雑談はここに書け!【67】 (363レス)
雑談はここに書け!【67】 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/
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302: 132人目の素数さん [] 2025/09/17(水) 00:05:27.29 ID:xGNccJij ガロは、殆ど読んでいないがカムイ伝が有名でそした が、殆ど読んでいない 『カムイ外伝』が、『週刊少年サンデー』に ありましたね https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E4%BC%9D カムイ伝 『カムイ伝』(カムイでん)は、白土三平による日本の長編劇画。1964年から1971年まで『月刊漫画ガロ』に連載された。連載中、『週刊少年サンデー』(小学館)に『カムイ外伝』を不定期連載している。1982年から1987年まで『ビッグコミック』(小学館)誌上に『カムイ外伝 第二部』を連載、そして同誌上に1988年から2000年まで『カムイ伝 第二部』が発表された。構想されていたとされる『カムイ伝 第三部』は作者の死去によりついに発表はされなかった。『カムイ外伝』は別項目を参照。2021年10月時点で「カムイ伝」シリーズの累計発行部数は1500万部を突破している[1]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E5%A4%96%E4%BC%9D カムイ外伝 『カムイ外伝』(カムイがいでん)は、白土三平の日本の漫画。 および同作品が原作の日本のテレビアニメ。日本のラジオドラマ。2009年の日本の映画。 このうち、テレビアニメ版は『忍風カムイ外伝』(にんぷうカムイがいでん)、ラジオドラマ第2作は『続・カムイ外伝』(ぞくカムイがいでん)と題して放送された。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/302
303: 132人目の素数さん [] 2025/09/17(水) 00:13:11.86 ID:xGNccJij 白土三平さん ”六四年には「月刊漫画ガロ」の創刊に加わり「カムイ伝」の連載をスタート。江戸時代に身分制度の最下層で運命にあらがう主人公らの姿は、六〇年代後半の学生運動に影響を与え「唯物史観漫画」とも評された。” そうでしたね https://www.tokyo-np.co.jp/article/139143 東京新聞 おくやみ 白土三平さん死去 「カムイ伝」「忍者武芸帳」 2021年10月27日 差別や迫害と闘う人々を描いた「カムイ伝」や「忍者武芸帳」で知られる漫画家の白土三平(しらとさんぺい)(本名岡本登(おかもとのぼる))さんが八日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都の病院で死去していたことが分かった。八十九歳。東京都出身。葬儀は親族で行った。 画家で左翼運動家の父、岡本唐貴(とうき)の影響で油絵を学び、紙芝居作家を経て一九五七年の「こがらし剣士」で漫画家としてデビュー。当初は貸本漫画を軸に執筆活動を展開し、忍者や剣客が登場する冒険活劇を次々に発表、戦国時代が舞台の長編「忍者武芸帳」で人気を確立した。 六四年には「月刊漫画ガロ」の創刊に加わり「カムイ伝」の連載をスタート。江戸時代に身分制度の最下層で運命にあらがう主人公らの姿は、六〇年代後半の学生運動に影響を与え「唯物史観漫画」とも評された。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/303
305: 132人目の素数さん [] 2025/09/17(水) 06:56:28.59 ID:xGNccJij これか 「現代数学」誌の連載をまとめて出版したようですね たまに立ち読みしていました(たまに買った) (^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%A2%E5%81%A5%E5%A4%AB 大沢健夫 著書 大沢健夫『関数論外伝 : Bergman核の100年』現代数学社、2022年。ISBN 978-4-76-870592-6。 https://www.gensu.jp/product/%e7%8f%be%e4%bb%a3%e6%95%b0%e5%ad%a6%e3%80%802021%e5%b9%b48%e6%9c%88%e5%8f%b7%e3%80%80%e7%ac%ac54%e5%b7%bb%e7%ac%ac8%e5%8f%b7%e9%80%9a%e5%b7%bb656%e5%8f%b7/ 現代数学 2021年8月号 第54巻第8号通巻656号 Bergman 核の100 周年に向けて(第8 話) 大沢健夫 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/305
306: 132人目の素数さん [] 2025/09/17(水) 07:06:20.03 ID:xGNccJij 雑誌 『ガロ』 ”『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった” か。そんな話を聞いた記憶がある https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AD_(%E9%9B%91%E8%AA%8C) ガロ (雑誌) 『月刊漫画ガロ』は、1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され、独創的な誌面と経営難の中で独自の路線を貫き漫画界の異才を数多輩出した、伝説的な雑誌である。創立者は白土三平[1]、初代社長兼編集長は、青林堂創業者の長井勝一。1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月で刊行している。 『ガロ』は先見性と独自性で一時代を画し、単なる漫画雑誌には止まらない足跡を出版界に遺した。また、独自の作家性を持つ個性的な漫画家たちの作風は「ガロ系」と呼ばれ、『ガロ』出身ではない作家でも「あの作家はガロ系」としばしば表現された。彼らの作風は、海外のオルタナティヴ・コミックの作家たちとも親和性が高いと言われた。 歴史 日本初の青年漫画雑誌『月刊漫画ガロ』は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年7月24日に創刊された[注 1]。誌名は白土の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っているほか我々の路すなわち「我路」という意味合いもあり、またアメリカのマフィアの名前(ジョーイ・ギャロ)も念頭にあった[2]。誌名の複数の候補からガロを選んだのは長井の甥である[2]。題材・内容とスケールから連載する場所がなかった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場とすることが創刊の最大の目的だった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。 長井は後年「執筆者が7人以上いないと雑誌と認めてもらえなかった」と創刊時を振り返っており、水木しげるや白土が複数の名義を使い執筆者を水増ししての創刊だった[3]。当初は白土の赤目プロの援助を受けて刊行された。雑誌のロゴも白土が発案し、レイアウトのほとんどを白土が構成した。表紙のレイアウトは週刊誌『朝日ジャーナル』を意識した[4]。『ガロ』に触発された手塚治虫は67年1月、虫プロ商事より『COM』を創刊、『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった。 貸本マンガ時代のつげ義春を高く評価していた白土の意向で、65.4月号に「つげ義春くん連絡乞う」の案内を掲載。つげはそれまでガロの存在を知らなかったが、65.8月号に「噂の武士」、66.2月号に漫画史上唯一無二の傑作「沼」を掲載。その後68.8の「モッキリ屋の少女」まで、傑作続きの「奇跡の2年間」を現出する。 1960年代の『ガロ』は、白土の『カムイ伝』と水木の『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ、滝田ゆう、つりたくにこ、永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/306
307: 132人目の素数さん [] 2025/09/17(水) 07:14:35.55 ID:xGNccJij 『沼』か。見たことも 読んだこともないが・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC_(%E6%BC%AB%E7%94%BB) 沼 (漫画) 『沼』(ぬま)は、つげ義春による日本の短編漫画作品[1]。全28頁からなる[1]。1966年2月に、『ガロ』(青林堂)にて発表された[2]。 解説 つげのその後の表現上の転換となる画期的な作品。それまでの漫画界にはなかった表現主義的な作風が、さまざまな議論を巻き起こした。つげ自身、発表の翌年に初めて会った権藤晋(高野慎三)に対し「完璧に仕上がった」と自負している。ギャグ漫画の「ノンコ&甚六シリーズ」の『兄貴は芸術家』と同月に発表されたが、作風は全く異なる[2]。 それまでの作品とは絵柄も突然変って硬質なものへと変化し、説明としてのコマを一切排除し、丁寧なコマ割りとなり、非常に凝縮された構成をとる。内容的には成熟する手前の少女特有の神秘性、エロティシズム、少女の性的な存在感などがテーマとなっているが、つげ自身は具体的に何を描こうとしたのか説明できないと述べている。作中では少女と義理の兄との怪しい関係を匂わせているものの、ついにその実態は明かされず、唐突なラストシーンで終わる。 この終わりのないラストシーンの描き方は『李さん一家』、『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』などに受け継がれるが、読者が受けるその不思議な感覚やあいまいさこそが、つげが意図したものであった。 この作品は、白土三平との千葉県大多喜への旅行で寿恵比楼旅館に宿泊した際に、旅館の当時17-18歳の少女の、千葉の方言丸出しの言葉遣いがヒントとなり生まれた。つげはこの美しい少女の外観と言葉遣いとのギャップにエロスを感じたものの、作品にする際には千葉の方言では身近すぎてイメージが膨らまず、井伏鱒二の「言葉について」という作品に使われた山陰地方の方言を真似て使用した。実際は、つげが引用したのは井伏の造語であったが、後に井伏は「井伏鱒二全集」発刊時に正しい山陰弁に修正してしまう。つげが読んだのは、文庫本の古い版であった[2]。 ストーリーに関しては永島の影響は全く受けておらず、つげ独自の世界を余すことなく開陳した[2]。 当時のつげは生活苦に加え、精神的にも混乱し閉ざされており、虚無的であった[2]。 あらすじ ハンチング帽を被り森に狩りにやってきた主人公の青年は、沼のほとりで、おかっぱ頭の無表情な少女に出会う[1]。撃ち落としたはずの雁を探す青年に少女は、雁の胴体から切り離した頭を差し出す[1]。少女は青年を自宅へ案内し、2人きりにすると扉を閉め切って身の上話をする[1]。少女は部屋の中でヘビを飼っている[1]。少女は、このヘビは少女が眠っているときに首をしめにくると語り、「夢うつつなれど 蛇にしめられると いっそ死んでしまいたいほどいい気持ちや」との言葉を残して眠りに就く[1]。その夜、眠れない主人公は、そっと少女の首を絞める[1][2]。翌朝、少女の義兄は、見知らぬ男を家に泊めたことで少女を責めるが、少女はヘビが逃げたことをしきりに訴える[1]。主人公は1人、沼のほとりに立ち、対岸に向けて猟銃の引き金を引く[1][2]。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/307
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