[過去ログ]
プラスのあれこれ その8 (1002レス)
上
下
前
次
1-
新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
272
: 2020/05/22(金) 09:24:16
ID:YtzBBUyo(6/8)
調
AA×
>>271
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
272: [] 2020/05/22(金) 09:24:16 ID:YtzBBUyo >>271 なのですが、 なのですが、 朴趾源(ぼくしげん、ハングル: 박지원、1737年 - 1805年)は、 李氏朝鮮時代の思想家。字は仲美。号は燕巌[1]。 なので、日東壮遊歌、4回朝鮮通信使と関係ない > 一行は1763年9月にソウルを出発し、釜山から対馬の府中(厳原)に至り、 そこから壱岐をへて下関に到着。 瀬戸内海を海行して大坂に至り、 陸路をとって京都、彦根、名古屋、駿府、三島、小田原、藤沢から江戸に到着した。 江戸到着は1764年3月18日であった。 一か月ほど江戸に滞在したあとで帰路につき、同じコースをとおって1764年8月5日にソウルに帰還した。 とあるので、これは揚水水車ではなく、 普通の水車が少なくとも1750年から1800の間にこのタイプは作ら手いたことになる 曇徴からここまでの空白は不明だけど、少なくとも 「韓国は日韓併合まで水車も作れない」は嘘 あと一つソースあったけど、まだあったら出します http://mao.5ch.net/test/read.cgi/accuse/1589763597/272
なのですが なのですが 朴源ぼくしげんハングル 年 年は 李氏朝鮮時代の思想家字は仲美号は燕巌 なので日東壮遊歌回朝鮮通信使と関係ない 一行は年月にソウルを出発し釜山から対馬の府中厳原に至り そこから壱岐をへて下関に到着 瀬戸内海を海行して大坂に至り 陸路をとって京都彦根名古屋駿府三島小田原藤沢から江戸に到着した 江戸到着は年月日であった 一か月ほど江戸に滞在したあとで帰路につき同じコースをとおって年月日にソウルに帰還した とあるのでこれは揚水水車ではなく 普通の水車が少なくとも年からの間にこのタイプは作ら手いたことになる 曇徴からここまでの空白は不明だけど少なくとも 韓国は日韓併合まで水車も作れないは嘘 あと一つソースあったけどまだあったら出します
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 730 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
ぬこの手
ぬこTOP
0.134s*