[過去ログ] 【話題】 週刊誌デスク 「とにかく朝日新聞を叩くとアホみたいに売れる。ここ5年で一番売れていると言っても過言ではない」 (1019レス)
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51(1): 名無しさん@0新周年@\(^o^)/ 2014/09/22(月) 17:18:26.47 ID:04dqEc5i0.net(2/11)調 AAS
■吉田清治は在日朝鮮人である可能性
【1人目の吉田雄兎は死んでいた】
吉田清治とは何者なのか…プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわす。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのだ。
昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学した。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更している。
その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのだ。何らかのミスがあったようには思えない。不明ではなく、ハッキリと死亡だ。
▼秦氏が作成した正誤表(前掲書より)
画像リンク
我が国の戸籍制度は戦前から厳格で、軽々に市民を死亡扱いとすることはない。公的な資料とも言える公立校の卒業名簿で死亡者になっていたことは、素性を探る上でスルーできない。
福岡は吉田の出身地である。親兄弟・親類縁者が身近に居れば、卒業名簿で「死亡」と誤表記される事態には至らないだろう。非常に不自然である。実際の戸籍上では、どのような扱いなのか興味が尽きない。
そして、高校での死亡扱いから40年余り、吉田雄兎の本名を持つ、異形の架空戦記作家が世に現れる。果たして、吉田清治の筆名を名乗る男と卒業名簿で死亡扱いだった吉田雄兎は同一人物なのか…
▼南鮮で記者会見する吉田清治(92年)
画像リンク
「成り済まし」「背乗り」というキーワードが浮かぶのは筆者だけではないだろう。物証は何一つないが、ズバリ直言しておこう。吉田清治は在日朝鮮人である可能性が存在するのだ。
62: 名無しさん@0新周年@\(^o^)/ 2014/09/22(月) 17:20:22.69 ID:04dqEc5i0.net(3/11)調 AAS
>>51 続き
吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか?
密かに九州に渡った朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した…そんなストーリーだと辻褄が合う。
吉田本には、両親や他の家族にまつわるエピソードが殆ど登場しない。偽りの個人史の片隅に出てくるのは、唐突に養子にした"息子"李貞郁と昭和19年5月に結婚した妻のフサエだ。
ドキュメントを偽装する小説として、少年時代や家族の逸話をバッサリ削ることは構成的に不自然。渡日前だった為に吉田清治は、少年期について描写することが出来なかったのではないか。
いったい、吉田清治こと吉田雄兎は何処から来て、何処に消えたのか…うっすらと寒気を覚える吉田ミステリーには、まだ続きがあった。
【闇から生まれ闇に消えた男】
平成26年の現在、吉田清治は生きている。反日ファシストの「心の中」とかファンタジーではなく、この現代社会で生きている。正確に言えば、死亡が確認されていないのである。
吉田清治こと吉田雄兎の生年月日は、大正2年(1913年)10月15日。実に100歳を超えている。生きていても決して不思議ではない年齢だ。
しかし、今世紀に入ってぷっつりと沙汰が途絶えた。秦郁彦氏が自白を引き出したのが、最新の発言になるかも知れない。16年前のことである。当時、吉田雄兎は85歳と話していた。
▼23年前の吉田清治(TBS)
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22年前の映像を見て判るように、すでに高齢化が著しい。一般論として、この後20年以上も命を永らえているとは想像できないのだ。もし、今も生きているなら吉田雄兎は、どこに居るのか…
養護施設で暮らしている可能性もあるだろうが、それを示唆する情報も皆無だ。稀代のダークヒーローとして盛んに取り上げた反日メディアも、吉田の消息について一切触れていない。
マイク・ホンダ策謀が発動中の頃、どこかの報道機関が吉田清治を取り上げると考えていたが、結局、吉田がメディアに登場することはなかった。完全に消えてしまったのだ…
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