[過去ログ] 【細田守】未来のミライ15 (525レス)
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338(4): (ワッチョイ bba8-KlbM [124.87.130.109]) 2018/08/27(月) 22:58:47.24 ID:b+0ebTsz0(1/3)調 AAS
>>334
この記事だね。
キネマ旬報 2018年9月上旬号 No.1788
外部リンク[aspx]:www.kinejun.com
> 企画・作品特集
> 2018年 アニメーション映画のゆくえ
> 対談 石岡良治×土居伸彰 ■構成・文=高瀬司
冒頭で、新海誠の「君の名は。」以前のポストジブリの急先鋒・細田守の最新作「未来のミライ」について
論評(世界観も演出も全然褒めてない)した後、新海誠作品やそのフォロワー作品、
「別の」作品として、山田尚子、岡田麿里、高畑勲の後継者として片渕須直、など他の作品を幾つか論評して、
また「未来のミライ」に戻って来るのだが、
> このまま自作脚本を続けるのであれば、ポストジブリという重圧から離れたところで、自伝中心の
> 中規模作家のようなポジションで、「未来のミライ」パート5とかを作っていくようになっても面白い
> かもしれない。
とか、サクッと“ポストジブリからの脱落”を宣告されていたりする。
339: (アウアウカー Saff-HfN7 [182.251.243.46]) 2018/08/27(月) 23:13:53.72 ID:FKJkTFT4a(1)調 AAS
>>338
未来のミライの続編がアリなら、
みんなが待ち望んでいた未来ミライ×小学生高学年くんちゃんのカップルが実現しそう
342(1): (ワッチョイ 5f0a-PcWx [115.37.52.229]) 2018/08/27(月) 23:21:50.18 ID:VTO9Ko+Z0(2/2)調 AAS
>>338
これもう「お前はもう好き勝手にやれよもう知らん」と言っているようなもんじゃんw
345: (ワッチョイ bba8-KlbM [124.87.130.109]) 2018/08/27(月) 23:49:01.28 ID:b+0ebTsz0(3/3)調 AAS
>>338の対談は、「未来のミライ」にトドメを刺した後、
「ペンギン・ハイウェイ」を論評して終わるのですが、
対談の内容的には日本のアニメに限らず、世界のアニメーションに対する
展望なので、ウェス・アンダーソンの「犬ヶ島」、
セバスチャン・ローデンバックの「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」など、
外国作品に関しても論評していますが、
論理的に「未来のミライ」を凹るのに便利な資料になっておりますので、
細田アンチ、特に「未来のミライ」アンチの方にはおススメの1冊になっております。
是非お手元に...と言いたいところですが、ジャニオタが買い漁った為、
店頭またはKINEJUN ONLINE SHOPの少ない在庫しかないのでお早めに。
407(4): (ワッチョイ bba8-KlbM [124.87.130.109]) 2018/08/28(火) 12:04:01.00 ID:YCYnDTba0(1/8)調 AAS
>>338の記事。「未来のミライ」のナイーブさ から
石岡 (略)その一方で、新海誠の「君の名は。」(16)以前は、細田守がポストジブリの急先鋒と見なされていたわけです。もともとジブリ
アニメが映画業界の見立てに合致しやすかった理由としては、俳優を声優として起用していることも大きかったと思いますが、細田守アニメは
キャスティングが巧みで、アニメ声優と俳優をシームレスに共存させることに長けていました。さて、今回の「未来のミライ」はいかがでした?
土居 僕としては、「未来のミライ」が描く世界はナイーブすぎるというのが率直な感想です。既存の日本や家族と言う単位を疑わず、まるで
それが唯一の正義であるかのように描かれている。僕はアヌシー(国際映画祭)で最初に観たのですが、他のコンペ作品がそういった枠組みを
懐疑的に眺めるものが多かったこともあり、余計に強く感じました。
石岡 細田守自身の私的な問題を描くという、すごくパーソナルな領域に閉じているということですか?
土居 きわめてドメスティックで同質的な世界になっているということですね。さらには、その立ち位置を一歩引いて批評的に眺める視点が
弱い。ただ、そういうベタさ、メタ視点の欠如は、ポストジブリないしは新海誠以後のアニメーション映画の風景として定番化してもいますね。
宮崎駿や高畑勲は人間の問題を垂直的な立ち位置から、構造として扱おうとしてきたとするならば、ポストジブリにはその意識がなくなって
いる。
石岡 なのに「人間」を仮構していると。
土居 そうです。メタ視点を欠くため、結果的に、キャラクターの主体がみえずらい(原文ママ)ものになっている。そうなってしまうと、
ポノックの「メアリと魔女の花」(17)に顕著だと思うんですが、宮崎駿やジブリが残した遺産をもとにどれだけアニメーションを持続させるか、
というだけのものに見られてしまう。厳しい見方をすれば、違う価値観を作り出すことなく、旧来の価値観を突き放すことができていない。
石岡 細田守は公的な発言では、家族の多様化に対応した作品を志向しているようですけど。僕が「未来のミライ」で気になったのは、彼が
東映時代の「チカ子の噂でワニワニ!?」(『ひみつのアッコちゃん[第3期]』第14話、1998)や「どれみと魔女をやめた魔女」
(『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』第40話、2002)でやっていたようなキレのいい演出が感じられなかった点ですね。つまり「同ポ」
(同一ポジション)と呼ばれることもある、同じ構図を繰り返し用いたシャープな絵作りや、画面のフレーミングをしっかり作り込むことで、
作中で起こっていることに対してクールに距離を取るというスタンスも大幅に削がれてしまっていました。特に脚本を自分でやるようになって
その傾向が強くなっているように思います。
今回それを一番強く感じたのは、主人公のくんちゃんがイマジナリーな世界と繋がるときのトリガーになっている空間演出に関してです。
最初の何回かは、庭をグルッとパンするカメラワークによって「くんちゃんの生きている世界は物理的には狭いんだけども、同時にそれは
極めて広い想像の世界に通じているのだ」という、児童文学でいう『おしいれのぼうけん』(作:ふるたたるひ・たばたせいいち)みたいな
ワクワク感を期待させるところがあったのですが、作品総体としては、トリガーはあくまでもくんちゃんの心理的な要因に置かれていて、
家という舞台の空間的な狭さが活かされなかったきらいがあります。ほかにも前半でくんちゃんが遊んでいたプラレールと、後半のスーパー
東京駅の場面がメタフォリカルにしか繋げられていなかったり、かつて得意としていた映像演出がうまく機能しなくなっている印象を受けました。
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