[過去ログ] 高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter19 (1001レス)
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526: 2008/03/25(火) 14:02:24 ID:rK5EjIba0(1/4)調 AAS
世の中には大きい男もいれば、小さい男もいる。
そしてむしろ小さい男のほうが、女に媚び、舌先だけで女を丸め込み、より多くの女を囲い込んでいる。
大きい男のほうはその大きさと、寡黙さと無骨さゆえに、結構な女を取り逃がしているのが現状である。
「大きい男が女ごときにこだわるな。男なら男らしくドーンと構えていろ」というのはあくまでも強がり。
やっぱり大きい男でも、心の底では女を欲しがっている。しかも本質的には、小さい男などよりもずっと
女のことを意識している。意識が強すぎるからこそおいそれと女に手を出せない。所謂「ウブ」ですな。

そんな男が、自らの大きさを全て一丸にぶつけてきたんじゃ、女のほうもたまらないに違いない。
だから大きい男には女に対する「手加減」が必要だということになる。
自らの育んできた純粋尊重を一気に全てではなく、適度に切り分けて女の側の愛に注ぐ。
これは確かに、大きな男がその大きさ故に、女と接する上で必要な作法であり、
(小さい男にはこんな作法など必要ない。好き勝手やってそれで女を取り込めるんだからうらやましい限り)
孔子などは大きい男であるにも関わらず、この作法に対する弁えがなかったから、妻を取り逃がす失敗を犯したといえる。

男が大きいことはいいことだ。でも大きい以上は女に対する接し方も工夫せねばならない。
ただ大きいだけでも女に接する上での障壁なのに、さらにその接し方にも工夫が必要。
大変ですな。まあ仕方がない。むしろその大変さをも楽しんで。
527: 2008/03/25(火) 17:14:32 ID:rK5EjIba0(2/4)調 AAS
全体的な観点から見れば、この世界に存在する純粋尊重が
この世界の全ての愛に比して“大きすぎる”ということもないようである。
純粋尊重を育む教理(仏教儒教など)が、愛を育む教理(キリスト教プラトニズムなど)よりも
先行してこの世界に生まれたとはいっても、それはたかだか数百年の話。
一万年を超える人類の歴史から見れば、これは十分に“僅差”だといえる。

ただ、実際上の個別の男ども(純粋尊重の象徴としての)を見れば、その大きさは非常にまちまち。
先にも挙げた仏陀や孔子などは、男としてあまりにも大きすぎたが故に、
自ら妻を離別して出家したり、妻に逃げられたりするはめになった。
しかし例えばソクラテスやイエスなどは、絶対的な観点から見れば決して小さい男では
なかっただろうが、ソフィストやユダヤ人といった論敵を説伏してなおのこと相手を尊重するには
男として小さすぎたために、恨みを買ったり殺されたりするはめになったといえる。

微妙なところにいるのがニーチェ。彼は西洋の人間であるにもかかわらず
西洋の道徳が侮蔑と尊重の合弁体としての愛に囚われている点を見抜き、
愛の監督者としての(超越)神の死を宣告することにより、西洋の人間が愛を超えた道徳を
育むための道を切り開いた。しかし、彼はあくまでも愛を超えるというその試み自体に
精力を傾けすぎ、愛を超えて他者を尊重するという男の本分を疎かにした。→ニヒリズムへの没頭そして発狂。
そういう意味では、彼は純粋尊重を育む上で十分な大きさを持たないにも関わらず、
西洋において特に肥大化していた愛を超えようとした非常に奇妙な事例であるといえる。
528: 2008/03/25(火) 17:15:40 ID:rK5EjIba0(3/4)調 AAS
結局は、普通の男と女であればよい。
仏陀や孔子ほどにも大きすぎず、ソクラテスやイエス(やニーチェ)ほどにも小さすぎない
普通の男が、美しすぎず醜すぎない普通の女と対峙したとき、それはちょうどよい大小のバランスになる。
女の側が十分に愛に満たされ、男の側は愛を満たした上でなおの事――ただし少しだけ――純粋尊重を育む。
それは、精神的身体的な“平均値”が男女に保障する健全な関係。

もちろん本当は、男は大きければ大きいほどいいし、女は美しければ美しいほどいい。
しかし男のほうが大きすぎると女のほうが引け目を感じるし、女のほうが美しすぎると男のほうが引け目を感じる。
つまり、本当に難しいのは、小さい男と醜い女が一緒になることでも、普通の男と普通の女が一緒になることでも、
小さい男と普通の女、小さい男と美しい女、醜い女と普通の男、醜い女と大きい男が一緒になることでもなく、
大きい男と美しい女が一緒になるということ。これこそが最も難しい。

故にこそもっとも大きな愛が、最も大きな尊重に満たされた上で、
なおのこと世界に多くの尊重を振りまくという奇跡にも等しい邂逅となる。
529: 2008/03/25(火) 18:07:10 ID:rK5EjIba0(4/4)調 AAS
大きい男と美しい女が一緒になるためには、
大きい男の側が女に対して手加減することが必要なように、
美しい女の側が男に対して手加減することも必要になる。

大きい男が女に対して必要な手加減が、小さい男や普通の男には必要のないものであるように、
美しい女が男に対して必要な手加減も、醜い女や普通の女には必要のないものだ。
つまり、美しい女は醜い女や普通の女が必要としないある種の特別な“作法”を必要とする。
それは、相手に対する単純な優しさや厳しさなどではなく――優しさや厳しさは醜い女や
普通の女にも必要だ――、己が美人であるにも関わらず、あたかもただの女であるかのごとく
振る舞う謙遜である。あなたが美人であることなんて誰もが知っている。そして美人であることに
自惚れるのも結構だし、それはある意味当然のことだ。しかし自惚れるほどの美人であればこそ
他者に対して「ぜんぜん美人じゃないですよー」と建前上の、あくまで建前上でいいから謙遜を
貫くことが必要。そしてあたかも美人でないかのごとく振る舞うだけの「余裕」が必要。

大きいにもかかわらず自分の大きさを押し殺す男が、
美しいにもかかわらず自分の美しさを押し殺す女と出合って初めてうまくいくということができる。
己の大きさをひけらかしてただの女しか取り込めない男、
己の美しさをひけらかしてただの男しか取り込めない女、
大きい男や美しい女でも(かえってそうだからこそ)そうなる危険性を十分にはらんでいる。
大きいからこそ美しいからこその謙遜。そこで初めて大きく美しい男女の関係が成立する。
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