[過去ログ] 世界の暦と暦の歴史 (376レス)
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(2): 2019/09/15(日)20:51 ID:0(1/376) AAS
世界には様々な暦があり、それぞれの暦が現在の姿になるまでには色々な歴史があります。
そういったことを語りましょう。
2: 2019/09/15(日)21:32 ID:0(2/376) AAS
ポーランドの中で帝政ロシアに組み込まれた地域はグレゴリオ暦から
ユリウス暦へ変わったん?
3: 2019/09/15(日)22:20 ID:0(3/376) AAS
1811年、ロシアのゴロウニンは函館に幽閉された。世に言うゴロウニン事件である。
そこに間宮林蔵が面会に来る。

間宮 「我が国は寛政暦ですが、その精度はまだまだですな」
ゴロウニン 「我がロシアは、今だユリウス歴ですよ」
間宮 「イギリスやフランスはグレゴリオ暦ですが、これもまだまだですね」
ゴロウニン 「ほう、どうしてですか?」
間宮 「もっと良い補正の方法があるのに、それを採用していないからです。今のままでは3千年後には1日の誤差がでるはずです」
ゴロウニン 「なるほど」

ゴロウニンは、間宮はいけ好かない人間だけど、知識量は凄いと『日本幽閉記』に書いている。
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(4): 2019/09/16(月)20:09 ID:0(4/376) AAS
完全太陰暦のイスラーム暦より
よっぽどシュメール、バビロニア、エジプトの方が進んでたのに
何で劣化させたんだか
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(1): 2019/09/16(月)21:20 ID:0(5/376) AAS
なんでロシアはビザンツの世界創世暦じゃなくてユリウス暦だったの?
6
(4): 2019/09/17(火)16:08 ID:0(6/376) AAS
グレゴリオ暦(とユリウス暦にも関係するかも?)に関して一つ疑問があります。

それは、「どういう理由で、新年つまり1月1日を現在の時点(地球と太陽との位置関係)に選んだのか?」という疑問です。

新しい年が始まる1月1日を、例えば冬至とか春分(もちろん夏至や秋分でも)といった太陽と地球との位置関係が特別な日に選んでいるのならば
何の不思議でもありませんが、現在のグレゴリオ暦の新年は冬至からも10日前後ズレた非常に中途半端な時点を選んでいます。

何故、こんな中途半端な時点を年の始まりと言う1年の起点に選んでいるのでしょうか?

何か特別な祭礼の日付をユリウス暦と同じにする都合というのが上の問の答えでしたらば、
ユリウス暦が採用された最初期での新年の時点(地球の公転軌道上の位置)はどうだったのでしょうか?
そしてそれがグレゴリオ暦と同じく中途半端な時点であるのならば、何故、そんな中途半端なのが選ばれたのでしょうか?
省1
7
(2): 2019/09/19(木)13:32 ID:0(7/376) AAS
>>6
気になるね
古代ローマで、一年の始まりは三月で
(だから閏日は二月末だし、九月が「7」に由来する September)
これでも春分とずれるし

ユリウス・カエサルがモデルにしたエジプト太陽暦
(これ、クレオパトラが伝えだんだか?)
エジプト暦はどうだったか、分かればヒントになる
同様にエジプト暦が元になった、コプト暦やエチオピア暦も
8
(1): 2019/09/19(木)13:49 ID:0(8/376) AAS
>>4
イスラムは砂漠での交易がメインだし、その為には月齢の把握が重要だから。
9: 2019/09/19(木)15:29 ID:0(9/376) AAS
エジプトでナイルの氾濫を新年とする暦が作られたので
それにあわせてローマでも英語のMarchに当たるMartiusを新年としたわけだ
だけど本来11月を表すJānuāriusが扉や入口の神であるJanusにちなんでいるので
こっちの方が新年にふさわしいとされ2ヶ月ずれる事になった
10: 2019/09/19(木)18:10 ID:0(10/376) AAS
>>8
それって、太陽太陰暦で十分じゃ
11: 2019/09/19(木)18:36 ID:0(11/376) AAS
ユリウス暦で少しずつずれてゆき、
「よし、ここでこれ以上ずれない新しく計算した暦に切り替えよう」
と実施した年が現行の12月22日冬至の暦だったんじゃないの?
12
(2): 2019/09/19(木)18:45 ID:0(12/376) AAS
>>6

ローマ暦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%9A%A6

これのヌマ歴とその改暦を読んで
さらに疑問がわきますかね?

ヌマ暦

紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピリウスによって改暦が行われ、現在の1月にあたるJ?nu?rius、2月にあたるFebru?riusがつけ加えられた。
このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えた。平年の1年の長さは355日になる。
省7
13
(1): 2019/09/20(金)01:29 ID:0(13/376) AAS
>>12
情報有難うございます

なるほど、ローマ暦のような誤差の大きな暦では使っている間に暦年と太陽年とのズレがどんどん蓄積してしまい
最初期に公転軌道のどの位置を新年に選んだのか、この説明だけではほぼ逆算不能ですね

つまりローマ文明は暦というか春分・夏至・秋分・冬至といった精密な太陽観測の蓄積に関して無頓着だった、
あるいはローマ文明は余り天文観測や太陽観測を長期的かつ系統的に行う文化を有してなかったということになるのでしょうか

ずっと以前の世界の様々な文明は天文や太陽観測で春分などの地球公転上の特別な日を特別な日として認識していたのに
西欧文明の礎であるローマ文明はその認識を持っていなかったということでしょうか
14
(2): 2019/09/20(金)07:31 ID:0(14/376) AAS
>春分・夏至・秋分・冬至
赤道に近くなるほどそういうのははどうでもよくなる
15
(1): 2019/09/20(金)19:43 ID:0(15/376) AAS
>>13
いえ、その続きにあるように
ユリウス暦になるときに日数を調整しているので
なんらかの意図があったと思われますね

おいらは後の太陽神信仰との絡みもあり
冬至日はかなり重視されたのではないかと
考えております

またその後の千年ぐらい
世界の天体観測をリードするプトレマイオスさんが
ローマ文明の中の人ですね
16
(1): 2019/09/20(金)23:30 ID:0(16/376) AAS
>>15
> またその後の千年ぐらい
> 世界の天体観測をリードするプトレマイオスさんが
> ローマ文明の中の人ですね

あっ、そうか、西欧の天文学の祖とも言うべきプトレマイオスは古代ローマ人だったのですね
何か古代ギリシャかどこかだと思ってました、無知蒙昧を反省しています
有難うございました

>>14
> 春分・夏至・秋分・冬至
> 赤道に近くなるほどそういうのははどうでもよくなる
省3
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(5): ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/09/21(土)14:13 ID:0(17/376) AAS
>>7>>6

おいらもローマの暦はめっちゃ気になります
特にユリウス暦への改暦と、7妖精への移行
はちゃんと調べてみたいですね

おっしゃるようにエジプト歴がどういった状態になっていたかと
当時のカエサルの状況と
その二点を調べてみたいと思います
18: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/09/21(土)14:20 ID:0(18/376) AAS
>>17

紀元前45年

紀元前45年は、ローマ暦の709年である。ユリウス暦が施行された年である。

できごと

ローマ
1月1日よりユリウス暦施行。
執政官はガイウス・ユリウス・カエサル単独であった。
ローマ内戦
3月17日 - ムンダの戦いでティトゥス・ラビエヌスとグナエウス・ポンペイウス・ミノルを破り、内戦は終結した。
    ラビエヌスは戦場で死亡し、ポンペイウスは処刑されたが、セクストゥス・ポンペイウスは大西洋岸まで逃亡した。
省12
19: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/09/21(土)14:22 ID:0(19/376) AAS
>>17

紀元前46年

紀元前46年は、ローマ暦の最後の年である。暦の調整のため、445日間あった。
この年にユリウス暦が導入されたが、適用されたのは紀元前45年からである。

できごと
ローマ
執政官 - ガイウス・ユリウス・カエサルとマルクス・アエミリウス・レピドゥス
ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)
1月4日 - ルスピナの戦いでティトゥス・ラビエヌスがユリウス・カエサルを破った。
4月6日 - タプススの戦いでユリウス・カエサル軍が元老院派軍に勝利。
省15
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(1): 2019/09/21(土)14:49 ID:0(20/376) AAS
このスレに気づかなかったものですでに質問スレにも書いたのですが
大航海時代16世紀の航海士たちの一日の定義とはどういったものだったのでしょうか?
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