[過去ログ] 【rfc】ラジオ福島 part11 [無断転載禁止]©2ch.net (233レス)
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163(2): (ワッチョイ bf82-ajdi) 2017/03/22(水) 18:57:22.62 ID:84OnvSx90(1/2)調 AAS
外部リンク[html]:www.tokyo-np.co.jp
外部リンク:archive.is
福島の声 伝え続けた 月曜夜7〜9時の地元ラジオ番組終了
2017年3月22日 夕刊
東日本大震災後、福島県の現状や問題を発信し続けたラジオ番組が二十七日に終わる。
ラジオ福島の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから!」。
ゴールデンタイムの生放送だが、CMはなく、被災者らの声を取り上げてきた。
定年後のアナウンサーの熱意が、被災地の実情を伝える番組を支えた。 (井上能行)
番組は毎週月曜日の夜七時から九時まで、オープンスタジオにゲストを招き、トークするスタイル。
進行役はアナウンサーの大和田新(あらた)さん(61)。
ラジオ福島所属だった二〇一一年三月十一日午後三時前、東日本大震災が起きた。
午後四時ごろ、仕事先から戻ると、翌朝までマイクの前で県民に語りかけた。「一緒に朝を迎えましょう」
震災後の混乱の中、福島の情報を伝えるトーク番組が始まり、一二年四月、「月曜…」のタイトルに。
県外避難者にも伝えようと、インターネットの動画共有サービス「ユーストリーム」でも視聴できるようにした。
大和田さんは一五年三月の退職後も、フリーアナウンサーの立場で進行役を務めた。
ゲストは多彩で、福島県知事や国会議員、東京電力の役員、津波の被災者、
東電との損害賠償訴訟原告団の弁護士、地元の大学生や高校生…。
ほとんどは大和田さんがインタビュー取材をした後、出演を依頼した。
「本当に福島のことを考えていること」が条件だという。インタビューした相手は延べ二千人を超える。
大和田さんは番組内でリポートするため、毎週、被災地に足を運ぶ。
きっかけは、リスナーからの手紙だった。津波の大被害に遭った相馬市の悲惨な状況を訴え、
「現場を見てから物を言え」と結ばれていた。 ◎
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322)
164(3): (ワッチョイ bf82-ajdi) 2017/03/22(水) 18:57:54.34 ID:84OnvSx90(2/2)調 AAS
>>163
大和田さんは優しい笑顔で、ゲストから話を引き出す。本番中に涙を流すこともある。
政治家や東電幹部には「本当にできるんですか」と、厳しい質問を投げ掛ける。
津波で家族を亡くした南相馬市の男性の元に、東電福島復興本社の代表を連れて行ったこともある。
「月曜…」の中で一二年十二月に放送した「請戸(うけど)小学校の奇跡」は、
日本民間放送連盟賞ラジオ生ワイド番組部門の優秀賞を受賞した。
番組は丸五年を期に、終わりを迎える。終了を惜しむメールは国内外から届いている。
高校時代に出演した大学一年生は
「伝えることの大切さ、伝わることのすばらしさを教えてくれました」と書いていた。
大和田さんは「私には、震災を伝える責任があると思って担当していました。
本当に残念ですが、自由にやらせてくれたラジオ福島には心から感謝しています」と話す。
四月からはふくしまFMで、震災復興を伝える番組を担当する予定だという。
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