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【整形上等】紺野美奈子PART45【もの凄く綺麗に】 (1001レス)
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878
: 2008/08/10(日) 20:23:38
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878: [sage] 2008/08/10(日) 20:23:38 ID:mMMvgrCc 弔辞 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。 あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。 赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。 終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。 自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。 お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。 あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。 しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。 たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。 あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。 それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。 すなわち、「これでいいのだ」と。 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。 軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。 最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。 そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。 あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。 それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。 しかし、今、お礼を言わさせていただきます。 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 私もあなたの数多くの作品の1つです。 合掌。 平成20年8月7日、森田一義 http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/avideo2/1217467541/878
弔辞 8月2日にあなたの報に接しました6年間の長きにわたる闘病生活の中でほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター私たち世代に強烈に受け入れられました10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした 何年か過ぎ私がお笑いの世界を目指して九州から上京して歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時にあなたは突然私の眼前に現れましたその時のことは今でもはっきり覚えています 赤塚不二夫が来たあれが赤塚不二夫だ私を見ているこの突然の出来事で重大なことに私はあがることすらできませんでした 終わって私のところにやってきたあなたは君は面白いお笑いの世界に入れ8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろそれまでは住むところがないから私のマンションにいろとこう言いました 自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのですそれにも度肝を抜かれました それから長い付き合いが始まりましたしばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをしいろんなネタを作りながらあなたに教えを受けましたいろんなことを語ってくれました お笑いのこと映画のこと絵画のこと他のこともいろいろとあなたに学びました あなたが私に言ってくれたことはいまだに私にとって金言として心の中に残っていますそして仕事に生かしております 赤塚先生は本当に優しい方ですシャイな方です麻雀をする時も相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れてツモでしかあがりませんでしたあなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません その裏には強烈な反骨精神もありましたあなたはすべての人を快く受け入れましたそのためにだまされたことも数あります金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります しかしあなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません あなたは私の父のようであり兄のようでありそして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありましたあなたは生活すべてがギャグでした たこちゃんたこ八郎さんの葬儀の時に大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち出棺の時たこちゃんの額をぴしゃりと叩いてはこの野郎逝きやがったとまた高笑いしながら大きな涙を流していました あなたはギャグによって物事を動かしていったのです あなたの考えはすべての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され軽やかになりまた時間は前後関係を断ち放たれてその時その場が異様に明るく感じられますこの考えをあなたは見事に一言で言い表しています すなわちこれでいいのだと 今2人で過ごしたいろんな出来事が場面が思い浮かんでいます 軽井沢で過ごした何度かの正月伊豆での正月そして海外へのあの珍道中どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした 最後になったのが京都五山の送り火ですあの時のあなたの柔和な笑顔はお互いの労をねぎらっているようで一生忘れることができません あなたは今この会場のどこか片隅でちょっと高い所からあぐらをかいてひじを付きニコニコと眺めていることでしょう そして私におまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろと言ってるに違いありません あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません 私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした私はあなたに生前お世話になりながら一言もお礼を言ったことがありません それは肉親以上の関係であるあなたとの間にお礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのですあなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました しかし今お礼を言わさせていただきます 赤塚先生本当にお世話になりましたありがとうございました 私もあなたの数多くの作品の1つです 合掌 平成20年8月7日森田一義
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