奨励会三段の頃に、島朗から研究会の誘いを受ける。もう1人のメンバーに郷田を推薦するか、
佐藤康光を推薦するか迷うが、結局、佐藤を推薦し、さらに羽生を加え、最終的には4人で研究会を結成。
・1987年5月13日、四段に昇段し、プロ棋士になる。翌月に三段リーグが復活したことで、
現在のところ、三段リーグを戦わずに四段になった最後の棋士となっている。
5(1): 2015/04/18(土) 19:11:57.36 ID:CXdhfWxZ(3/8)調 AAS
・四段昇段時のインタビュー。
── 目標は?
森内 「名人です」
── 尊敬する棋士は?
森内 「米長九段」
── ライバルは?
森内 「羽生善治、佐藤康光、先崎学」
ちなみに、好きなタレント・歌手は、「南野陽子、Wink」と答える。
・デビューから土付かずの9連勝を記録し、その勢いで新人王戦を制覇。
さらに、早指し新鋭戦でも2年連続で、決勝で羽生を下し、連覇を達成。
・中学と高校は、サレジオ学院(男子校)に在籍。
カトリック系の学校の生徒という理由で、加藤一二三九段に一方的に親近感を持たれる。
・高校生ながら年収が600万円を超えていたため、月の小遣いとして10万円もらっていた。
・1989年3月、谷川浩司名人を2勝1敗で下して、全日本プロトーナメントを制覇。
最終局の観戦に来ていた升田幸三は「四段が名人に勝っちゃいかん」と言っていたが、
実は、「若手No.1は森内」と高く評価していた。
また、高校生・四段が名人を番勝負で負かすのは前代未聞で、「フォーカス」誌は、
「東の正横綱を十両12枚目が破ったようなもの」と報じた。
・同世代の学生との交流を求めて、慶應義塾大学のクイズ研に参加。
棋士であることを明かさなかったため、サークルのメンバーには、フリーターだと思われていた。
・プロ棋士になって揮毫する機会が増えたため、書家に弟子入りする。
平日の昼間から来ていたため、先生には、深夜労働の長距離トラック運転手だと思われていた。
・1990年、竜王戦4組で吉田七段と対戦。羽生竜王に挑戦すべく気合いを入れて臨んだが、
必勝の将棋を逆転負け。終局後、吉田七段に「君は詰みが読めなかったの?」と煽られる。
怒りを静めるために、気温5℃の中、自宅の青葉台までの30kmを5時間かけて走破。
6: 2015/04/18(土) 19:12:43.33 ID:CXdhfWxZ(4/8)調 AAS
・1993年、全日本プロトーナメントで河口俊彦と初対戦し、36手で瞬殺。
河口は「私より大駒1枚強い」と語っていたが、実際には、もっと差があると思われる。
・順位戦で26連勝を記録し、C2からB2まで一気に昇級するが、
すでに8連敗で降級が決まっていた佐伯八段に敗れ、9勝1敗ながら頭ハネを食う。
・志村けん、渡辺徹、佐藤康と4人で飲んだ時、他の3人が行き先の店の電話番号を
忘れて困っているところを、スラスラと電話番号を答えて、その記憶力に感心される。
・タイトル戦初登場は1996年の名人戦。その開幕局で封じ手時刻の30秒前に着手。
大盤解説をしていた米長邦雄が「宣戦布告だ!」と叫び、緊張感は最高潮に達したが、
局後に「封じ手が気になって食事ができないから」と意外な理由を明かした。
この事件の後から、封じ手時刻は“100年に1秒も狂わない”という超精密時計を用意して決めることになった。
・第4局では、さらに際どく、封じ手時刻の5秒前に着手して関係者を驚かせる。
そして、その将棋でタイトル戦初勝利をあげる。途中で金銀8枚を全て手にしての勝利だったため、
翌日の新聞に「高額納税者の羽生七冠王を金欠にさせた」と書かれる。
・第5局は、大逆転負け。感想戦で羽生に「この形が詰まないことは10年前から知っていました」と言われ驚く。
初のタイトル戦は1勝4敗に終わったが、全局が大熱戦で名人戦史上最高の内容と今も讃えられる。
・七冠王の羽生が、約8割の確率で先手番を取ることに疑問を抱き、自宅で振り駒実験を行う。
・米長が自慢にしていた米長邸の菜の花畑を見せられるが、「立派なレンゲですね」と言って凹ませる。
・加藤一二三には対局中に何度も背中に回られている。
・棋士仲間と雀荘に行き、席に座っていると、女装したオカマ店員に声をかけられる。
何と、その店員は小学生名人戦の準決勝で敗れたときの対戦相手で、実に20年ぶりの再会だった。
7: 2015/04/18(土) 19:13:26.22 ID:CXdhfWxZ(5/8)調 AAS
・羽生の嫁のおにぎり屋に通っているところを頻繁に目撃され、関係者に不思議がられる。
・羽生と佐藤康と三人でアタック25のパネルの開け方を共同研究した後、
深夜の雨の中、首都高を運転初心者の佐藤の車で爆走し、死にそうになる。
・1999年、久しぶりにタイトル戦に登場。相手が羽生棋王だったこともあり、
気合が入っていたが、対局中に記録係の飯島栄治に熟睡される。
・TBSの「史上最強のクイズ王決定戦ライブ」において、林葉直子が九州地区の
タレントゲストで目立ちまくっている中、関東地区の一般参加者の中でひっそり敗退。
・2001年に「クイズ・ミリオネア」に「森内俊之(30)、職業:団体職員」の紹介で
一般人として登場。最後の並べ替えクイズで撃沈。
・A級順位戦の先崎戦で棋士人生初の寝坊。しかし、電車の接続に恵まれ、63分のマイナスで済む。
その対局に勝って勢いをつけ、挑戦権を獲得し、さらに名人を奪取、さらに婚約も発表。
・まきは夫人とは、行方尚史がセッティングした合コンで知り合った。
また、関根十三世名人以降続いていた、「永世名人になるには見合い結婚」という法則も破った。
・名人就位後、NHK将棋講座の講師を務める。講師は初めてで気合が入っていたが、
始まってすぐに、講師の座を聞き手の千葉涼子に奪われる。
・2003年、羽生との名人戦において、夕食休憩でカレーを食べ終えた後、
再開後に、一手も指さず投了するという奇妙な行動をとり、“カレー投了”と揶揄される。
・無冠になった後、竜王戦で勝ち進み、中原誠と挑戦者決定戦で対決。
「羽生−中原のタイトル戦が観たい」という多くの声をものともせず、会心の指し回しで中原を圧倒。
・2004年にA級順位戦で9戦全勝の快挙を達成。最終戦で負かした島はB1に降級。
その後に行われた打ち上げ麻雀でも、国士無双を決めて、島を圧倒。
8: 2015/04/18(土) 19:15:42.86 ID:CXdhfWxZ(6/8)調 AAS
・2003〜2004年にかけて、羽生から、竜王・王将・名人と3連続タイトル奪取に成功。
最優秀棋士賞を初受賞し、獲得賞金も1億円を突破した。
・2004年、竜王戦(森内−渡辺)の前夜祭で、乾杯の音頭を担当した加藤一二三が、
片手にマイク、片手にグラスを持ち、「乾杯!」と甲高い声で叫び、
何故かマイクを高々と揚げた姿を見て、ビールを吐きそうになる。
・2005年3月、10年ぶりにアタック25に登場。「あ、はなみ」の勝負手が炸裂して、優勝。
・2005年、名人戦第5局で羽生を相手に相横歩取りを採用するために、
「羽生の頭脳9巻(激戦!横歩取り)」で予習するが、本に載っていない変化になり、惨敗。
・2005年、名人としてコンピューター選手権で優勝したYSSと対決し、角落ちで圧勝。
・2006年、通算1000対局目で羽生から棋王位を奪取。
・2006年、名人戦で谷川と対局中にトイレのドアが開かなくなり閉じ込められる。
数分後に、近くを通りかかった観戦記者が気付くが、「公平を期すため」という理由で放置される。
・2007年、名人戦で郷田が扇子を鳴らすのにイラついて抗議。口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。
・そのシリーズで、郷田を4勝3敗で下し、名人通算5期達成。十八世名人の資格を得る。
・小さい頃から可愛がっていた妹が結婚。感慨で胸が一杯になっていたが、
結婚式の日を一日勘違いして、式の途中で呼び出される。
・木村一基と対戦した際、顔を真っ赤にして指していたため、後に木村に
「よほど一生懸命に指してくれたのかなと思い、嬉しかった」と言われたが、
「あの時は花粉症で・・・」とあっさり答え、木村をガッカリさせる。
・チェスのルールを教えてくれた先生を教わった直後のゲームで破る。
9: 2015/04/18(土) 19:21:14.00 ID:CXdhfWxZ(7/8)調 AAS
・殆どの棋士が薄ぼんやりとした脳内将棋盤しか持っていない中、
オールカラー超リアル型の脳内将棋盤を所有。
駒も盤も立体的で書体も変更可能なうえ、背景も自室と対局室で変更できる。
・公式戦で初手▲1六歩でも▲9六歩でも勝っている数少ない棋士のうちの一人である。
・棋士同士で食事した時、ジャンケンで負けた者が全額払いという習慣があったが、
「大金がかかると心理的にグーが出しにくい」など、色々と細かく分析して、
実際、かなり強かったため、ジャンケンを廃れさせ、コイントスへ移行させる。
・「ご自身の恋愛を将棋に例えると、どういう棋風?」と訊かれ「鉄板流」と答える。
・トランプの大富豪や花札やモノポリーで遊ぶ時も常に真剣。出たカードを全て記憶し、
相手が何を持っているか、などをすぐに推測するので仲間を驚かせることもしばしばである。
・下北沢名人戦の会場で、飯野健二が遠くにいた弟子を手招きで呼ぶと、
間にいた森内が近付いて来て、慌てさせる。
・宴会で隣に座っていた加藤一二三が「入玉模様の将棋が苦手」というと
「以前、先生に入玉模様の将棋を232手で負けています」と返し、
手数まで記憶していることに加藤も驚嘆。
・郷田ですら達成していない7タイトル戦の全てで挑決敗退しているが、
一方で番勝負の最終局は9勝2敗と高勝率で、勝負強いのか弱いのか分からないとされる。
・喫茶店でオムライスを食べていると、エレファントカシマシの宮本にサインをねだられる。
・羽生−渡辺の王座戦を現地解説していたとき、対局終了時刻が夜中になったので、
勉強に訪れていた加藤桃子に名人用に手配されていた部屋を譲り、終電で帰宅する。
・小学生名人戦の解説中に、対局後の敗者の子供に勝ち筋を指摘して泣かす。
・「自陣飛車の似合う棋士は?」という質問で最も多くの票を集める。
・家族で人狼をした際、人狼になった時に嬉しさのあまり吹き出してしまい、すぐにバレる。
10: 2015/04/18(土) 19:23:52.67 ID:CXdhfWxZ(8/8)調 AAS
・大和証券杯での感想戦で
森内俊之 > 尾車川の振り飛車側の?振り振り
森内俊之 > OK?
森内俊之 > 直りました^^
……という意味不明なコメントを残す。
・永井英明氏の盤寿を祝うパーティーの帰り、エレベータに乗ったが、
定員オーバーになり、将棋関係者しかいないのに降ろされる。
・2008年のJT杯で佐藤康光と対戦。久し振りのライバル対決に気合いが入っていたが、
対局会場の前で受付嬢に一般観戦者用のパンフレットを渡される。
・2008年の名人戦第3局で、見落としから急所の銀を抜かれ、30cm(※推定値:深浦の目視による)飛び上がる。
・2011年の名人戦では、最終局を迎えた時点で、羽生が公式戦8連勝中、自身は公式戦5連敗中という状況だったが、
会心の指し回しで名人復位を果たす。
・2012年の名人戦で羽生のリターンマッチを受ける。羽生がA級を9戦全勝し、絶好調なのに対し、
自身は公式戦11連敗するなど絶不調だったが、下馬評を覆し、4勝2敗で防衛を果たした。
・2012年、唯一の弟子である竹俣紅が女流2級としてプロ入りする。
・達人戦で加藤一二三と対戦した際、モスグリーンのスーツを着て行き、
加藤の闘志を吸収して、二手指し・反則負けに追い込む。
・JTこども大会に長男が出場した際、受付嬢に「保護者の方は名前を記入してください」と言われる。
・2013年、神奈川イメージアップ大賞を受賞。その後に行われた名人戦でも羽生を退け、3連覇を達成。
・2013年、竜王戦で渡辺明を降し、9年振りに竜王・名人になる。
・さらに、その2日後、矢内の結婚式で竜王の座から追いやった渡辺を
自らのテーブルからも追い出す(実際に追い出したのは中村修)
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