雑談はここに書け!【67】 (363レス)
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291: 09/15(月)08:11 ID:iK+sB2GV(1/4) AAS
>>287
>日当2千円という破格の報酬

1966年のラーメン80円、大学初任給24,890円
からすると、2千円→2万円 でしょうか
月20日で 40万円 家賃5万円として 35万円残る

http://mtomisan.my.coocan.jp/page153.html
60年代 モノの値段
食べ物関係
1966年 昭和41年 ラーメン80円
収入
大学初任給
1966年 昭和41年 24,890円
292: 09/15(月)08:24 ID:iK+sB2GV(2/4) AAS
>>289-290
>数学とは神の作った世界を人が解読する学問ですか?

最近みた 下記 蟹江 幸博先生の
『天書の証明』 訳者まえがき を連想しました

下記より抜粋
「天書」:本来は「唯一の書」という意味である. 唯一の書に記録する価値があるものと言えば,美と真実しかない. そのうちの1巻「真実の書」が天書である
エルデシュは,天書を自分の目でみたいと思ったのに違いない.
すべての生活を数学に捧げ,周りのすべてを数学に巻き込んだエルデシュが心の拠り所としたのが天書であった. 天書を垣間見,それを書き写すこと,それがエルデシュの生涯でもあった.

(参考)
http://kanielabo.org/mybook/proofftb/jobun_tr.htm
『天書の証明』 訳者まえがき
桑名にて,2002年11月
蟹江 幸博
 「天書」は英語ではThe Bookであり,ヨーロッパの慣習の中ではキリスト教の聖書を指すことが多いが,本来は「唯一の書」という意味である. 唯一の書に記録する価値があるものと言えば,美と真実しかない. そのうちの1巻「真実の書」が天書である. いかにも壮大な物言いではあるが,本書の本当の著者であるポール・エルデシュはそう思っていた. そうある筈だと思っていた.
 おそらくは命の尽きることを予感したエルデシュは,天書を自分の目でみたいと思ったのに違いない. 「君の頭は営業中かね」と言いながら,世界中の数学者を訪ねて回り,時間も気にせず共同研究を始めたというエルデシュの人となりは,最近日本でも出版された伝記『数を愛した男日本語版は,草思社から『放浪の天才数学者エルデシュ』(ポール・ホフマン著,平石律子訳)として出版されている』に詳しい. すべての生活を数学に捧げ,周りのすべてを数学に巻き込んだエルデシュが心の拠り所としたのが天書であった. 天書を垣間見,それを書き写すこと,それがエルデシュの生涯でもあった.
 序文にあるように著者たちがエルデシュに提案しなかったら,おそらくは本書は生まれなかっただろう. 天書そのものでなくていい,その近似でもいいから,という提案はエルデシュにとって新鮮な驚きだっただろう. その驚きに打たれ,すぐさま作業に取り掛かったが,それを仕上げないうちに旅先のワルシャワでセミナーの途中に倒れ,病院に運ばれて亡くなった.
 著者たちはエルデシュの遺志を継いで,本書を完成した. その経緯といい,内容といい,初版が出版された1998年に開かれたベルリンの国際数学者会議(ICM)では大変な評判だったと言う.
295: 09/15(月)23:09 ID:iK+sB2GV(3/4) AAS
棒高跳びデュプランティスが6m30で14度目の世界新
https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20250915-OYT1T50112/
棒高跳びデュプランティスが6m30で14度目の世界新、圧勝で世界大会5連覇
2025/09/15 読売
 陸上の世界選手権東京大会は15日、男子棒高跳び決勝が国立競技場で行われ、アルマント・デュプランティス(スウェーデン)が6メートル30の世界新記録で優勝し、3連覇を達成。2021年東京五輪、昨年のパリ五輪と合わせ、世界大会5連勝を飾った。自身の持つ世界記録を1センチ更新。世界陸連によると、14度目の記録更新となった。(デジタル編集部)
296: 09/15(月)23:35 ID:iK+sB2GV(4/4) AAS
>>287
>貸本漫画家の集まりで白土三平や水木しげると知り合う[22]。

週刊少年マガジン、サンデー 1959年3月17日創刊 だが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC

その前 貸本漫画の時代 があった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E6%9C%AC%E6%BC%AB%E7%94%BB
1948年(昭和23年)に神戸市開業の「ろまん文庫」が戦後型の貸本業の起源とされる。1953年(昭和28年)頃から貸本漫画も出回るようになり、店舗で販売されていた粗末な赤本漫画から豪華な装丁の貸本漫画に需要が移っていった。
終戦後の貸本屋にならんだ本は中小の取次店や特価本店から流れた一般流通の古本や古雑誌であったが、やがて、貸本出版社の出版する漫画単行本がほとんどとなる。1950年代末から1960年に最盛期を迎え、文具店・駄菓子店などとの兼業も含めて東京都で3000店、全国で3万店の店舗があったと推計されている。

水木 しげる 神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B
(本名:武良 茂〈むら しげる〉、1922年〈大正11年〉3月8日 - 2015年〈平成27年〉11月30日[1][2])
大阪府大阪市住吉区出生[4][5]、鳥取県境港市入船町育ち[4][6]。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた[7]。1958年に漫画家デビュー。代表作となる『ゲゲゲの鬼太郎』
過酷な戦争体験を重ね、アメリカ軍やオーストラリア軍の攻撃で左腕を失う。
1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビュー。1960年から断続的に『墓場鬼太郎』シリーズを発表し始める
1965年 貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』『週刊少年マガジン』掲載

貸本時代の『ゲゲゲの鬼太郎』を読んだ記憶がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
『ゲゲゲの鬼太郎』
貸本を経て1965年から数多くのシリーズが描かれ、幼年誌から青年誌まで幅広く掲載された。連載当初のタイトルは『墓場の鬼太郎』であったが、アニメ化に伴い改題。怪奇色の強かった内容も鬼太郎と妖怪の対決路線へと徐々に変化し、鬼太郎は正義のヒーロー然としての側面が強くなっていった
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