[過去ログ] スウェーデンボルグ派の教会や書籍 2015.3.4 (1344レス)
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1103: 2015/07/05(日) 01:40:02.01 ID:4PBpCf554(1/6)調 AA×

1104: 2015/07/05(日) 03:39:48.92 ID:4PBpCf554(2/6)調 AAS
◇◇スウェーデンボルグを自分勝手に応用した「小さなヨハネ教」という新しい宗教です。◇◇
829 :名無しさん@1周年:02/03/22 09:59
>> 826 マリアさん、皆さん
>自分達から見れば自分達のものは正統。
>しかし、他から見ればそれは正統ではない。
>しかし、両者のものはよく調べてみれば同じようなことを言っている。
>スウェーデンボルグには、このような考え方がないのなら、
>やはりそれは、特に新しい考え方ではないわけ。
こんな極論を真に受けられて判断されて、悔しいです。
まことのスウェーデンボルグは、各宗教の自立を尊重しています。
まことのスウェーデンボルグは、各宗教の自立を尊重しています。
まことのスウェーデンボルグは、各宗教の自立を尊重しています。
スウェーデンボルグ本人は、誰にも改宗を求めませんでした。
スウェーデンボルグの救済論は大きく分けて2段階、もう一つ分けると3段階になっています。
小さなヨハネさんは、その中のキリストによる救いだけしか救いがないかのように説いています。
しかし、他宗教によっても救いがあります。
スウェーデンボルグ自身は、キリスト教ですから、彼の説いたキリスト教による救いが一番に来るのは
当然です。しかし、キリスト教と自称するキリスト教の中で、スウェーデンボルグほどはっきり
他宗教による救いの有効性を語っているキリスト教はないのではないかと思います。
この際はっきり言っときます!
ここで語られているのは、聖母が神格化され、救いの門が極端に狭い
スウェーデンボルグを自分勝手に応用した「小さなヨハネ教」という新しい宗教です。
聖母が偶像化されて出てくるだけでも、全くスウェーデンボルグ主義とは言えないのに、
自分の半端な理解を押し付けて、スウェーデンボルグを名乗るとは何事か。
外部リンク:mimizun.com
1105: 2015/07/05(日) 04:22:27.04 ID:4PBpCf554(3/6)調 AA×

1106: 2015/07/05(日) 04:59:40.19 ID:4PBpCf554(4/6)調 AAS
872 :名無しさん@1周年:02/03/25 11:18
私が、スウェーデンボルグの書を読んで欲しくないと思うのは、
一つには、それがあまりにも、既成キリスト教に対して批判的過ぎるからです。
このスレッドに出てきた極端な人たちを見たでしょう。
キリスト教会の内情を知らずにスウェーデンボルグだけを読む人は、あのような錯覚に陥って当然です。
あなたも、心の中では、キリスト教会とはひどいところだと思っているのではないですか?
スウェーデンボルグのキリスト教会批判は、キリスト教会への憎しみを形成するに十分です。
憎んでいなかった人にも、新たに憎しみを持たせるものです。
スウェーデンボルグの時代は、確かに、彼の言うところの最後の審判の時代だったのです。
キリスト教会がにっちもさっちも行かない、裁かれる以外にない時代を批判しているのです。
ある人間が10代に非行少年だったとしても、それを反省して立派な社会人になることはよくあることです。
それを、いくつになっても、10代のことばかりでその人を判断するべきではないでしょう。
自分が薩摩の出身なら、平成の世になっても、長州と手を組んで政府を倒すことを目論むでしょうか。
時代錯誤なスウェーデンボルグ読者は、キリスト教会2000年に変わらず存在する、決定的な悪の巣窟と判断します。
自己批判と反省のために、キリスト教会の人間がそれを読むならよろしい。
キリストなきキリスト教会時代のために、スウェーデンボルグは書いたのです。
しかし、教会外の人には、ただ、知らないものへの憎しみを募らせるだけなのです。
それを読むには、ちゃんとした指導の下に読まなければならないのです。
しかし、日本にはそれほどの指導者はいません。
アルカナから出ている三冊の説教集計156篇には、三位一体論を批判攻撃したテーマのものはありません。
1107: 2015/07/05(日) 05:28:14.30 ID:4PBpCf554(5/6)調 AAS
873 :名無しさん@1周年:02/03/25 11:52
その他にも問題はあります。
人間の心について、記述が厳密過ぎるのです。
「××であることを、△△であるかのように本心から考えて、それを心から○○するべきである」
という具合に、信仰的心理学を語っているところがたくさんあります。
それは本当なのですが、現実的には、そう書いてあることは、実行が大変むずかしいのです。
あなたも、スウェーデンボルグを読んだだけでは、自分の心に何の変化もなく、
ただ苦しんだだけだと言っておられました。
たとえば、「人の顔にはこういう筋肉がこのように付いていて、笑う時にはどの筋肉がどのように動く」
と、演劇の基礎で習うそうです。ところが、人間の微妙な笑いを表現する時には、どの筋肉を動かそう考えるよりも、
その筋肉のことを考えるよりも、その状況で笑うことを本気で考えた方が、ずっと正確に簡単に笑えるのです。
スウェーデンボルグの記述は、人の心が「だいたいこんなもの」ということを考えていないように思えます。
その記述にこだわりすぎると、かえって自然な心のあり方を阻害し、
わかっているようで、何かモノになっていない、それでいて、理屈だけでは分かったような
おかしな人間性を演出するように思えます。
信仰心を持って、あとで反省するには、とても良いと思います。
しかし、信仰を持つ前に、あのような心理学を提示されたら、
私なら、信仰を持つことはできなかっただろうと思います。
外部リンク:mimizun.com
1110: 2015/07/05(日) 23:32:51.64 ID:4PBpCf554(6/6)調 AA×

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