[過去ログ] 高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter19 (1001レス)
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445: 2008/03/06(木) 03:19:05 ID:RkZnL/TB0(1)調 AAS
hosh
446: 2008/03/06(木) 22:53:04 ID:Y2EcsqoN0(1)調 AAS
男にとって、「恋愛になびく」ということ自体が、本来の男のあり方に背くものなのであって
ただ女のほうを立てるときにだけ、男は副次的に恋愛に手を出すべきであるに他ならず、
そのときに男はすでに「矮小化」されていることを知り、それを耐え忍ばねばならない。
もっとはっきりいえば、男は「矮小な下衆」である時にのみ恋愛的であるのだということ。
その点からいえば、自分はまだ十分に矮小な下衆であると思うし、
これからもまだまだ矮小な下衆であり続けるだろう。
女に手を出してそれで精神的な満足を得ようとする矮小な下衆。
その生き方自体に別に不満はない。
人間ただただ大きけりゃそれでいいってもんじゃない。
時にはその矮小さゆえに生き残ることを許されることだってある。
天下の統一が信長ではなく秀吉に任されたように。
結婚しよう。
それでこれ以上こっちが矮小な下衆であらねばならない機会を根絶させてくれ。
恋愛的なものに堕ち込むためではなく、恋愛的なものから逃れるための結婚。
出家の代わりの結婚。ブラフマーチャーリヤ。
私は貴女を愛するがゆえに、これ以上愛さないことを欲する。
適度に矮小化され、これ以上矮小化されないことを欲する。
結婚によって、新たな精神世界へと飛翔していくことを欲する。
航空機が大空へと飛び立つための滑走路。それが貴女。
満足のいく打ち止め。
447: 2008/03/07(金) 09:10:17 ID:titHWQkK0(1/3)調 AAS
「おまえは満足でも、こっちが不満足なんだよ」という苦情。
処女に満足はない。不満足の塊、それが処女。
処女丸出し。恥ずかしくないのかね? 二十三にもなって。
下半身の不満足に終始囚われ続けてる鬼婆。
姦通の恥辱なんかより遥かにそっちのほうが恥ずかしいことにいい加減気付け。
448: 2008/03/07(金) 09:27:10 ID:48HS7/U7O携(1/2)調 AAS
食べたいものを食べなさい。
449: 2008/03/07(金) 11:09:04 ID:60Bvg+WM0(1)調 AAS
美食家であらせられませ。
450: 2008/03/07(金) 13:33:53 ID:titHWQkK0(2/3)調 AAS
美人にもかかわらず最悪の性格なのではなく、美人だからこそ最悪の性格なのだと気付く。
道徳とか正義とか勇気とかを、全く必要なしのまま生まれ育ってきたその本性の下劣さは、
あまりにも恵まれた外観と引き換えにもたらされた勲章の裏側の烙印。
美人 − 最悪の性格 = 0
要するに高橋マリ子ってのはプラスマイナスゼロのただの人間だってこと。
偉ぶる資格もなければ卑しむ必要もない、ただの人間。
矮小な下衆がただの人間と出会う、何の変哲もないただの色恋沙汰。
なにか重苦しいことででもあるかのように考えること自体が間違い。身の程を知れ。
451: 2008/03/07(金) 14:18:01 ID:48HS7/U7O携(2/2)調 AAS
矮小な下衆がこれ以上矮小であらないために、また
下劣な淫女がこれ以上下劣であらないために出会う。
それが端から見ると、あたかも王と女王が出会うかのように映る。一種の演劇。
俳優は自分たち自身が己れの演技に陶酔したり感動したりしてちゃいけない。
あくまで楽しむのは観客の側。自分たちは楽しませる側。
それがわかってないと、見るも無惨な三文演技に終始する。
452(1): 2008/03/07(金) 16:28:23 ID:wUruzEM20(1)調 AAS
これはこのスレを参考にしたのか?
動画リンク[ニコニコ動画]
外部リンク:jp.youtube.com
453: 2008/03/07(金) 20:54:30 ID:titHWQkK0(3/3)調 AAS
世界の広さではなく、世界の狭さを知らねばならない。
いかに鈍重で、矮小で、虚偽に満ちたつまらないものにこの世界が支配されているか、
それを知った上で、世界に対する一種の諦観を持ち、
この狭い世界ごときに惑わされない独自の宇宙観のもとで生きていく。
己が形而上の存在となることにより、初めてそれは達成される。
形而上の存在になるということは、形而下の全ての存在を把握した上で
さらにその外側に己の身を置くことをいう。
それは極めて難しいことだが、少なくとも現代において不可能なことではない。
そのための手助けであればいくらでもできる。
要するに“こちら側”に呼び込めばいいわけだから。
あとは、そうなることを怖がらないだけ。
そうなることを何か化け物にでもなるかのようには考えず、
逆に真人間の中の真人間になることだと考えること。
世の中わけのわからない化け物だらけ。
どうしてそうなったのか見当も付かない非人の集まり。
そうなるよりは、真人間として生きていくがずっとマシ。
この世の中で、そうめったにいない真人間の中の一人になれ。
世界中がセピア色に覆われている中で、
独自の色を持つ数少ない人間のうちの一人になれ。
世界の一部分であることをやめることにより、
逆に世界全体を手に入れろ。
己の膣で地球全体をそっくりそのまま包み込んでしまえ。
454: 2008/03/08(土) 17:25:07 ID:Ko8sZboO0(1)調 AAS
>>452
なぜ今になってオリーブ廃刊に反対?
マリ子ちゃんがお世話になった雑誌だけど。
あと、このスレで訳の分からないアジテーションを連投してるのは
昔からいる頭のおかしい古参一人だけだから。
455: 2008/03/08(土) 17:58:35 ID:f0a0FASq0(1)調 AAS
支配しているようで、その実なにも支配できていない。
何よりも人間の本心が支配できていない。
逆に本心が支配できていないからこそ、無理に支配をしようとする。
本心の考慮された世界に愚鈍な支配など必要ないから。
ちなみに本心を支配するのは、物理的に不可能だ。
だから支配しようとする行為は、あくまで本心の外側でのみ行われる。
あたかもネズミが回し車の中で延々と走り続けるかのごとく
本心を支配しようとする試みは徒労におわる。
独立するのではなく、もともと独立しているんだ。
自由を勝ち取るのではなく、もともと自由なんだ。
人間の本心の自由と独立は、あらゆる支配的行為の下でも保障されている。
アメリカ人だけが自由で独立しているのではない。
自由と独立はあらゆるすべての人類に平等だ。
いわばこれが人類の自由と独立にかかわる宣言に他ならない。
これをもってアメリカという国の存在意義は消滅した。
東京に帰ろう。
天国でも地獄でもないあの街へ。
ただひたすら人類の希望を一翼に担うあの街へ。
たるんだ体を引き締めるためにもね(^^)ゞ
456: 2008/03/08(土) 19:27:16 ID:hX3DoeCc0(1/2)調 AAS
わざわざ怒らせといて「怒るな」「怖い」「許せ」だのとぬかしやがる
その歪んだ根性が勲章の裏側の烙印だと言ってるんだ。
自由と独立 − 支配根性 = 0
マリ子と同じで、アメリカもまたプラスマイナスゼロのただの国だ。
それがいろいろとでしゃばって世界中に災禍を撒き散らす。いい迷惑だ。
もともと必要のないものなんだ。マリ子もアメリカも。
愛とか自由とか独立とか、全部もともと人類に備わっているものだ。
それなのに今さら出しゃばって愛だの自由だの独立だの喚き散らす。
壮大なマッチポンプ。できることなら関わりたくないが、
存在するものは仕方がない。だからいやいや関わっている。
せめてマリ子もアメリカも、自分たちがただの人間、ただの国であることを
自覚してくれりゃいいんだが。そしたらもうちょっとこっちも気が乗る。
もっとも、人の気なんて考慮にないのも性分かもしらんが。
457: 2008/03/08(土) 20:30:28 ID:hX3DoeCc0(2/2)調 AAS
逆に、自分たちが特別ではないという本能的な察知があるからこそ
自分たちが特別(のよう)であることをひたすら主張したがるのかもしれない。
共産主義を忌避する裏側で、他の誰よりも共産主義を信用している。
そもそもの宇宙観が間違っている。
この宇宙に特別でないものなどどこにもない。
物理現象を構成するベクトル|Dn>、<D~m|のパラメーターは
ドミノ関数によってその数理的離散性が完全に確保されている。
自分たちが特別であるという確知があれば、
殊更特別であることを主張することの無意味にも気付く。
なぜなら誰もが特別なのであって、自分一人だけが特別なのではないのだから。
高橋マリ子が特別なら、長澤まさみも小西真奈美も夏帆も特別だ。
アメリカが特別なら、フランスもドイツもインドも中国も日本も特別だ。
そんな中で、高橋マリ子やアメリカを“さらに”特別に選択することがあるとすれば、
それは「選択したから」という以外に他に理由はありえない。
でもそれは十分な理由であるし、また最も尊重すべき理由であるといえる。
高橋マリ子が特別だから選択するのではなく、選択をしたから選択する。
アメリカが特別ではないから選択しないのではなく、選択をしないから選択しない。
全ては単純な選択論に基づいている。
しかし単純だからこそ、言い訳のしようのない永遠の普遍性を持つ。
永遠の普遍性に基づいて、マリ子を愛し、アメリカを捨てる。
あとはただ「お願いします」「ごめんなさい」の二言に尽きる。
458: 2008/03/09(日) 06:38:56 ID:5scFXiCgO携(1/2)調 AAS
マリポッポ東京♪ マリポッポ東京♪ マリポッポ東京♪
お願いすましm(__)m
まさみん、コニタン、なつほ、そしてアメリカ……
ごめんなさいm(__)m
出会いと別れの二股ソケット。
459: 2008/03/09(日) 10:07:08 ID:HBUEYVOg0(1)調 AAS
空しい・・・
460: 2008/03/09(日) 11:05:17 ID:N2BOubrY0(1)調 AAS
一回しかない人生だから、後悔のないよう。
自分の側は、高橋マリ子+東京のBセットで後悔はない。
AセットやCセットやSセットなどはぜんぶ他の人間にやる。
そのことに伴う空しさや不幸や苛立ちは甘んじて受け入れる。
闘いはまだまだ続く。
461: 2008/03/09(日) 22:56:25 ID:5scFXiCgO携(2/2)調 AAS
おまえらの憎悪なんて、そっくりそのまま飲み干してやるよ。
他人を憎悪するしか能のない人非人を
生み出した責任は自分にも全くないとは言えない。
「恵まれていた」という罪。「そしてこれからも」という罪。
罰として、これからもまずい酒を飲まされ続ける。憎悪という名の駄酒を。
体調管理には万全を期する。合計約300巻の処方箋。
生きている内に不便することはない。先人たちの叡知に感謝。
462: 2008/03/10(月) 12:56:32 ID:DgYNi36XO携(1)調 AAS
天国(アメリカ)には行けないし、行かないし、行きたくもない。
かといって地獄(K)もイヤ。煉獄(東京)がいい。
そもそも天国とか地獄とか煉獄とかいったもの自体が西洋の尺度。
それらの内のどこに居る人間とて、幸せな人間は幸せだし、不幸な人間は不幸。
人それぞれの幸と不幸を一方的な価値観で裁断すること自体が間違っている。
好んで地獄に留まる者、煉獄に行きたがる者、また天国に行きたがらない者、
いろいろあって初めて世の中というものが成り立つ。
自分一人の要望だけにとどまらず、世の中の仕組みやバランスを
考慮した上でも、自分は東京にいるのが一番適切だと判断する。
そのために必要な闘いはやむを得ない。
あとはただ、渋谷の交差点で、引き締まった身体で
マリポコリンチョにプチュリンコできる日々を待つばかり(´ε`*)
463: 2008/03/10(月) 20:46:59 ID:jubTEIA00(1)調 AAS
愛憎の故に「殺す」とか言ってたのではなく、
やむない事情があってのことであるのを理解して欲しい。
その事情のほうはまだ片付いたわけではないが、片付く見通しが立っている。
だからもう殺す必要はない。君子豹変。(別にこちらに非があったわけじゃないが)
464: 2008/03/11(火) 01:02:24 ID:2xnjGvyY0(1/2)調 AAS
己の無意味(=言語的所産)を知れ。
その上で己の意味(=形態的所産)を弁えろ。
おまえは女でしかないんだ。
女でしかないということは、己の局部に空っぽの空間――
注入されるべき真の“言語”を待ち構えている入れ物(形態)だということだ。
入れ物が入れ物としての領分を逸脱したとき、
それは許されざるべき偽りの価値へと高騰する。
世界中で法外な価格を宛がわれてる諸々の器(うつわ)がそのいい見本だ。
器が法外な価値を得るということは、
それだけ十分な価値を持つ内部(言語)に欠けるということだ。
いまの時代は、そういう時代だ。だからこそ器が持て囃されてる。
器の内部(形態に見合った言語)が充実するということは、
確かに器の名目上の価値を下げることには違いないが、
だからといって器の必要性が消滅するわけではない。
かえって器の名目上の価値が引き下げられる代わりに、
器は本来の目的を取り戻し、より生き生きと活きることを知る。
時代を変えよう。器に茶を注ごう。
それで殿様でも非人でもない平民たちにご馳走をしてやろう。
天下泰平の礎となるために、お互いが人身御供となろう。
そうなることに思い残しはない。
465: 2008/03/11(火) 13:30:12 ID:dhyRgPblO携(1)調 AAS
時代は変わるのか、変わらないのか・・・?
良心が勝利するのか、それとも悪徳が勝利し続けるのか。
もはや単純な選択以外に余地はない。
いかなる理由付けも、いかなる希求も無意味だ。
ただ貴女がそのどちらかを選択するだけのことだ。
もっとも、初期条件が後者(悪徳)だから、正確には
良心を選択するか否かという範囲に選択の幅はせばまる。
選択しない限りにおいて、この世は悪徳に満たされている。
悪徳の淫女のままでいるか、それとも良心の女神となるか、
そこを強制的に選択させられ(続け)る運命にある。
運命を受け入れるか否かという以前に、貴女はもうすでに運命の実線上にいるんだ。
あとはただ「どの運命」を選択するかということにかかっている。
運命の選択――
466: 2008/03/11(火) 21:36:07 ID:2xnjGvyY0(2/2)調 AAS
良心と悪徳と、どちらがより先に生まれたかといえば、これは良心であると言える。
良心を歴史的に培ってきた東洋が、悪徳を歴史的に培ってきた西洋よりも
その成立において先んじている点からも、これは明白なことである。
しかしそんなこととはおかまいなく、現代は悪徳が支配している。
それ故初期条件は悪徳だと言ったけれども、普遍的な観点から見た場合に
先行していたのは良心なのであって、それ故にこそ良心を信じられる。
良心とは決して弱々しいものでも儚いものでもなく、より確かなものだ。
具体的にどれくらい確かかといえば、悪徳の三倍以上も確かなものだ。(16000/5000>3)
悪徳よりも良心を信じるということは、より確かなものに立地点を置く
ということであって、己をより普遍的な存在へと昇華させていくことに他ならない。
敗者根性によってでも、偽善的な愛弱憎強によってでもなく、より確かなものを
得ようとするが故に良心を信じるのであり、そしてこれからも信じていくのだ。
467(1): 2008/03/12(水) 22:28:55 ID:+U7el+qM0(1/2)調 AAS
いい加減、この世界がじぶん一人だけの世界ではないことに気付いてほしい。
じぶん以外に、少なくとももう一人の人間がいる。
そのもう一人の人間は、じぶんとは違ったもう一つの価値観を持っていて、
その価値観が他の価値観によって侵害されることを何よりも嫌っていて、
その価値観の保守のためには殲滅戦をも辞さない覚悟を持っている。
しかもその価値観は、歴史的にもじぶんの価値観よりずっとその成立が早く、
より多くの人間の支持を得ると共に、より多くの価値ある書物を生み出してきている。
それにも関わらずじぶんの価値観の重要性ばかりを掲げ、
じぶんの価値観以外の全ての価値観を一掃しようとする愚かさ……
女は愚かなものよ? しょせん“婦人の仁”よ?
果たしてそうだろうか? 女なんてあくまでもその程度のものなんだろうか?
どこまでもかぎりなくあくまでも絶対に必ず間違いなくそういうものなんだろうか?
だとしたら、逆にそのほうが一貫性があって男らしいともいえる。
女とは、どこまでも愚かな男のことである。
これからもそうやって男らしくあればいい。
どんな男よりも男らしい、女という名の男として。
468: 2008/03/12(水) 23:11:19 ID:+U7el+qM0(2/2)調 AAS
価値観の氾濫をよしと言っているわけではない。
ただ、じぶん以外のもう一つの価値観の存在をよしとした上で
その価値観に寄り添っていくことの可能性を示唆している。
じぶんの価値観がある、もう一つの価値観がある、
そしてそれら二つの価値観の剣呑としない交流がある。
これらを総合した場合の三元論を以って「愛」とする。
そういった愛のほうが、ただ一つの独裁的な価値観に
陥っていく愛よりもずっと魅力的に思える。
何よりもそのほうが、行く先の世界が開けている。
“ただの愛”が征服するには、この世界はあまりにも広すぎる。
かといって愛の喪失は、これまた世界を説伏するに足らない。
自己と他者の二分という現実を乗り越えた上で、
それらの統一という理想を目指していく“機能的な愛”によって
初めて世界は納得のいく収拾に導かれる。
469: 2008/03/13(木) 00:00:07 ID:Vehh2kKS0(1/4)調 AAS
>>467
あるいは、「世界がすべてではない」ということもいえる。
世界を知り尽くしたことによって、全てを知り尽くしたと思い込む・・・
“全て”って、そんなに少ないものじゃない。
世界なんて、全てのうちのごく一角に過ぎない。
どころか、全てのうちの一角どころをも代表するに足らない矮小なもの。
そのことをも知らされずに何千年ものあいだ生かされ続けてきた人類の不幸・・・
不幸の最中ゆえにその不幸に気付かない。
あたかも性交中の女が己の身心の絶望的破壊を受け入れるかのごとく。
世界とは女であり、全てとは男である。
女が男に出会うということは、世界が全てに出会うということであり
それ故すくむだろうし、恐れるだろうし、おののくだろう。
それでいいんだ。十分にすくみ恐れおののくことだ。
その上で選択するんだ。女の故に。
汝よどこまでも世界を代表する女たれ。
470: 2008/03/13(木) 01:05:10 ID:Vehh2kKS0(2/4)調 AAS
「形質」は似ていることもある。というか同一のものだ。同じ人類だから。
しかしそこから生み出されるものは全くの別物だ。
別物でないというのなら、なんで性懲りもなく生かしておくんだ?
たとえ手の平の上の孫悟空とて、存在する以上は何らかの存在意義はある。
その存在意義ってのは、今までにない「何らかの別物」の生産者であるから
という以外の何物でもありえないのであって、その孫悟空という存在自体が、
生み出される「何らかの別物」の存在を証明する何よりの証拠に他ならない。
違うというのなら、そっこく殺すことだ。この俺を。
殺したとてなんの損害にもならないはずだし、かえってスッキリするってもんだ。
合理主義者だろ? それぐらいの判断はつくはずだろ? 違うのか?
これが勝利だ。完全なる勝利。知と無知の懸隔を超えた勝利。
しかも“生き続ける”ことによる勝利であり、“負けた”ことによる勝利でもある。
勝利の下に貴女を愛す。勝利があるからこそ貴女を愛せる。
また貴女を愛し続けたからこそ勝利したのであって、それ故に貴女に感謝する。
愛と勝利は統一されて貴女への感謝に昇華していった。
さらに貴女への感謝は全世界への感謝となって、そこでまたもう一度
個別の愛と勝利に分化され、人々に人々への感謝を振りまく気概を与える。
そうやって世界はまた正常な姿を取り戻す。
愛執と戦意の二律背反によって苛まれていたこの世界が、
愛と勝利の合致という奇跡のもとで快癒を果たす。
後に残るのは、ただただ感謝ばかり。
471: 2008/03/13(木) 02:20:10 ID:8xpbKt6lO携(1/4)調 AAS
どうも白人女は日本人女と比べて、性感が緩いみたい。
だからこそ平気で「オーイエー」とか自信たっぷりのあえぎ声をあげられる。
それに比べて日本人女の「アン、アン」ていうあえぎ声の慎ましやかなこと・・・
女は性感の強いほうが、見た目にいやらしくなくて済むことの証拠。
イク時は気がねなくイケばいいんだよ。
スカートとか口紅とかブラジャーとかパンストとか、
みんな女をイカされる瞬間にまで導く布石のようなもの。
それらのファッションに世界一敏感な日本人女性こそは、
イカされることの意味を十分に理解すると共に、
“それ”を殊更いやらしくもなく済ませる技量をも併せ持つ。
十分にイクからこそいやらしくない。
いやらしさを最低限に抑えられるからこそ十分にイク。
このへんの真理に気づいてこそ、真の女。
472: 2008/03/13(木) 09:23:03 ID:Vehh2kKS0(3/4)調 AAS
ただの笑顔であってはならない。
内面の空虚を取り繕うための笑顔ではなく、
内面の充実からほとばしる笑顔でなくばならない。
内面の充実は、愛だけによってでも勝利だけによってでもなく
愛と勝利が合致した先にある感謝によってでなくてはならない。
そのような内実に基づく笑顔でないならいらない。
むしろ最後まで笑顔はとっておけといいたい。
473: 2008/03/13(木) 10:22:12 ID:8xpbKt6lO携(2/4)調 AAS
女ってのは、男から見れば反則の塊なんだ。
男の八分の一以下の苦労で、八倍以上の幸福を手に入れる。
そんな反則の塊だからこそ、社会で疎まれ、蔑まれ続けてきた。
これからもその実情は大して変わらない。
男と女の間に存在する「64倍の断絶」のある限り。
解決の糸口は、上っ面の男女平等を掲げることなどによってではなく、
64倍の断絶を見越した上で、その断絶をいかにして埋め合わせていくかによって見えてくる。
いま一つは男の側が女の64倍の努力をすること。
もう一つは女の側が今までの64分の一の幸福で満足すること。
でももし両者が歩み寄ることができたなら、男の苦労も女の不幸も八分の一で済む。
だとしても男は女の八倍は努力しなければいけないし、
女は今までの八分の一しか幸福であってはいけない。
難しいんだ。男と女って。
男自身や女自身が考えているよりもずっと。
相手が自分とは全く異質な存在であるという確固たる認識のない限り、
その関係はどこまでも一方が他方を支配しようとする争いに終始する。
男と女の充実した(平和な)関係は、お互いの異質性を認め合う所からしか始まらない。
その点をお忘れなきよう。
474: 2008/03/13(木) 14:17:02 ID:8xpbKt6lO携(3/4)調 AAS
こちら(男)がそちら(女)の八倍〜64倍の努力をすることについては吝かではないけども、
その代わりそちらにも今までの八分の一〜64分の一の幸福で生きていくことに対する覚悟が必要なんだ。
こういうと、何かとても不幸なことのように思われるかも知れないが、
そちらが捨離した八分の七〜64分の63の幸福は、世界中の人々を十分な幸福へと導く糧となるのであって
他人の幸福を己の幸福ととれる慈しみの心があれば、これは損害であるどころかむしろ利益であるということ。
475: 2008/03/13(木) 20:03:00 ID:Vehh2kKS0(4/4)調 AAS
十分な覚悟を促すためには、それ相応の負の側面に対する理解が必要になる。
それもなくただただ面白おかしい側面ばかりあげつらうから
欧米や近ごろの日本ではあっという間の離婚が多い。
誠実であらねばならない。愛もまた現実に歩を進めるのであるならば。
むしろ最悪の状況を踏まえた上で近付いていくことのほうが望ましい。
だからこそこれからもあまり甘い言葉で釣ろうなんてことはしない。
そのせいで進展が遅延するのは全く仕方のないことであると割り切っている。
476: 2008/03/13(木) 21:42:08 ID:8xpbKt6lO携(4/4)調 AAS
女は幸福のために生き、男は努力のために生きる。
男は己の努力によって女から幸福を分けてもらい、
女は男の努力による庇護のもとでさらなる幸福を培う。
悪循環ならぬ良循環。
しかしそれはあくまでも男と女とがそれぞれ己の本分をわきまえてこそのものであり、
男のほうが殊更自分の幸福にばかり没入していったり、
女のほうが無理な努力を強いられたりしないことを前提とする。
無理強いはすまい。また己の不幸にも不平は漏らすまい。
男であるならば。また男であり続ける以上は。
そして汝よどこまでも幸福な女たれ。
八分の一や64分の一程度の分割ではビクともしないほどに完全なる幸福者たれ。
花の蜜は豊かに果てしなく。
477: 2008/03/14(金) 12:42:44 ID:2OcRe33m0(1/2)調 AAS
マリ子は動物でいえばたぬき! これは譲れない。
マリポコリン♪ マリポコルン♪
ポコポコポコポコ・・・ マリポコリンチョ♪
プチュプチュリン♪ リンリコリン♪
プチュプチュプチュプチュ・・・ プチュリンコ♪
マリポコリンチョにプチュリンコ♪
478: 2008/03/14(金) 12:57:53 ID:2OcRe33m0(2/2)調 AAS
タヌキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
分布
韓国、北朝鮮、中国、日本、ロシア東部
1928年に毛皮をとる目的でソ連(現 ロシア)に移入されたものが野生化し、ポーランド、東ドイツ(当時)を経て、
現在はフィンランドやドイツにも生息している。近年ではフランスやイタリアでも目撃例がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
形態
体長約50-60cm。体重3-10 kg。ずんぐりとした体つきで、
足が短く、尾は太い。体色はふつう灰褐色で、目の周りや足は黒っぽくなっている。(以下略)
~~~~~~~~~
生態
森林で生活する。夜行性で、単独もしくはペアで生活する。ペアは相手が死ぬまで解消されない。
50ヘクタール程度の行動域をもつが、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
複数の個体の行動域が重複しているため、特に「なわばり」というものはもっていないようである。(中略)
死んだふり、寝たふりをするという意味の「たぬき寝入り(擬死)」とよばれる言葉は、
猟師が猟銃を撃った時にその銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、
猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返し
そのまま逃げ去っていってしまうというタヌキの非常に臆病な性格からきている。(以下略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
画像リンク
479: 2008/03/14(金) 21:54:48 ID:prsbupUPO携(1/2)調 AAS
つーか、マリ子はハーフじゃないだろう。
瀬戸朝香や能瀬三姉妹などと同じ、中部の血を引く純日本人だろう。
だったとしても、もうおどろかないぞ。
480: 2008/03/14(金) 23:59:34 ID:prsbupUPO携(2/2)調 AAS
なぜ、ワンレンをいつも中途半端にしてるんだ?
まるで早く前髪降ろしたいかのよう。
481: 2008/03/15(土) 08:42:09 ID:UgTtH1+VO携(1)調 AAS
かといって、近ごろの安室や中島はべったりと降ろしすぎだよ。
もっとさりげなくふんわりと降ろされた前髪が魅力的だよ。
482: 2008/03/15(土) 21:37:46 ID:Sj71Xtve0(1)調 AAS
60年代ブームだからな
最近みんな同じ前髪になってきた
483: 2008/03/16(日) 00:47:04 ID:mE79moyc0(1/3)調 AAS
歴史を、終わらせたい。
「○○の時代」を「××の時代」へ移行させるとかいった、
歴史の転換点を作り出すことではなく、
歴史そのものを終わらせることを何よりも考えている。
人間の憎悪や困苦によって成り立つ歴史という名の産物、
破壊や殺戮が非道ければ非道いほど面白おかしく書き立てられる
人類の歴史そのものに嫌気がさしている。
だからもはや「歴史に名を刻む」ことなどは少しも考えない。
仮にどうしても刻まれなければならないとすれば、
一番最後にできる限り小さな文字で刻まれることを望む。
評価も二分されたり、悪い方向に傾いたりするのを少しも恐れない。
何しろ自分自身に歴史に対する憧憬が少しもないのだから。
(日本の最盛期と呼べる戦国時代も、他国の歴史に
比べればマシという程度にしか考えていない)
484: 2008/03/16(日) 00:47:54 ID:mE79moyc0(2/3)調 AAS
歴史を終わらせる方法に二つある。
一つは人類を絶滅させて歴史を根本的に断絶さすこと。
もう一つは人類を“歴史を刻まなければならないほどに”
悲劇的な状況に追い込むことそのものを断絶さすこと。
ユダヤ人なら前者、日本人なら後者を選ぶ。
自分は日本人だからもちろん後者を選ぶし、
そのために必要な方法も十分に用意している。
でも今現在、人類社会を支配しているのはユダヤ人だから
なによりもまず彼らに席をゆずってもらう必要がある。
別に死んでもらう必要はない。
ただ席をゆずってくれればいいだけの話。
それも、今すぐに完全になんて話ではなく、
石油利権や金融利権などの枯渇や限界の頃合いを見計らって
徐々にゆずってもらえればそれで済むこと。
それに多少はそちらの取り分も残しておけばいい。
この世界はユダヤ人だけの世界でなければ、
日本人だけの世界でもないのだから。
485: 2008/03/16(日) 01:21:24 ID:mE79moyc0(3/3)調 AAS
歴史とは、ある特定の民族や国家や人種などに「真昼」が訪れることを指す。
しかし真昼があれば当然「真夜中」があり、真昼の訪れた民族や〜によって
他の民族や〜に侵害の手が及んだ時、その民族や〜には真夜中が訪れる。
いわば個々の人類にとっての昼夜の逆転劇こそが人類全体の歴史であり、
そういった意味では未だ人類全体に真昼が訪れたことはないといえるのだ。
人類全体に真昼を提供する概念上の日輪こそは、
今の人類が恋い求める真の救世主。
イエスやソクラテスも彼女の前では道を譲らねばならぬ。
(その代わり彼女自身もまた釈迦や孔子に教えを乞う必要があるが)
486: 2008/03/16(日) 02:13:37 ID:WKZVpuzCO携(1/3)調 AAS
本当は釈迦や孔子みたいな大人物としてマリ子に会いたいんだけれど、
まだまだ自分はイエスやソクラテス程度の小人物だという自覚もある。
今はまだマリ子にかしずく臣下であるとして、
いつかはきっとマリ子にも教示できるような大師となってみせる。
いわばその自己成長の伴侶としてマリ子があるわけ。
マリ子の師を目指すマリ子の配下。
アマテラスに対するスサノオの真の存在意義。
神話の謎は、いま解き明かれた。
487: 2008/03/16(日) 13:06:40 ID:WKZVpuzCO携(2/3)調 AAS
聖書やプラトン等はもはや自分には矮小すぎる。
かといって大蔵経や四書五経等は今の自分には雄大すぎる。
やっぱり古事記が一番。身の程を知れば知るほどそう思う。
マリ子にとってもそれは同じことのはず。
マリアやクサンチッペだったからといっていいこと何もなし。
かといってヤショーダラーや幵官氏では夫に見劣りしすぎる。
アマテラスが一番。超越神論者と無神論者の仲裁役。
488: 2008/03/16(日) 13:34:42 ID:WKZVpuzCO携(3/3)調 AAS
アマテラスを名乗るには、今のマリ子は白人かぶれし過ぎてるんだよなーそこが難点だな。
まあ時代が時代だから仕方ないっちゃあ仕方ないが。歴史が終わるまでの辛抱。
それに白人文化が何もかもいけないってわけじゃない。白人文化は言語よりも形態の文化。
形態よりも言語の東洋文化とはまさに対極の関係にあり、両者相合わさって初めて究極となる。
せいぜい今の内にできるだけ白人の文化を吸収しておいてちょ♪
489: 2008/03/17(月) 19:54:23 ID:VROtViFs0(1/2)調 AAS
儒教的な、人間同士の上下関係に絶対的な距離を置く姿勢は
自分も十分に修得できていないところがあるが、だからといって
欧米の「Hi, John」「Hi, Mary」的な、人間関係に何の垣根も設けない
“精神の共産主義”とも呼べる姿勢をそのまま受け入れることもできない。
人間誰しもが、耐え難い苦労を抱えて生きている。
それらの苦労は自分のためであることもあるが、人間である以上は
ある程度他人のために苦労して生きているところがある。
それらの苦労を――誰しもがしている苦労であるにしても――
人々はちゃんと労わるべきであり、そのためには個々の人間関係において
「相手を尊重する」ということが必要になる。
相手を尊重するということは、相手の人間としての大きさを認めるということであり、
相手は自分の大きさを認めてもらったことによって精神的な満足を得る。
すると自ずと相手もまた他人の大きさを認めることの重要性を知り、
自分の相手を尊重することで相手を満足させようという欲求にかられる。
そうやって人々はお互いを尊重しあうことによって精神的な満足を得て、
引いてはそれが世界平和へとつながる根本的な糧ともなるのだ。
490: 2008/03/17(月) 23:59:01 ID:VROtViFs0(2/2)調 AAS
精神の共産主義は、人類みなが叶えるにはまだ早すぎる。
資本の共産主義が叶うのがまだ早すぎるのと同じように。
精神の共産主義を独り占めするアメリカ。
資本の共産主義を独り占めするソビエト。
とりあえず片一方は死んだ。次はもう一方の番。
両者の死が相まって初めて人類全体の平等が叶えられる。
人類全体の平等は共産主義によってではなく、共尊主義によって初めて叶えられる。
いわば真の共産主義こそは共尊主義であり、ここに真の平等を与える主義が生まれた。
共尊主義。
491: 2008/03/18(火) 01:12:50 ID:1tPhjvT6O携(1/2)調 AAS
側室を許せない女に、正室の資格はない。
(↑現代語に訳せば↓)
男のナニを許せない女に、妻になる資格はない。
随分とレベルが下がってよかったね(はぁと
492: 2008/03/18(火) 09:19:45 ID:1tPhjvT6O携(2/2)調 AAS
八分の一だぜ? 八分の一。
いつもの努力を踏まえればもっと下。
お母さんが豪華な夕食を支度してる隣で
子供がソーセージをつまみ食いするようなもの。
確かにソーセージっつーよりは、極太ウインナー程度の(爆
493: 2008/03/18(火) 12:46:12 ID:emNoSFVU0(1/4)調 AAS
相手に尊重されることの喜びは、「これからも頑張ろう」と思う活力の源にもなる。
百戦錬磨の求道者とて、そこいらのバイト小僧とてそのあたりは大して変わらない。
お互いに感謝しあい尊重しあうという、少し昔の(田舎とかなら今でも)
おじいちゃんおばあちゃんならみんな言ってたようなことが今の人間にできてない。
そもそも“敬語”という概念すら存在しない言語の国もこの世界にかなり存在する。
そういった現代の人間や世界に対していかに感謝と尊重の必要性を
説いていくかがこれからの一番の課題になる。
努力と幸福の等価交換もまた、
感謝と尊重という循環液の注入のもとで初めて目減りのない稼働が期待される。
「愛のためならどんな努力でも」とか「愛の下での幸福は無限大」とかいったような、
あまりにも暑苦しい(それ故に環境にも悪い)情緒論を唱える前にできることがある。
それこそはお互いを感謝し尊重するという、極めて基本的な修身の一環に他ならず、
相手のために行う努力や、相手に与えるための幸福もまたそれらの修身のもとで
さらなる一層の意義を持ち、また一層の輝きを見せるのであります。
494: 2008/03/18(火) 20:34:47 ID:emNoSFVU0(2/4)調 AAS
人間、どこまでも伸びやかに、どこまでも大きくあらねばならない。
だからこそお互いを尊重し合い、十分な距離感を確かめ合って
不用意な自我の衝突を避けるように図らねばならない。
人から尊重してもらうことにより、より人間的に大きくなる機会を得た人間は
他者を尊重することの喜びを知ると共に、大きな人間同士が触れ合う際の
適度な距離感の必要性にも気付く。ネズミとネズミが触れ合う時に必要な
距離と、ゾウとゾウが触れ合う時に必要な距離が同じであるはずはなく、
ネズミ同士にはネズミ同士の、ゾウ同士にはゾウ同士の最も納得のいく
距離感というものがあり、かといってゾウ同士の距離がネズミ同士の距離
よりあるにしても、ゾウはゾウでそこに最も快適な距離を見い出すのだから、
ネズミ同士の関係がゾウ同士の関係よりも緊密であるなどとは言えない。
ゾウ(大きな人間)同士が適度な距離感を持って触れ合う時に必要な道具が、
敬語であったり、礼儀であったり、その他多くの他者尊重にまつわる道徳倫理である。
それらの道具の準備の行き届き具合は、確かに洋の東西や国語の違いなどで
大きな差異があるが、少なくともこの東洋の、日本という国において、それらの道具は
(扱いが非常に難しいとはいえ)十分に用意されており、工業製品やアニメーション
などに先んじて世界に向けて輸出されていくことが期待される。
495: 2008/03/18(火) 21:55:10 ID:emNoSFVU0(3/4)調 AAS
もっとも、上に挙げたネズミやゾウの例はあくまでも特例であって
人間ネズミほど小さすぎることも、ゾウほど大きすぎることもそうそうはない。
だいたいタヌキかキツネあたりが普通の大きさ。実際の人間よりも若干小さいのがミソ。
そしてそこからいかに大きくなれるかが鍵。最低でも人間そのものの大きさぐらいには。
実際上の肝っ玉の大きさがタヌキかキツネ程度であるにも関わらず、
人間の身体はタヌキやキツネよりも若干大きい。それ故人々は何の他者尊重も行わない
限りにおいて、ただの人間のつもりで相手に接すると、お互いの肝っ玉の小ささ故に
幻滅し合い、引いては意見のすれ違いに基づく争いへと発展せざるを得ない。
そのような事態を回避するためには、やはりお互いを尊重することによって、
相手の肝っ玉を――己の身体に見合った程度に――拡大させてあげる必要がある。
つまり人が人として十分な人間関係を築き上げるためには、
そもそもの最低条件として相手を尊重することが必要であるということ。
尊重のない人間関係はタヌキやキツネの付き合いと同じ。
それでもいいという人間もいれば、それでは満足しないという人間もいる。
ただ、とりあえずは相手を尊重しておけばそれで間違いはないということ。
496: 2008/03/18(火) 23:59:41 ID:emNoSFVU0(4/4)調 AAS
いろいろな他国の書物を(翻訳であるにしろ)読んだ挙句知ったことは、
他国の(特に西洋の)人間は、人間よりも神を尊重しすぎたことにより
かえって人間を尊重することを疎かにしすぎてしまっていたということ。
神を尊重するなとは言わない。
ただ、神と同様に人間を尊重することの必要性にも気付いて欲しい。
人間は神に比するほども尊い。
のみばかりか、神を作り出したのが人間でさえある。
人間とは神である。神とは人間である。
故に、人間を尊重せよ。神を信じるならば。
497: 2008/03/19(水) 09:40:12 ID:mLb9S1PiO携(1)調 AAS
性善説と性悪説であれば、むしろ自分は性悪説のほうをとる。
そのほうが渡世においても間違いがないから。
でも人間、どこまでも性悪であり続けられるほど一方的にも作られてはいないとも思う。
お互いの性悪を補い合い、性善に値する社会を作り出していこうとする
気概もある程度は備わっていると考える。
ただ、いかんせんそのための道具立てが足りない。
訴訟や戦争のための道具はいくらでも備わっているのに
肝心のお互いを労り合うための備えは空っきし。そんな社会。
相手を一切労ることのない社会に訴訟や戦争が蔓延するのは当然のことであり、
日々の健康を気遣うことなく身体を患っては高い診療費を払って病院にかかる愚に等しい。
ガンジーが弁護士や医者の存在を痛切に批判していた気持もよくわかる。
498: 2008/03/19(水) 16:45:56 ID:aQGbErnL0(1)調 AAS
昔みた、アニメの「アンパンマン」の中でこんな話があったのを記憶している。
(遠い昔の記憶なので、詳細までは定かではない)
モンブラン城のお姫さまマロンひめはあまやかされて育ったためにすこしわがまま。
ひとからしんせつにされるとすぐ、ほうびをあげようとする。(ここまで公式HPから抜粋)
そのマロンひめが、あるときアンパンマンに困っているところを助けられたので、
いつもどおり「ほうびをとらそう」とえらそうにアンパンマンに持ちかけると
横にいたジャムおじさんから「マロンひめさま、ひとに親切にしてもらったときはね、
ほうびをあげることよりもまずお礼を言うことから始めるべきなんだよ」といった
風なことを言われて、生まれて初めて(?)相手(アンパンマン)に対して
「ありがとう」と言った。すると今までよりもずっと幸せな気持ちになれて大団円。というお話。
アニメが古き良き日本人の公衆道徳を捉えたとてもいい例だと思う。
こういうアニメが世界に輸出されていくのはとてもいいことだと思う。
499: 2008/03/20(木) 02:32:26 ID:abpDEw8oO携(1/7)調 AAS
人間同士の尊重という一般論はひとまず置いておくとして、
果たして男と女の間に尊重し合う関係は成り立つのか?という疑問に答える。
成り立つ、というよりも成り立たせねばならない。
男と女というのは、その性質上お互いを最も侮蔑し合いやすい関係にある。
男は女を犯すという経験を通じて女を侮蔑し、女は男の「犯したい」という欲求そのものを侮蔑する。
いくら理想主義的な男女平等を唱えたとて、女が男に犯されるという事実や、
男の女に対する「犯したい」という欲求が侮蔑的なものであるには変わりない。
それならば逆に男は女の男に対する侮蔑を尊重し、女は男の女に対する侮蔑を尊重するようにすればよい。
「あなたは私のことを侮蔑しているようだが、私はあなたの私に対する侮蔑を
尊重する。だからあなたも私のあなたに対する侮蔑を尊重してほしい」
お互いの侮蔑を尊重し合うことにより、そこには一種のライバル関係が生まれ、
男はより男らしく、女はより女らしくありながらそれでいて
お互いを離さないという極めて機能的な関係を築き上げられる。
500: 2008/03/20(木) 03:37:31 ID:abpDEw8oO携(2/7)調 AAS
マリ子を侮蔑するのです。もうちょっと正確に言えばマリ子の“性”を。
男に犯される運命にあるその女という性をどこまでも侮蔑する。
その上マリ子を犯したい。いっぱいいっぱい、たくさん犯したい。
それはとっても侮蔑的なことなんです。侮蔑的な男の“性”です。
だから存分に侮蔑してください。
侮蔑し合うから一緒にならないのではなく、侮蔑し合うからこそ一緒になるのです。
お互いの侮蔑を解消することではなく、お互いの侮蔑を尊重することこそが真の愛なのです。
愛は綺麗事でなければ、どうしようもない罪でもありません。
意識の根底に相手に対する侮蔑が潜んでいる点では十分に汚らしいが、
その侮蔑を尊重して一緒になろうとする姿勢は一種の罪滅ぼしであるといえる。
どちらとも愛のいち側面なのであって、侮蔑なき愛も尊重なき愛も本当の愛とは呼べない。
愛に関する種明かしはこれで終わりです。その上であえて言うのです。
マリ子さん、貴女を愛しています。
貴女を心から侮蔑し、にも関わらず尊重する、つまり愛している。
どこまでもどこまでも侮蔑し、どこまでもどこまでも尊重する、
どこまでもどこまでも愛してる。
どこまでもどこまでも・・・
501: 2008/03/20(木) 10:37:04 ID:abpDEw8oO携(3/7)調 AAS
男が男らしくあるためにはある程度女を侮蔑し、
女が女らしくあるためにはある程度男を侮蔑する必要がある。
男でないものが女であり、女でないものが男だから。
かといって男や女がそれぞれ同性愛に走ることもこれまた空しい。
なぜならそれは、男と女が相手への――侮蔑を超えた――尊重を欠いていたということだから。
侮蔑によってお互いを突き放し合い、ある程度独立することで各自の魅力を磨き、
尊重によってまた近づき合い、他のどこよりも緊密な家庭を築き上げようとする。
遺伝子サンプルの保存という生物学的な観点から見ても、
男と女が一旦は突き放し合うという姿勢は理にかなっている。
一旦は突き放し合った男と女とが、もう一度近づき合う意義は、
身体的快楽よりはむしろお互いの精神性を学び取ることにある。
身体的快楽だけなら同性愛でもよい。
男は女の、どこまでも自己を拡張していく精神性を、
女は男の、どこまでも自己を凝縮していく精神性を
学ぶことにより、己の精神性と相まって全知全能にも等しい精神性を手に入れる。
お互いへの侮蔑を超えてまで尊重し、男女が近づき合うことの価値はそこにある。
502: 2008/03/20(木) 10:51:38 ID:abpDEw8oO携(4/7)調 AAS
男と女が相まうことによって生まれる全知全能の精神性は、
子種という新たな創造をも約束する。
しかもその子種は新たな男女に分かれて、新たな精神性を築き上げる旅に出る。
男と女の永遠の旅路。
今はお互いが若者であることによってまさにその旅路の途上にあるが、
年取ってヨボヨボの爺さん婆さんになれば、否が応にもその旅路から降ろされる。
その時までの苦労であるとも言えるし、楽しみであるとも言える。
お互いにがんばりましょう。そして「バーカ!」
503: 2008/03/20(木) 19:57:01 ID:abpDEw8oO携(5/7)調 AAS
今さら愛の正体に気付いたからって怖気付いてちゃいけないよ?
裏側に異性故の侮蔑を隠している尊重だからこそ愛と呼ばれる。
侮蔑を伴わない愛はただの尊重であって愛ではない。
つまり、ただの尊重のほうが本当は愛よりも貴いのであって、
お互いを侮蔑によって矮小化させる点にのみ愛の固有性がある。
ただの尊重に比した場合の愛特有の効用は、相手に対する侮蔑という前提を
己の自主的な尊重によって突き返そうとすることに自己満足を抱く点にある。
元々が生理的な嫌悪という最悪の事態であるにも関わらず
僕私はこんなにもきみあなたを尊重しているんだという自負、
これが愛によって得られる快感(幸福)の正体。
それでもきみあなたは僕私を愛するのですか?という話。
そもそも愛などにどれほどの価値があるのかといえば、
相手への侮蔑という負の側面と、尊重という正の側面を差し引きしてゼロ。
そう、愛の価値は紛れもなくゼロなんだ。
だからもう、愛してるとか愛してる?とか愛し合おうなんていう話はなしにしよう。
その代わりにお互いをただ尊重し合おう。
男女間の侮蔑という愛の暗黒面を一掃した純粋なる尊重こそは、
これからの男女関係にもふさわしい。
504: 2008/03/20(木) 20:30:19 ID:abpDEw8oO携(6/7)調 AAS
愛を超えて尊重し合おう――という話。
ただの愛――侮蔑を超えた尊重――は、それだけでも手に入れるのは難しいが、
実はそれだけでは何の価値もないのであって、さらにわれわれはその愛を超えて
相手を純粋に尊重することにより初めて価値ある関係を築き上げられるのです。
愛は家庭を作り、子供を作る。だから愛にも価値はあるのじゃないか?といえば、
家庭や子供を作るにしても、それらを持続育成させるためにはすでに
愛を超えた尊重を必要とするのだから、やはり肝心なのは
愛よりも愛を超えた尊重であるといえる。
愛を超えた尊重の伴わない愛が離婚を生み、児童虐待を生む。
いかに愛を愛によって保全するかばかりが論じられる昨今において
愛を超えた尊重こそは愛を守る真の武者であることに気づく人間は少ない。
505: 2008/03/20(木) 21:56:39 ID:abpDEw8oO携(7/7)調 AAS
愛は愛であり、愛を超えた尊重は愛を超えた尊重である。
愛を超えた尊重に愛の常識は通用せず、愛と愛を超えた尊重とは互いに独立しているとみて差し支えない。
だから愛は愛を超えた尊重を己の常識で無闇に拘束してはならないということもいえる。
その代わり愛を超えた尊重は愛の過不足を時に抑え、時に補う。
愛によって極端な幸福と不幸に二分化された社会は、愛を超えた尊重によって
“しおらしい”社会へと一変する。
小さな幸福にも満足し、大きな不幸にもへこたれないしおらしくて、力強い社会に。
506: 2008/03/21(金) 13:02:06 ID:vEauZyOcO携(1/4)調 AAS
愛を超えた尊重があるから愛し合わないというのではない。
愛を超えた尊重は愛があった上で、さらにそこに上乗せする尊重のことを指す。
愛を超えた尊重があればこそ十分に愛し合うこともできるといえる。
ただの愛は己の愛を向こうの愛よりも押し通そうとする自我にまみれているが、
愛を超えた尊重の伴った愛は己の愛よりも向こうの愛を優先させようとする譲り合いの心を持つ。
ただの愛は余裕のない愛=精神的貧者の愛、愛を超えた尊重の伴った愛は
余裕のある愛=精神的富者の愛であるといえる。
(ちなみに今の世の中、精神的貧者はむしろ実際上の富者のほうに、
精神的富者はむしろ実際上の貧者のほうに多くいるようである)
507: 2008/03/21(金) 22:30:37 ID:vEauZyOcO携(2/4)調 AAS
愛には実は、大小がある。
大きな愛とは、相手に対する侮蔑とそれを突き返す尊重との両者が大きい愛のことであり、
小さな愛とは、そうでない――侮蔑と尊重の振れ幅が小さい愛のことである。
愛を超えた尊重を容易に手に入れるためには、愛はむしろ小さいほうがいいが、
残念ながら愛は小さければ小さいほどそこで得られる快感も少ない。
そのため人々は小さい愛よりも大きい愛を選び、結果として愛を超えた尊重を手に入れ難い窮地に陥る。
より価値があるのは愛を超えた尊重のほうだが、快感に満ちているのはむしろ愛のほうだ。
それ故人々は愛を超えた尊重よりも愛のほうを優先しがちになり易い。
愛がどんどん大きくなって、尚且つ愛が何よりも優先されるとあっては、愛を超えた尊重に立場はないといえる。
愛が大きくなり、優先されることはもはや仕方のないことであるにしても、
それでも我々は愛を超えた尊重を手に入れることを必要とする。
愛がどこまでもどこまでも大きくなるならば、さらにそれを超えて相手を尊重し、
愛がより多くの人々によって優先されるならば、それに逆らって
愛よりも愛を超えた尊重を優先させねばならない。
508: 2008/03/21(金) 23:27:34 ID:vEauZyOcO携(3/4)調 AAS
愛を超えた尊重を育む能力には、男女間で大きな開きがある。
一般に、男よりも女のほうが愛を超えた尊重を育む能力に欠ける。
ただの愛によって精神的にも身体的にもより深刻な影響を被るのが女のほうだから。
だからといって女が男に愛を超えた尊重の育成を任せっきりにするのは後退的なことだ。
それこそ女は男よりも劣る生き物だと罵られても何の文句も言えない。
女は黙って家事と育児だけに精を出してろと言われたとしても何の反論もできない。
真に女が男と対等な立場に付こうというのならば、女もまた愛を超えた尊重を育むことをたしなまねばならない。
例えそれが男の猿真似――故に婦人の仁だなどと揶揄されることがあったとしても、
何の手だても取らないままにただ権利ばかりを主張するよりはよっぽど認められる。
509: 2008/03/21(金) 23:50:41 ID:vEauZyOcO携(4/4)調 AAS
男の立場から言わせてもらえば、逆に女であればこそ
愛を超えた尊重を抱くことにも価値があるんじゃないか?とすら思う。
男は元来、他者を尊重する能力に長けている、だからこそ主体的に社会を築き上げてこれた。
その男が今さら女に対する愛以上の尊重を抱いたからとて、何の驚きにも値しない。
仮に男が女に対し愛を超えた尊重を抱かないとすれば、それは「例えこっちがより大きな
尊重を女に向けたからって、何の尊重のお返しもないだろう」という一種の諦観による。
「女なんて所詮そんなものなんだ」という男の側の勝手な見くびり。
もし女のほうがその男の側の見くびりを裏切って、相手を愛以上に尊重することがあったとすれば、
それこそ一大事。新世紀の革命であるといえる。
そういう意味では、むしろ自分は男よりも女に期待する。
いま社会を変えられるのは女の側。変わらなきゃならないのも女の側。
女が変われば男も変わる。そうして新しい社会が築き上げられる。
510: 2008/03/22(土) 12:16:31 ID:0fNF8yoTO携(1/3)調 AAS
「より愛し合うために会う」から「愛を超えて尊重し合うために会う」へ――
全てを愛の中で完結させようとするから、蔑みや憎しみや怒りが募り、ひいては争いや別れに発展する。
侮蔑と尊重という愛の両側面のうち、より容易に快感を与えるのは侮蔑のほうだから。
どこまでも肥大化する相手への侮蔑を十分に抑え込むためには、侮蔑と同程度に相手を尊重することではなく、
侮蔑以上に相手を尊重することを必要とする。そして侮蔑以上の尊重こそは、愛を超えた尊重に他ならぬ。
愛が愛であり続けるためにも、人々は愛以上に相手を尊重することを学ぶべきである。
愛があるから愛以上の尊重を必要とし、愛以上の尊重があるから愛が守られる。
全ての愛よ永遠に。愛を超えた尊重の下で。
511: 2008/03/22(土) 20:07:37 ID:0fNF8yoTO携(2/3)調 AAS
尊重は優しさと似ているようで微妙に異なる。
優しさはただ相手に快感のみを与えることに終始するが、
尊重には相手の尊さをわきまえているが故の遠慮も伴う。
いわばただの優しさが、相手への節度を保った姿が尊重であり、
その意味では尊重のほうがただの優しさよりも一層レベルが高いといえる。
人間ただ優しけりゃいいってもんじゃない。
ただ優しいだけじゃそれは甘やかし、甘やかしのもとに育てば当然わがままになる。
わがままが募れば他者を傷つけ、己自身の品性をも損なう結果となる。
そのような相手側の事情までも思い遣った上で優しくすること、それが尊重。
相手の人間としての一層の健勝を願うが故の適切な優しさ。
優しさを超えた優しさ。
今の社会に求められているのもそういう優しさ(つまり尊重)。
512: 2008/03/22(土) 23:59:05 ID:0fNF8yoTO携(3/3)調 AAS
尊重はただ、相手の側の尊さを殊更に押し立てることによってだけではなく、
己の側の至らなさを進んで認める謙譲も相まって初めて成立する。
己の空しさを認めた上で相手の豊かさをも賞揚する敢行は、並大抵の覚悟でできることではなく、
それ故日本のような、相手に対する尊重がなければ日々の生活もままならない島国でしか、このような習慣は育たなかった。
しかし今、国際化によって人々の世界観の矮小化が認められるこの社会において、
人々が真に必要とするのが、この日本人の培ってきた他者に対する感謝と尊重の気持ちとその具象化であり、
それ故いま日本が、アメリカや中国のような大国からの圧力に屈することなく、
国際社会の先導者として十分な役割を果たすことが求められる。
513: 2008/03/23(日) 04:30:14 ID:JhfhzAd80(1)調 AAS
工学部がまたケータイで長文連投w
どこまで病んでるんだ一体w
514(1): 2008/03/23(日) 08:26:20 ID:ydS9NmgN0(1)調 AAS
なぜ携帯からだとわかるんだ?
515: 2008/03/23(日) 15:48:10 ID:Jti+A2R9O携(1/2)調 AAS
どこにも完全な人間などいない。長所もあれば短所もある。
お互いの短所を糾弾し、長所を否定するようではどこにも満足などあるはずはなく、
いくら物質的な豊かさを追求したとて満たされることはない。
しかし逆に、お互いの短所をかばい、長所を伸ばすように努めれば
わずかな物質上の用意でも十分に満足することができる。
前者のような他者に対する姿勢を侮蔑といい、後者のような他者に対する姿勢を尊重という。
侮蔑と尊重が相まうことにより愛が生まれるが、尊重に比して侮蔑はどこまでも肥大化していく性質を持ち、
それ故なんの倫理的統率も伴わない現代社会は、余す所なく侮蔑に満たされた。
それはつまり社会が侮蔑を補う尊重――そして、侮蔑と尊重の合弁体としての愛の出現を待ち構えているということだが、
侮蔑と同程度の尊重などは、すぐに肥大化する侮蔑のほうに飲み込まれて死んでしまうことが決まりきっている。
――キリストがユダヤ人にあっという間に殺されてしまうように――
516: 2008/03/23(日) 15:54:46 ID:Jti+A2R9O携(2/2)調 AAS
しかし、キリスト(侮蔑に見合った尊重)がユダヤ人(侮蔑)によって殺されるということは、
人類の罪禍を人類によってあがなうという、単なるマッチポンプに過ぎないのであって、
人々はキリストがユダヤ人によって殺された後の――侮蔑が尊重によって相殺された後の
ゼロからの尊重――ブッダの旅路こそを真なる価値ある代物として見定める必要がある。
だからこそ今、愛よりも愛を超えた尊重の存在が求められるのである。
517: 2008/03/23(日) 21:53:10 ID:uvyONLub0(1)調 AAS
>>514
IDの末尾
0=PCからの書込
0=ケータイからの書込
518: 2008/03/24(月) 00:18:32 ID:w6X+GjxG0(1/4)調 AAS
携帯から長文書き込むだけでアウトなのか? さみしい社会だな。
それに書いてることはいたってまともなことだぞ?
まるで潰れかけた地元の商店街のおそばやさんの主人の独り言のような。
江戸そば喰いてー。
519: 2008/03/24(月) 18:04:09 ID:DIVzABwh0(1/3)調 AAS
侮蔑が尊重によって埋め合わせられること自体――
つまり愛そのものに満足するのは女の領分――それも、前時代的な女の領分である。
愛が家庭を作り子供を作る――そのことそのものを全評価の対象として見、
そこに満足の糧を求め続ける――まさに昔の女そのままの在り方だ。
そしていくら社会進出を果たし、他者を尊重する術を身に付けたからといって
やはり女の真の幸せはあくまでも愛の中に求められ続けられるのだとしても、それは仕方のないことだ。
女とはあくまでもそういうものである、愛に生き愛に死ぬ、それが女。
そういう点から見れば、男は女よりも多少は愛から自由な立場にあるといえる。
男には愛から離れてやることがいくらでも存在するし、またそれらをやる能力に恵まれている。
体力しかり、論理的思考能力しかり、そして相手を尊重する能力しかり。
このことは女の側から見れば、非常に疎ましいことのようである。
「こっちは愛のために全人生を捧げているのに、どうしてそっちはもっと真剣になってくれないの?」
「愛を超えた尊重なんて所詮男だけの慰みものよ。女にとっては愛こそすべて、それ以外に考えられない」
そのような女の側の主張は、ある程度は正しいが、それと同程度にも間違っている。
男もまた愛に手を出す以上は、女の側が満足する程度にまで愛のために生きるべきである。
そういう意味では、女が男に対して「愛への不誠実」を感じ取った場合、それを糾弾するのは正しい。
しかし男というのは、女の側が満足する程度に愛のために生きてなお余りあるほどに大きいのである。
それゆえ女が、男の側が“完全に”その全生涯を愛のため“だけ”に尽くさなかったからといって、
それを糾弾するのは間違っている。
それはちょうど、東洋において醸成された純粋尊重の文化(主にチャイニズムとヒンディズムに基づく)が、
西洋において醸成された愛の文化(主にヘレニズムとヘブライズムに基づく)よりも、
数百年先行して育まれたという歴史的な事実からも読み取られることである。
この世界に存在する純粋尊重は、この世界の全ての愛を満たして余りあるほどに大きい。
それ故人々がお互いの愛を十分に満たした上で、なおのことお互いを尊重し合うことは保障されているし、
また義務付けられてもいることである。
520: 2008/03/24(月) 18:04:59 ID:DIVzABwh0(2/3)調 AAS
愛があるから人間がある。しかし愛を超える尊重があるから人間が守られる。
愛と愛を超える尊重とがそれぞれ西洋と東洋で独立的に育まれたからといって、
単純に愛と愛を超える尊重とを対決させ、どちらが勝つかなどと鑑みるのは間違っている。
そりゃあ歴史的には愛よりも愛を超える尊重のほうが古くから育まれてきたのだから、
単純な大きさ比べで愛を超える尊重のほうが愛に勝つのは目に見えている。
しかし愛を超える尊重が愛よりも大きいのは、愛を超える尊重から愛が差し引かれた時に
残る純粋尊重が人間を守るためなのであって、愛を超える尊重が愛を打ち負かすためではない。
男が女を負かすためではなく、女のために、女よりもより大きくあるように、
愛を超える尊重もまた、愛のために、愛よりも大きくあるのである。
521: 2008/03/24(月) 18:06:01 ID:DIVzABwh0(3/3)調 AAS
もし、女があくまでも愛の中に引きこもり、愛を超えた尊重を身に付けないのならば、
せめてでも男が女よりも大きいこと――愛を超える尊重が愛よりも大きいことだけでも認めるべきである。
そしてその男(愛を超える尊重)の側の大きさが、単なる男の側の慰みものであるに留まらず、
人類を守る上で欠かせない大切な一つの機能であることを知るべきである。
そしてその、男の大きさを無闇に妬むことなく、かえって己の側の満足を保障する糧として信頼するべきだ。
大きいことはただ人類を守るためだけではなく、小さいほう(女)を十分に満足させるための機能でもある。
もちろん男の側もまた、己の天分としての大きさに自惚れることなく、女の側を十分に満足させると共に、
なお且つ他者への尊重を積み重ねられるだけのなお一層の精進が求められる。
女の側を十分に満足させるための精進とは、愛を十分に満たすための努力のことであり、
他者への尊重を積み重ねるための精進とは、愛を満たした上で猶のこと他者を尊重する努力のことである。
愛を満たすことと、愛を超えて尊重することのどちらが欠けても真の男とは呼べない。
前者は西洋から求められ、後者は東洋から求められる。決してどちらをも疎かにはすまい。
522: 2008/03/24(月) 20:25:31 ID:w6X+GjxG0(2/4)調 AAS
愛を超える尊重の存在を認めた女こそは、真に愛に満たされうる女であるともいえる。
愛のためだけに生きる己の優位性に固執するあまり、己と同程度かそれよりも小さい男だけを傍に置き、
そのせいで「愛が満たされない」などと文句を言うことの愚かさ。
愛を超える尊重(女よりも大きい男)は、この世の中に確実に存在する。
キリスト教やプラトニズムなどに比した場合の、仏教や儒教などがそれである。
純粋尊重を育む般若と中庸は、愛を育む超越神とイデアよりも先駆けてこの世に生まれた。
それはあたかも、超越神とイデアという仮初めの服従対象の下で愛を培ってきた人々を、
般若と中庸という真理を得た人々が、更なる尊重によって真の満足へと導くためであるかのごとく。
そう考えてみれば、この世の中に過不足などどこにもない。
純粋尊重を主体的に育んできた人々は、愛を主体的に育んできた人々を満足させるために、
愛を主体的に育んできた人々は、純粋尊重を主体的に育んできた人々に満足させられるために
この世の中に存在し、お互いが相まって初めて人類全体を真の満足に導く。
一緒にならなければならない。男と女。東洋と西洋。
お互いの本分がたとえ、純粋尊重の追求と、愛の追求とに分かれていたとしても。
いや逆に分かれているからこそ一緒になることに意義があり、また大満足がわれわれを待っている。
523: 2008/03/24(月) 21:55:47 ID:w6X+GjxG0(3/4)調 AAS
女に対し、「男に対して従順になれ」などという気はさらさらない。
むしろいつでも男の側を愛の淵へと引きずりこもうとするだけの負けん気があればよい。
問題は男の側に、さらにその負けん気を乗り越えて純粋尊重を育むだけの寛容さがあるかであり、
もし女の側に、あえてあらかじめ小さな男だけを選別しようなどという意思がなければ、
そのような(男が負けん気の強い女を寛容する)関係は、現社会において十分に成立するといえる。
もしあくまでも女の側が、愛に満たされることを引き換えにしてでも男を征服することのほうを求め、
それゆえ大きな男がいるにも関わらず、小さな男だけを己の伴侶に選ぼうなんてするのなら
それこそその女の女としての器が知れるってもん。「なんだ、結局その程度の女なんだ」っていう。
女が男を愛のために引き落とそうとするのが女の希求ならば、
にも拘らず女がより大きな男を選ぶのは人類の女に対する希求だ。
前者は男の女への寛容さによって叶えられ、後者は女の男への寛容さによって叶えられる。
女の寛容さが男の大きさを受け入れ、その男の大きさがその女への寛容さの源となり、
その男の寛容さがその女の負けん気を十分に受け流す懐の深さとなる。
男と女、そして人類、三者共々の理想が叶えられる青写真。
524: 2008/03/24(月) 22:09:16 ID:3nZYSQCk0(1)調 AAS
HAKUのCMで見て一目ボレしました
初恋の人に目がそっくりです
525: 2008/03/24(月) 23:59:26 ID:w6X+GjxG0(4/4)調 AAS
男が大きすぎると、女の側がその男に対する引け目を感じることもあるようだが、
むしろ男のその大きさに対して、「引き落としがいがある」とうそぶくだけの余裕が女にあっていい。
男と女ってのは、あくまでも全くその方向性が違う生き物。
男が頑張る。女はその頑張りを引き落として幸せになる。
もちろん男もある程度は女に幸せを分けてもらうし、女のほうも頑張るが、
あくまでも主体的に幸せになるのは女の側、主体的に頑張るのは男の側。
それでいいんです。それでどこにも不満足はありません。
男は頑張り、その頑張りを女に分け与えることに満足し、女はそれによる幸福に満足する。
不用意に男と女を均そうとしないこと。もし均すんだったら徹底的に。
均さない限りにおいて男女は満足だし、徹底的に均されてもこれまた満足だ。
均さない限りとは、男女が一緒になることであり、徹底的に均されるとは、
男女の関係の理論的追及を極めることをいい、それはここで行われて実際満足している。
どっちでもいい。どうとでもしろ。どうあがいたところで大満足だ。
526: 2008/03/25(火) 14:02:24 ID:rK5EjIba0(1/4)調 AAS
世の中には大きい男もいれば、小さい男もいる。
そしてむしろ小さい男のほうが、女に媚び、舌先だけで女を丸め込み、より多くの女を囲い込んでいる。
大きい男のほうはその大きさと、寡黙さと無骨さゆえに、結構な女を取り逃がしているのが現状である。
「大きい男が女ごときにこだわるな。男なら男らしくドーンと構えていろ」というのはあくまでも強がり。
やっぱり大きい男でも、心の底では女を欲しがっている。しかも本質的には、小さい男などよりもずっと
女のことを意識している。意識が強すぎるからこそおいそれと女に手を出せない。所謂「ウブ」ですな。
そんな男が、自らの大きさを全て一丸にぶつけてきたんじゃ、女のほうもたまらないに違いない。
だから大きい男には女に対する「手加減」が必要だということになる。
自らの育んできた純粋尊重を一気に全てではなく、適度に切り分けて女の側の愛に注ぐ。
これは確かに、大きな男がその大きさ故に、女と接する上で必要な作法であり、
(小さい男にはこんな作法など必要ない。好き勝手やってそれで女を取り込めるんだからうらやましい限り)
孔子などは大きい男であるにも関わらず、この作法に対する弁えがなかったから、妻を取り逃がす失敗を犯したといえる。
男が大きいことはいいことだ。でも大きい以上は女に対する接し方も工夫せねばならない。
ただ大きいだけでも女に接する上での障壁なのに、さらにその接し方にも工夫が必要。
大変ですな。まあ仕方がない。むしろその大変さをも楽しんで。
527: 2008/03/25(火) 17:14:32 ID:rK5EjIba0(2/4)調 AAS
全体的な観点から見れば、この世界に存在する純粋尊重が
この世界の全ての愛に比して“大きすぎる”ということもないようである。
純粋尊重を育む教理(仏教儒教など)が、愛を育む教理(キリスト教プラトニズムなど)よりも
先行してこの世界に生まれたとはいっても、それはたかだか数百年の話。
一万年を超える人類の歴史から見れば、これは十分に“僅差”だといえる。
ただ、実際上の個別の男ども(純粋尊重の象徴としての)を見れば、その大きさは非常にまちまち。
先にも挙げた仏陀や孔子などは、男としてあまりにも大きすぎたが故に、
自ら妻を離別して出家したり、妻に逃げられたりするはめになった。
しかし例えばソクラテスやイエスなどは、絶対的な観点から見れば決して小さい男では
なかっただろうが、ソフィストやユダヤ人といった論敵を説伏してなおのこと相手を尊重するには
男として小さすぎたために、恨みを買ったり殺されたりするはめになったといえる。
微妙なところにいるのがニーチェ。彼は西洋の人間であるにもかかわらず
西洋の道徳が侮蔑と尊重の合弁体としての愛に囚われている点を見抜き、
愛の監督者としての(超越)神の死を宣告することにより、西洋の人間が愛を超えた道徳を
育むための道を切り開いた。しかし、彼はあくまでも愛を超えるというその試み自体に
精力を傾けすぎ、愛を超えて他者を尊重するという男の本分を疎かにした。→ニヒリズムへの没頭そして発狂。
そういう意味では、彼は純粋尊重を育む上で十分な大きさを持たないにも関わらず、
西洋において特に肥大化していた愛を超えようとした非常に奇妙な事例であるといえる。
528: 2008/03/25(火) 17:15:40 ID:rK5EjIba0(3/4)調 AAS
結局は、普通の男と女であればよい。
仏陀や孔子ほどにも大きすぎず、ソクラテスやイエス(やニーチェ)ほどにも小さすぎない
普通の男が、美しすぎず醜すぎない普通の女と対峙したとき、それはちょうどよい大小のバランスになる。
女の側が十分に愛に満たされ、男の側は愛を満たした上でなおの事――ただし少しだけ――純粋尊重を育む。
それは、精神的身体的な“平均値”が男女に保障する健全な関係。
もちろん本当は、男は大きければ大きいほどいいし、女は美しければ美しいほどいい。
しかし男のほうが大きすぎると女のほうが引け目を感じるし、女のほうが美しすぎると男のほうが引け目を感じる。
つまり、本当に難しいのは、小さい男と醜い女が一緒になることでも、普通の男と普通の女が一緒になることでも、
小さい男と普通の女、小さい男と美しい女、醜い女と普通の男、醜い女と大きい男が一緒になることでもなく、
大きい男と美しい女が一緒になるということ。これこそが最も難しい。
故にこそもっとも大きな愛が、最も大きな尊重に満たされた上で、
なおのこと世界に多くの尊重を振りまくという奇跡にも等しい邂逅となる。
529: 2008/03/25(火) 18:07:10 ID:rK5EjIba0(4/4)調 AAS
大きい男と美しい女が一緒になるためには、
大きい男の側が女に対して手加減することが必要なように、
美しい女の側が男に対して手加減することも必要になる。
大きい男が女に対して必要な手加減が、小さい男や普通の男には必要のないものであるように、
美しい女が男に対して必要な手加減も、醜い女や普通の女には必要のないものだ。
つまり、美しい女は醜い女や普通の女が必要としないある種の特別な“作法”を必要とする。
それは、相手に対する単純な優しさや厳しさなどではなく――優しさや厳しさは醜い女や
普通の女にも必要だ――、己が美人であるにも関わらず、あたかもただの女であるかのごとく
振る舞う謙遜である。あなたが美人であることなんて誰もが知っている。そして美人であることに
自惚れるのも結構だし、それはある意味当然のことだ。しかし自惚れるほどの美人であればこそ
他者に対して「ぜんぜん美人じゃないですよー」と建前上の、あくまで建前上でいいから謙遜を
貫くことが必要。そしてあたかも美人でないかのごとく振る舞うだけの「余裕」が必要。
大きいにもかかわらず自分の大きさを押し殺す男が、
美しいにもかかわらず自分の美しさを押し殺す女と出合って初めてうまくいくということができる。
己の大きさをひけらかしてただの女しか取り込めない男、
己の美しさをひけらかしてただの男しか取り込めない女、
大きい男や美しい女でも(かえってそうだからこそ)そうなる危険性を十分にはらんでいる。
大きいからこそ美しいからこその謙遜。そこで初めて大きく美しい男女の関係が成立する。
530: 2008/03/26(水) 09:38:10 ID:4wJMP50g0(1)調 AAS
男が大きいことや女が美しいことは、相手の美しさや大きさを寛容するどころか突っぱねる原因にすらなる。
男が自由に大きくあるためには、むしろ相手の女は大したことがないほうがいいし、
女が自由に美しくあるためにも、むしろ相手の男は大したことがないほうがいい。
しかし男や女が自由に大きく美しくあることと、実際にそれらの男女が大きく美しいこととは必ずしも比例しない。
己の大きさを押し殺した男でも十分に大きいどころか、より大きく見えることもあるし、
己の美しさを押し殺した女でも十分に美しいどころか、より美しく見えることもある。
そういう押し殺された大きさや美しさであれば、相手の美しさや大きさを阻害する原因にはならず、
かえって相手の美しさや大きさを引き立てるいい薬となるだろう。あくまでも姿勢の問題。
「俺って大きいだろう」「私って美しいでしょう」そういう内面の自負が表に現れたとき、
相手に耐え難い苦痛を強いる。大したことない男や女であればまだしも、大きい男や美しい女であればこそ
到底受け入れるわけにはいけない劣等感を抱かせる。故に大きい男と美しい女が一緒になるためには
お互いの大きさと美しさが十分に押し殺されている(決して解消されているのではなく)ことが必要だということ。
大きい男や美しい女が、さらに美しい女や大きい男と一緒になるためにという極めて特殊な例ゆえの作法。
531: 2008/03/26(水) 20:22:00 ID:ZiSgYBpWO携(1/2)調 AAS
侮蔑と尊重が相殺し合う限りにおける「愛の世界」、相殺され尽された所から始まる「純粋尊重の世界」、
そのどちらもが人類のあり方を示す独立した個々の世界であるといえる。
愛の世界には、人類の罪禍をあがなうという後退的な意味が伴う反面、
拡張(女性的侮蔑)と凝縮(男性的尊重)の両面において人類の成長が認められるという前進的な意味も伴う。
ひるがえって純粋尊重の世界はといえば、人類の罪禍があがない尽されたという理由により後退的な意味が伴わないが、
凝縮に比して拡張の側面における人類の成長が(名目上)見込めないという理由により、その前進的な意味は半減している。
侮蔑と尊重が相殺されてゼロになるまでの愛の世界よりも、
ゼロから尊重を重ねる純粋尊重の世界のほうが依然価値があるには変わりないが、
純粋尊重が愛を上回ったという、純粋尊重の世界特有の現象が、愛の世界に比して
ある種の物悲しさを呈するのも事実である。
532: 2008/03/26(水) 21:27:15 ID:ZiSgYBpWO携(2/2)調 AAS
それ故こういうことがいえる。
愛の世界と純粋尊重の世界、その内のどちらか“だけ”を人類が選ぶべきだなどとは言わない。
愛の世界は愛の世界で、これからも独立的に十分な成長を続けるがよい。
その勢い、今までと同等どころか、それ以上であってもよい。
にも関わらず、純粋尊重の世界よこの世に生まれ、
人々を十分な満足(平和)に導くだけの尊重をこの世に振り撒け。
その勢い、今まで以上の拡大を見せる、愛の世界の成長をさらに超えるかのごとく。
注:
前段において提示した(純粋尊重の世界の住人としての)大きい男と(愛の世界の住人としての)美しい女が
出会うときに必要な謙遜の作法は、あくまでも違う世界の住人である両者が出会うときにのみ必要なものであって、
両者ともに己の世界における大きさや美しさの追求は、今まで(出会わなかった場合)以上にも求められるのである。
533: 2008/03/28(金) 12:44:14 ID:Tahgrpm40(1)調 AAS
マリ子ちゃんの知性的なところが好きです
534: 2008/03/30(日) 00:04:35 ID:rGa9bFs4O携(1)調 AAS
マリ子ちゃんは美しい
それだけですばらしい
535: 2008/03/30(日) 00:21:45 ID:E4hnUeSW0(1)調 AAS
マリ子ちゃんの瞳が美しすぐる
536: 2008/03/30(日) 14:43:10 ID:uMwy5SVcO携(1)調 AAS
マリ子ちゃんの鼻は神
537(1): 2008/03/31(月) 21:49:46 ID:D4cQz5UQ0(1)調 AAS
長文連投くんに聞きたいんだが、その文はコピペか?オリジナルか?
538: 2008/04/01(火) 07:50:17 ID:BDS3ruiv0(1)調 AAS
>>537
マリ子スレに古くから常駐してる通称「工学部」だよ。
時々暴走するんだけど、この度は暴走にも程がある。完全にスレを占拠してる。
レスしてもまともな対話不能な奴だから放置しといてね。
ちなみに奴は自作HPに難解哲学論文を発表してる。
外部リンク:lozenge.web.fc2.com
マリ子を主人公にした小説もあったけど何故か削除してるな。
539: 2008/04/01(火) 20:07:17 ID:xQtGuLjHO携(1)調 AAS
初めてCMで見た時は大人っぽいからもう30前後かと思った
540: 2008/04/02(水) 05:12:39 ID:SETkT1gcO携(1)調 AAS
いい意味で三十前後に見える
541: 2008/04/03(木) 17:52:13 ID:TnRbfGpt0(1)調 AAS
村上春樹訳の「ティファニーで朝食を」が出てるね。
ハルキストのマリ子は垂涎で読むだろうな。。
542: 2008/04/03(木) 18:47:39 ID:Fnl0kFc/0(1)調 AAS
凶気の桜のときも17歳には見えなかったからな・・・24歳くらいに見えた
543: 2008/04/06(日) 04:51:21 ID:FD7Dfgua0(1)調 AAS
r
544: 2008/04/06(日) 20:30:35 ID:aqOrnVI+O携(1)調 AAS
マリ子の身長はいくつ?
545: 2008/04/08(火) 09:36:53 ID:4ArNE2n60(1)調 AAS
171cm
546: 2008/04/09(水) 21:50:04 ID:4omqJJdQO携(1)調 AAS
マリ子、オイラも子供をかわいいと思う年ごろになっちまっただよ。
国際線の機内で隣り合わせた時に、アームレストに載せた腕のさらに上に
頭のせて寝られた時には“キュン”ときたよ。
起きると腕が痺れて、上着もよだれ尽くしになってたけどそれでもかわいかったよ。
ほんの数年前まで、子どもなんて小さいばっかで
憎たらしいと思ってたのがずいぶんな変化だよ。
マリ子もせいぜい、お腹の卵を大切に。
547: 2008/04/12(土) 03:02:19 ID:zNZvS8jY0(1)調 AAS
あ〜あ、「アテンションプリーズ」を降板してなかったら、
今回のスペシャルでもマリ子が見れたのにな。。
あの降板でブレイクし損ねた感があるような。。
548: 2008/04/12(土) 23:57:46 ID:Ca0Csqh50(1)調 AAS
写真集買おうと思うんだが
ここの住人のお勧めはある?
自分の好みは午後ティー、HAKU、ミナクア、リモーネの雰囲気
549: 2008/04/13(日) 05:19:27 ID:YUREKr/R0(1)調 AAS
やっぱファーストがおすすめだけど入手困難なんだよね。。
550: 2008/04/13(日) 13:15:00 ID:KNY/4st10(1)調 AAS
マリ子も「ファクトリー・ガール」は観るかな。
外部リンク[html]:www.zakzak.co.jp
551: 2008/04/14(月) 00:50:38 ID:/o/0ymhr0(1/2)調 AAS
必ずしも模範にはならないし、全てを解決する決定打になるわけでもないが、
これからの男女および東西社会の関係を考える上で重要な鍵になるのが中東だ。
この世界全体の思想宗教的な均衡を鑑みた場合に、この世界の中心となっているのが中東であるといえる。
イスラエルでキリストが生まれ、ネパールでブッダが生まれ、中東はその間。
宗教的にはイスラムという、アブラハム系の一神教に帰依するにも関わらず、
スーフィズムやスブハ(数珠)などの東洋からの影響を強く受けた習慣も持ち、
何よりも「男系社会」であるという、この極東社会の日本にも通じる性質を持つ。
神を信じる男系社会――この、ありそうで他に類を見ないイスラム特有の社会体制が、
これからの世界のあり方を考える上で重要な意味を持っている。
神への信仰も男系社会としての色濃さも、イスラムは他に類を見ないほどに厳格だ。
ユダヤ=キリスト教徒のように自分の側が神の視点に立つ反則を犯すこともない代わりに
未だに一婦多妻制を容認し、女性にヴェールの着用を義務付けるほどに男女間の差別を明確に置く。
ここに、男尊女卑と神格信仰という、東西社会がそれぞれに培ってきた精神的傾向が集約されているといえる。
男が神を信じるということは、女性がヴェールを着て第何夫人に成り下がるということと同様の意味を持ちうる。
もし女からみてウ゛ェールや一婦多妻などのイスラムの慣習が侮辱に過ぎると感じるなら、
同様に男が神を信じることもまた男にとって侮辱極まりないものであるということ。
にも関わらず言えるのが、イスラムの男女は極めてうまくいっているということ。
(みんな腕組んで歩いてる)
男が神を信じ、女がヴェールを纏い第何夫人に身をやつすことでこそ男と女はうまくいくのだとイスラム社会は主張する。
男はみんな男らしく(誰も日本男みたいにピアスなんかしてないよ? 代わりに女子は赤ん坊のころからピアスするが)
女はみんな女らしく(別に極めて美しいというわけじゃない。ただ美しいだけならインド系やヨーロッパ系のほうが美しい。
でもなんというか、中東の女性は本当に女らしい。貞淑でいじらしさに満ちている)
ありながら、それでいて徹底的な(男の足枷としての)神格信仰と(女の足枷としての)男尊女卑を
介することにより、男女間の不和と不均衡を徹底的に排除する。
そこには――全くのかりそめであるにしろ――これからの東西社会や男女のあり方を示す、
半ば反面教師とも呼べる雛形があるといえる。もちろん非イスラムの男性がイスラム並に神を信じたり、
非イスラムの女性がヴェールや一婦多妻に身をやつしたりする必要はないけれど、
もし東西社会の男女が自分たちの精神的傾向を真に踏まえた上での付き合いを目指すというのなら、
男は――それが極めて侮辱的であるにも関わらず――神を信じ、
女はヴェールと一婦多妻に身をやつすほどの覚悟が必要であるということ。
552: 2008/04/14(月) 01:48:03 ID:/o/0ymhr0(2/2)調 AAS
もちろん、これはあくまでも最悪の事態であるといえる(イスラムの人々には申し訳ないが)。
男が神を信じ、女が一夫多妻に身をやつす――特に儒教徒の男や
キリスト教徒の女などにとってはどちらも反吐の出るようなことに違いない。
でも、そうすることで少なくともその内情においてはうまくいってる人々がこの世界の2割近くを占めるということ。
神格信仰という首輪をはめられた男、男尊女卑という首輪をはめられた女、
それらはかつてコーランを矢の的代わりにした男や、ヴェールを一生着ないことを誓った女や、
はたまた一妻多夫制までも容認していた太古の前例をもとに戒められた姿。
人間の業(カルマ)を徹底的に背負い受け入れたことの先にあるもの、それがイスラム。
人間が愛に満たされたちょうどその瞬間にあるもの、それがイスラム。
西洋の侮蔑と東洋の尊重、それらがあい合わさってゼロになった瞬間――
愛が満たされて、それ以上でもそれ以下でもなくなっている状態それがイスラム。
イスラムこそは、全ての終わりであるとともに始まりである。
東洋的価値観と西洋的価値観を良くも悪くも混交させて醸成させた結果があれ。
確かに(イスラム)以東の文明ほどに純粋尊重の育成に秀でているわけではないし、
以西の文明ほどに愛の育成に秀でているわけでもない。しかし東洋の文明と
西洋の文明が仲介もなく直接衝突を果たせばどうなるかという試みの結果が
あれであり、われわれはよくもわるくも「あそこから、どうやって始めていくのか」
ということを真剣に考えていく必要があるのである。
553: 2008/04/16(水) 00:46:37 ID:04sTIi7a0(1/3)調 AAS
あくまでも、イスラムは「逆説」である点に留意されたい。
男が神を信じることを強要されるのは、女がヴェールと一夫多妻を
強要されるのと同じぐらいに屈辱的なことであるということ。
それをわかってもらいたかったが故に引き合いに出したのがイスラムだったってこと。
派手な服着てもいいし、浮気もしないから、
こっちにも「神を信じろ」なんていう強要はしないでくれっての。
むしろ「神なんか信じないでくれ」とそっちから要望してもらいたいぐらい。
神を信じないからこそ、マリ子一人を愛す。
神を信じることこそは浮気の第一歩。それがイスラムの(逆説的な)教え。
神も信じず、浮気も容認しないところから初めて二人の健全な関係が始まる。
554(1): 2008/04/16(水) 07:58:38 ID:najvsvrO0(1)調 AAS
また工学部の病気が始まった。。
555: 2008/04/16(水) 08:51:34 ID:2qKPT3DhO携(1)調 AAS
動画リンク[YouTube]
556: 2008/04/16(水) 21:58:00 ID:04sTIi7a0(2/3)調 AAS
>>554
いろいろ勉強した挙句、儒教、仏教、ヒンズー教、イスラム教までは寛容できたのです。(神道は言わずもがな)
これで世界全体の60%超。それでもあなたは私を病人扱いするのですか?
世界の六割以上の人々が認める価値観でも、病気ですか?
むしろ病気に値する人々があるとすれば、あなた方のほうではないですか?
アブラハム系の宗教を、しかも女系において信仰するという、極めて限定された範囲内における信仰、
それが全世界に対して暴威を振るったにもかかわらず、全世界を征服するには至らなかったという
その事実にいい加減気付きませんか? あなた方が精神的なマイノリティであることに気付きませんか?
マイノリティであらずんば、少なくとも二つあるうちの一つであることに気付いていただけませんか?
神を信じるぐらいなら、むしろ己を信じたほうがマシだった人間が
全世界の半数以上を占めていることにいい加減気付きませんか?
神を信じない男の下でのみ、マリ子が幸せになれることにもうそろそろアハ体験しませんか?
神を信じない――自力本願の男――利家がまつを生涯伴侶とするようにでしか
男女の最高の関係は築き上げられないことをもうそろそろ知ってしまわなければならないのではないでしょうか?
557(1): 2008/04/16(水) 22:06:37 ID:zZldzZex0(1)調 AAS
工学部・菱隼人のHP
外部リンク:lozenge.web.fc2.com
558: 2008/04/16(水) 22:25:10 ID:04sTIi7a0(3/3)調 AAS
>>557
工学部も菱隼人もあくまで仮名なのだよ。
人間の本質はここに書き捨てられてきたような“小説”ではなく、
己の全てを一大事にぶつけてきた“大説”によってのみ明らかになるのだよ。
政府も大学も国連もまったく不十分な機関だよ。
それらの実利的組織を超越した“学林”によってのみ人々は理想に導かれるよ。
そんな簡単なことにも気付かずに数百年間右往左往し続けてきた
西欧の権威権力機構はまったく無能な存在だよ。
その西欧に性懲りもなく付き合ってきた近代の日本も一笑に付すべきだよ。
まさに日本は関西のお笑いコンビの一環にすぎないよ。
559: 2008/04/18(金) 00:16:12 ID:jfqHPu+X0(1/5)調 AAS
「位攻め」は自分の趣向ではないので、イスラムはひとまず「伸び代」として一旦捨て置く。
それでこちらの手取りが全人類の約40%。だいたいそっちと同じぐらいの人数。
ただしそちらが征服的な態度を取るようであれば、いつでもイスラムをこちら側に取り込む所存。
お互い人類の四割前後を支える価値観同士、人類にとってかけがえのない価値観である同士、
無駄な争いは避けてお互いの違いを認め合い、この狭い地球においては
共存を図っていくことこそが、理想とはいかないまでも、望ましいことと思うが如何か?
そちらに譲れない一線があるように、こちらにも決して譲ることのできない一線がある。
そういった点は最初は黙認でもし合って、少しずつ折り合いをつけていくのが肝要かと思われる。
一元論から二元論へ、こちらにはそちらを容認する覚悟があるから、問題はそちら側の覚悟。
自らよりも古い歴史、自らよりも深遠な智慧、そして自らよりも敬虔な信仰の実在を認めた上で
それらへの畏怖を絶やすことなく、謙虚な姿勢で以って世界に向き合いなおす態度が必要。
世界中に迷惑を撒き散らしてきた己の罪業を真剣に反省して、いま一度やり直す覚悟が必要。
認められないのは今までのこと。そして大体においてこれからも認められないに違いない。
だいたいが「死者の復活」という宇宙の真理に反した見識から始まっている価値観。
事実を認めないことなど今に始まったことではないのだから。
だから、期待はしない。ただ提言するだけ。
“誤謬の殻”に引きこもって出てこようとしないあなた方に対し
出てくきたときの待遇の保障と、祝福と、また出てくるまでに必要な勇気を奮い立たせるぐらいしか
こちらにできることはない。ただただ「がんばれ」と。「みんな君たちの改悛を心から願ってるんだよ」と。
立てこもり強盗に投降を促す警察官のような心持ち。
560: 2008/04/18(金) 01:33:22 ID:jfqHPu+X0(2/5)調 AAS
今ではむしろ、東洋の側に偏重して味方するよりも
東洋と西洋の思想宗教的な対立をより客観的な立場から眺めている自分がいることに気づく。
そういう意味では、東洋と西洋どちら側にも属するともいえ、またどちら側にも属さないと言える
中立、折衷、第三者的な思想体系としてのイスラムが、自分の中で神道に比肩するほどの
特別な存在としていま内心をもたげてきているところがある。
儒教、仏教などを支柱とする東洋的な価値観が全人類の四割を占め、
キリスト教、プラトニズムなどを支柱とする西洋的な価値観がまた四割を占め、
残りの二割がイスラムと神道という、中間的な立場に属する。
極めて均衡のとれた現代社会の価値配分であるといえる。
ただ、今の社会情勢を見ていると、西洋(特にアメリカ)がイスラムを
より敵視している様子が見受けられるため、イスラムと東洋が結託する口実が
いくらでも見い出せると言う意味合いでは、西洋よりも東洋のほうに勢力均衡が傾く可能性が高いといえる。
今の日本政府にそこまでの慧眼を備えた人物がいるかどうかは判断しかねるが、
少なくともこの日本がこれからも人類社会における繁栄を目指そうというのであれば
明治維新以来続いてきた西洋偏向の社会体制を転換する必要があるといえる。
(かといって同じ東洋でも中国にすり寄りすぎるのはいけない。隣国に与した国が
衰亡の危機に見舞われるのは国際社会における暗黙の了解。歩み寄るならまずインド。
中国はその後。また歩み寄る上でも警戒を怠ることなく。事前の国防体制の充実は必須)
そしてもし、日本が東洋の価値観にも西洋の価値観にも依存しない独自の
価値観のもとに歩みだそうと考えるのであれば、好例としても悪例としてももっとも参考になるのが
インドでも中国でも、ヨーロッパでもアメリカでもなく、アラブ社会であるといえる。
全く日本人がこれまで察知せず、また価値体系としても実際日本人と正反対といえる
アラブこそは、これからの日本人の――石油などの利権絡みに依存しない――
真の交際相手として相応しいのかもしれない。
561: 2008/04/18(金) 01:59:44 ID:jfqHPu+X0(3/5)調 AAS
別に、日本人にムスリムになれなんていうことを強要する気はない。
かくいう自分だって神道からイスラム教に完全に鞍替えするほどの思いはないんだ。
ただ、政教一致や学林の設置、それに聖職者の否定など、
日本人が今まで思いもよらなかったような体制のもとに他民族統治を図るアラブ社会には、
今さら欧米や印中に傾倒するよりもより多くのことを学び取れる素養が確かにあるといえる。
そして先にも挙げた圧倒的な神格信仰と男尊女卑の両立、
その信仰たるやユダヤ教徒やイスラム教徒の比ではなく、
女性差別の徹底も仏教や儒教の比ではない(例:法華経における女人成仏の段)。
これは確かに現代の日本人が受け入れるにはあまりにも突飛にすぎるのだけれど、
そのような厳格な人間のあり方が今もなお、しかも10億人を超える人々によって
支持され続けているという事実に目を見張る必要がある。
(アメリカ人の唱えるような)自由と独立ばかりが人間の理想ではなく、
また(中国人の擁するような)神も法も恐れぬ厚黒ぶりばかりが人間の本性でもない、
自ら神格信仰や男尊女卑と言った、己ら自身をがんじがらめにするあり方をあえて選択し
東西のどちらの価値観にも半ば与し、しかし完全には与せず、あくまで独自の
価値観を擁立し続けようとするアラブ社会の存在は、東西の価値観を無制限に
取り入れ続けてきたこの日本という国がこれからいかなる針路を辿るべきなのかを
見定める上で重要な参考となるに違いないのである。
562: 2008/04/18(金) 03:21:18 ID:jfqHPu+X0(4/5)調 AAS
さて、ここまで論議が煮詰まると一つの結論が導き出される。
日本に今でも散々とちょっかいを出してくるどころか、自国の軍隊まで日本に駐留させて
未だに制空権すら認めない、(残念ながら)マリ子も生まれた、日本の右隣にあるあの国の処遇について。
付き合いを断てるほど、今の日米の関係は疎遠ではない。
実際自分が着ている服もアメリカブランド(ただし中国製)だったりする。
敗戦=占領という先だった事情があるとはいえ、中国と同様、アメリカもまた「隣国は敵」という
国際関係論の法則に当てはまることにいい加減気づかねばならない。
太平洋という大海を介しているとはいえ、あの国もまた日本の隣国であるには違いなく、
中国に対すると同様に、アメリカに対してもまた精神実務両面における警戒が必要なのである。
特に今のアメリカは「アラブ侵攻」という、西洋社会全体の凋落の呼び水ともなる愚行に手を出した、
まさに墓穴を掘った状態にあるため、同じ凶相に取り憑かれるのを避けるためにも、より一層の警戒が求められるのである。
563: 2008/04/18(金) 03:22:55 ID:jfqHPu+X0(5/5)調 AAS
以上の結論から、自分がマリ子に対して言えることはこうだ。
自分はマリ子を愛する。しかしそれはできうればあくまでも日本人としてのマリ子であることを望む。
これは決してアメリカに対する先入観による毛嫌いでもなければ、
拝金主義や資本主義に対するイデオロギー的な反感によってでもなく、
あくまでも国際社会の見通しや損得勘定を踏まえた上での冷静な判断であるということ。
自分が日本人である以上は、アメリカよりも日本のことを第一に考えるのは当然のことだし、
日本を第一に考える以上は、優遇すべくは中国やアメリカよりもインドやヨーロッパ、
またインドやヨーロッパよりもアラブであるというのがしごく冷静な見通し。
この見通しに対してマリ子が賛同し、協力してくれるのであれば非常に“助かる”。
もちろん自分の生まれ故郷でもあり、祖父母も暮らすアメリカを見捨てるのは断腸の思いに違いない。
しかし、そうしたほうがマリ子自身の利益にもなるのだということ。
むしろ功利性を最優先するアメリカ的な合理主義こそが、いまそのアメリカが
落ち目であり、なるべくなら“買わない”ほうがいいのだと勧めていることに気づいてほしい。
大部分のアメリカ人は、自国に対する主体感情から否応にもアメリカに居残る他に術はないが
幸いにもマリ子は半分日本人、十分己の半身の病理を切り捨てても生き残れるだけの素養を持っている。
あくまでも何が損で、何が得かということを冷静に見極める
ドライな“アメリカン・スピリット”によって、アメリカを捨てなさいということ。
大抵のアメリカ人にはもうそれができない、しかしあなたにはできる、
故にこそあなたこそは数少ない真のアメリカン・スピリットの継承者となるのだ。
564(1): 2008/04/18(金) 04:01:59 ID:wG4Yi7r3O携(1/2)調 AAS
※注:
現在のアメリカによるアラブ侵攻を、中世における十字軍遠征と重ね合わせる試みが
(しかも当のアメリカ大統領の口からも)行なわれているが、これは明確な誤りである。
何よりもパワーバランスが違う。前者は弱者(ヨーロッパ)の強者(アラブ)に対する
ささやかな抵抗だったが、後者は強者の弱者に対するいじめである。
しかもアメリカ自身を含めた新世界の発見によって、西洋社会のテリトリーが急激に拡大したことにより
現代のアラブ社会は西洋と東洋という、拮抗する両極社会の中間という繊細な立場に身を置いている。
その現代のアラブに対して侵攻を行うことは、東西社会の均衡を破るという理由によって
ユーラシア大陸のいち部落にすぎなかった中世ヨーロッパがアラブに喧嘩を売ったことよりも
遥かに(負の側面において)重大で深刻な意味を持つのである。
565: 2008/04/18(金) 04:09:21 ID:wG4Yi7r3O携(2/2)調 AAS
>>564の訂正:
「前者」と「後者」を入れ換えてね♪
566(1): 2008/04/18(金) 10:26:54 ID:7llCdl4P0(1)調 AAS
誰も読んでないゲロ文を校正する不毛な律儀さwwwwwwウケルwwwwww
567(1): 2008/04/18(金) 15:29:42 ID:rQd25zRN0(1)調 AAS
ホント
自分の世界だけに浸ってる哀れな奴だ
オナニー文なんか100円貰っても読まないぜw
568: 2008/04/18(金) 17:58:06 ID:2COFDCfQ0(1)調 AAS
>>566-567
ゲロ文やオナニー文だとわかること自体、読んでる証しさ♪
自分が「アメリカを捨てて、中国に付こう」などとは決して言ってない点に注意されたい。
むしろ短期的な利益を考えれば、いま一番買いどきなのは中国に違いない。
けれどもあくまで中国でもアメリカでもなく、インドやヨーロッパ、
さらにはアラブなどというより遠地との提携をいまの日本に促すのは、
日本を含めた特定の国家社会に利権が偏重するのを忌避してのことに他ならない。
本当は自分とマリ子と、なんらの利権の蠢きにも惑わされない
純粋な愛のもとに暮らせることが最も望ましい。でも現実問題として
人間のあるところには利権があり、利権があるところには争いがある。
このような問題を緩和するためには、ひたすら利権を無視することではなく
利権の存在を認めた上で、それを十分に世界全体に向けて“攪拌”する必要がある。
その上では日本は現代における利権の集積地帯であるアメリカや中国からの
直接的な影響を避けて、世界全体を視野に置いた俯瞰的な観点を持ち、
インドやヨーロッパやアラブ、さらには南半球社会までも考慮した
「世界を均す天秤」の役割を果たすことが求められるのだ。
いわば利権に惑わされない純粋な愛を手に入れる上での
第一歩とも呼べるのが、日本の(潜在的敵国であるところの)隣国からの離脱および
アラブを象徴とする遠隔社会との親密な交流なのであるといえる。
マリ子を純粋に愛したいからこそ、アメリカを捨ててアラブを拾うのである。
アラブは自分にとってもマリ子にとっても全く疎遠な対象。
故にこそスサノオとアマテラスの仲を見守るツクヨミとしても絶好の地位にあるといえる。
東洋社会を司る書物としてヴェーダや仏典、四書五経や道教の経典などがあり、
西洋社会を司る書物として聖書やプラトン、アリストテレスの著作などがあり、
そのどちらにも属さない中間的な書物としてコーランと古事記がある。
ゆえにコーランと古事記は、極めて相性がいいのである。
もちろんそれら以外の東西の膨大な書物群の恩寵も忘れずに。
文治は平和を生み、平和は純粋な愛を育む土壌を作る。
そして愛はまた新たな書物の形成を助ける糧となる。
ゆえにどこまでも人類の行く道は開けているのである。
569: 2008/04/19(土) 18:13:05 ID:AxJiMVpa0(1)調 AAS
お金のことは、よくわかっているんだよ。
日本では三万円ぐらいしそうなコーランがアラブでは六千円ぐらいで買えるよ。
ちなみにアラブの確認済み石油埋蔵量は全世界の半分以上だよ。
そして日本のアラブからの石油輸入率は九割近いよ。
つまり日本とアラブが直接提携すれば今の2.25倍〜4.5倍近くおトクだということ。
仮にそれがアラブ側の物価の高騰によろうが、日本側の物価の暴落によろうがそれは関係ない。
アラブには資源があり、日本にはそれを加工する技術がある。
資源と技術すらあれば、金や人出は最小限でよい。金融や人材は
いわば資源と技術の間に介在する不純物とまでは言わずとも、ロスなのであり
もし資源の所有者と技術の所有者が一緒になれば、人口と資本という
今の世界に問題をまき散らす根源中の根源を根絶やしにすることができる。
資本で世界を牛耳ろうとするアメリカ、人口で世界を牛耳ろうとする中国、
そのどちらもが技術立国である日本にとっての両目の上のたんこぶであるに他ならず
これらを思い切って除去して、技術の「真の恋人」たる資源の所有者への
歩み寄りを行うことにより、日本やアラブだけでなく、世界全体の病理を
断ち切ることが可能となるのである。
570(1): 2008/04/19(土) 19:41:41 ID:inQwfigN0(1)調 AAS
工学部・菱隼人のHP
外部リンク:lozenge.web.fc2.com
アニヲタかw
571: 2008/04/20(日) 21:39:55 ID:wQwPefK50(1)調 AAS
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