あゆはやっぱり髪はロングが… (254レス)
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36: 2016/10/25(火) 01:41:55.15 AAS
正田家と黒田家(紀宮様のご降嫁先)は偶然というかつながりがあるようです。
正田富美子さんの実父 福島綱雄:江商(後の兼松江商、現兼松)の上海支店長
黒田慶樹さんの祖父:上海貿易の会長
福島綱雄氏は佐賀県多久市出身、江頭豊氏も佐賀出身、と書いてありました。
(こちらは個人的にあまり嬉しくない縁ですなぁ。)
(ソース:『美智子皇后と雅子妃』 p.101-102 文春新書 2005年)
ソースになかった黒田慶樹さんの祖父の名は、黒田慶太郎(明治15年生)です。
『系図でみる近現代』HPの 第29回 黒田家 より。
この回の家系図は、週刊新潮11月25日号(2004年か)『祖父が上海の「棉花紳士」だった「黒田家の家柄」』、
文藝春秋2005年1月号、満州人名辞典でまとめられた、と書いてあります。
「テープカットの宮様」と呼ばれていたのは三笠の長老殿下ですよ。
「戦後の内廷皇族に非ずんば皇族に非ず」とでも言いたげな
経済的問題で三笠宮殿下は5人の子供を育てる為にハサミを手にして頑張っていたんです。
一時期は運転手もおらず公共交通機関で仕事に行っていたそうです。
内廷外皇族の自助努力まかせの皇室経済法が寛仁親王殿下を追いつめたとも言えるんですよ
53: 2016/10/25(火) 13:53:22.15 AAS
今上夫妻のご成婚の年にあったのが、伊勢湾台風です。
昭和天皇のご成婚は関東大地震で延期。
地震と台風は多いんだから、いちいち関連づけなくてもイイのでは?
週刊文春 2006.8/17・24号
「94年、佳子さまを身ごもられた直後に皇室内でバッシング。
ある皇族が「皇太子に遠慮なく二人目をお作りになるなんて」と紀子さまに直接苦言を呈された」
小田嶋隆 ?@tako_ashi
「きこさまをディスってください」(大意)という電話をかけてきた週刊○○のことは忘れない。
2013年6月3日 - 22:23
画像リンク
79: 2016/11/07(月) 13:35:19.15 AAS
まず「皇太子家に近い元皇族」という、ありえない人物が
「愛子様は学習院初等科でトップクラスの成績」と証言。
それに基づいて受験の専門家が
「学習院のトップクラスなら偏差値72くらい」という。
が、学習院とはもとは公家の公立学校で、
皇族や旧華族にとってはやはり公立学校状態。
中学高校大学から入る庶民は、それなりに勉強が出来ないと無理だから
偏差値が高くもなるけれど、
幼稚園からの内部組には偏差値など関係ない世界でのんびりしているもので、
中等科以降は、勉強のできる外部進学と血筋のよい内部の人で
なんとなく分かれるという世界。
皇族の学力を偏差値で測るなど、まったく無意味。
しかも、初等科では愛子様は
課題も試験も持ち帰りで提出だったというから、
成績トップというのもなあ…
121: 2016/11/09(水) 22:59:26.15 AAS
川嶋家は、江戸時代から和歌山市の本町8丁に居を構え、市内の府中、粟地区に広大な土地や田畑を所有し、
多くの小作人を抱え庄屋等の役職を多年務めた旧家である。
辰彦で9代目となる。川嶋家が所有していた土地は戦後の農地改革で没収されたが、
同市黒岩に川嶋家がかつて所有していた山が残っている。その山は、地元の人たちの間で今も「川嶋山」と呼ばれている[3]。
川嶋家の菩提寺・専念寺の古河英雄住職によれば、そもそも川嶋家のルーツは、
現在の和歌山市を拠点に江戸時代から手広く海運業を営んだ有田屋であるという[4]。
当主は代々庄右衛門を世襲した。明治初期に当主となった6代目庄右衛門には跡継ぎとなる男子がいなかったため、
長女の志まの婿養子を探した。そこで目に留まったのが、和歌山県有田郡安諦村(現・有田川町)の農家・松浦平吉の三男で、
当時東京高等師範学校に在学していた松浦力松であった。
松浦力松は、庄右衛門から「庄」の一字をもらって1894年(明治27年)3月21日に庄一郎と改名し、
3月25日に庄右衛門の長女・志まと結婚した。
外部リンク:ja.wikipedia.org
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和歌山市はアメリカ軍の大空襲を受けて市内の90%が消失したが、川嶋家の菩提寺には先祖代々の墓があり過去帳も残っている。
小和田家の本籍地である村上市は空襲も受けなかったのに、金吉以前の先祖は判らない。
佐賀市の木原地区も戦災は受けなかったのに、江頭嘉蔵の素性やそれ以前の家系は判らない。
一体どういうこっちゃ?
219: 2021/11/20(土) 21:25:00.15 AAS
美智子皇后の支配力は”奥”ばかりでなく”表”にも及んでいます。
ことあるごとに宮内庁長官や次長を呼びつけて、直接細かな支持を出しているらしいですからね。
昭和天皇も時代はいわゆるよきにはからえ方式で、実質的には長官をはじめとする官僚がコントロールできたんですが、今は何をやるにも美智子様の承認が必要なんです。
長官なんてメッセンジャーボーイ同然で、何の決定権もなくなっている」
それも天皇家内部のことだけでなく、天皇が公式行事でいつどこに行くかというスケジュール、宴会の開催、
その招待客やメニューというきわめて政治的な判断まで美智子皇后がやっているというのだ。
本来、長官の権限である侍従や女官の人事権も実際は美智子皇后が握っているのだという。
その典型が昭和から平成に代替わりした翌年の女官長交代劇だろう。
「皇太子妃時代から20年以上、仕えてきた松村淑子女官長が突如
「健康上の理由」で辞職したんですが、これは美智子皇后の意向で
クビになったという見方がもっぱらですね。
その後も女官のクビを次々とすげ替えている。
画像リンク
228: 2021/11/21(日) 01:06:57.15 AAS
皇室典範
第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
? 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
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