[過去ログ] 従軍慰安婦の洗脳 (657レス)
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88: 2013/03/08(金)14:47 0 AAS
パンパン宿の隣で、父に 「よく人間を観察しておけ」 と
 
[赤塚] 昭和21年に入ってからだと思いますが、米兵相手の売春婦、いわゆるパンパン・ガールが
  横浜に集まってくるんです。私の家の隣は、戦争中は海軍少佐夫妻が住んでいたのですが、
  終戦後、引っ越してしまった。 その家は、地元の土建業者が家主で、その娘が、30歳ぐらいで
  夫をなくし、空家にしておくのはもったいないと、パンパン宿の姐御になって、7、8人の女性を
  連れて、そこに引っ越してきたんです。 中には地方の人も女学校を出た人もいましたね。
  一番上は45歳ぐらいの和服のおばさんで、一番下が、小学校で私の一級下だった、
  大工の娘でした。
 
[松信] 1軒だけですか。
 
[赤塚] そうなんです。 それも住宅地のど真ん中にです。 GI (進駐軍兵士) 同士や女性同士の、
  喧嘩もあって夜遅くまで騒いでいる。 それで父に 「うるさくて勉強できない。」 と言うと、私の
  父は新聞記者でしたが、すかさず 「何を言ってるんだ。 千載一遇のチャンスではないか。
  人間というものを、この際よく観察しておけ。」 と言われた。 反抗期でしたが、この
  言葉には参りましたね。 その通りだと思いました。 それでパンパン宿の隣の少年は
  じっと見ていた。

  あのころの小説家や随筆家たちは、こうした女性たちのことを 「生活に困って」 と大抵
  書いている。 当時の新聞や雑誌にも 「多くは家を焼かれ、食うに職なく、生活に困って
  仕方なく」 と書いてある。たしかに多くの人はそうだったんでしょうが、必ずしも
  それだけじゃないと思ったんです。 性的好奇心、あるいは異国人への好奇心なども含めて、
  新しい時代の中で、解放感にひたりながら 「新しく生きている」 と感じていた人も
  いたのではないでしょうか。 堂々としている女の人も少なくなかったですからね。

http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_440/yurin3.html
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