[過去ログ] 中世ヨーロッパの世界大戦イタリア戦争を語ろうぜ? (108レス)
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(1): 2017/12/15(金)21:38 ID:0(1/108) AAS
ここがすごいよイタリア戦争

1、世界初の大規模な騎士同士の戦争参加した国は 今のイタリア、ドイツ、イギリス、スペイン、フランス、オーストリア、ギリシャ、トルコ、と世界規模の戦争となる

2、騎士の時代の終焉、この戦争により騎馬兵や騎士の華々しい軍功は消え歩兵や大砲による近代戦が幕を開ける

3、イタリア統一400年の悲劇の始まり

戦争の形態は中世的な騎士を主体とした戦闘ではなく、火砲(鉄砲)を持った歩兵の集団戦の形態に変化した。また、大砲が実用化され、戦闘規模が拡大し、
火砲の優劣が勝敗を分ける要素として重要になってきた。このような武器の変化にともなう、
戦術、戦争形態の変化は軍事革命といわれており、騎士階級を没落させた
そして。
2: リュカ 2017/12/15(金)21:43 ID:0(2/108) AAS
マドリード戦線だな1556年の
3: 2017/12/15(金)21:50 ID:0(3/108) AAS
イギリスに王座を奪われるスペイン・・・・この戦争で近代ヨーロッパ史の勢力図が出来上がったよな
4: 2017/12/16(土)12:26 ID:0(4/108) AAS
あんまり話題に挙がらんよね中世ヨーロッパ史でも

かなり大規模な戦役なんだがな
5: 2017/12/16(土)15:27 ID:0(5/108) AAS
英語版WIKIは充実してる
30年戦争と同じくらい重要な戦役だけどな
6
(2): 2017/12/16(土)15:33 ID:0(6/108) AAS
基本この戦争はスペインの勝ちフランスの負けだが
神聖ローマが相変わらずばらばらなおかげでフランスは助かってる
スペインはヨーロッパで覇を唱えるには端すぎる
あとスペインとフランスはピレネーがあってあまり大規模な戦闘が起きにくい
主戦場は北イタリアとフランス・ベルギーの国境戦
7: 2017/12/16(土)15:35 ID:0(7/108) AAS
ベルギーは当時はネーデルラントで国境線はもっと南のアルトワだけどね
わかりやすくベルギーとした
8
(2): 2017/12/16(土)19:34 ID:0(8/108) AAS
イタリア戦争ってイタリアからして見れば無駄に戦火が広がって死人わんさか出した挙げ句統一までの道のりを長引かせたってもんだから
イタリアじゃ負の歴史なんだろうな
9: 2017/12/16(土)19:58 ID:0(9/108) AAS
「ここでは人の命ほど安く買えるものは無い。」
10
(1): 2017/12/16(土)22:18 ID:0(10/108) AAS
>>6
>神聖ローマが相変わらずばらばらなおかげでフランスは助かってる

神聖ローマ帝国がばらばらなままだったのは、リシュリュー枢機卿をはじめとする
フランスの指導者たちが故意にあの国を分裂したままにしておこうと努力した
生だと思うが。
11
(1): 2017/12/17(日)00:50 ID:0(11/108) AAS
>>10
フランスが宗教内乱やってる間に
全くドイツ側から有効な手をとれなかったのがね
12: 2017/12/17(日)00:54 ID:0(12/108) AAS
>>8
それ以前から統一なんて全然無理な感じだったけど
真ん中に教皇領があるから強力な世俗政権作れない構造になってる
13: 2017/12/17(日)07:58 ID:0(13/108) AAS
フランスはシャルル・ダンジュ―の時代から地中海世界に対する野心を抱いていたからな
もしフランスが南イタリアを手に入れていたらヨーロッパの歴史もかなり変わっていたんだろうな
14
(1): 2017/12/17(日)10:50 ID:0(14/108) AAS
フランスが産業革命を成した、、、とそうなればイギリスはいずれ来るフランス海軍にほろぼされてたな

イタリアという国そのものがなかっただろうな
北はローマかヴェネチアという国南はナポリという国に
15: 2017/12/17(日)11:43 ID:0(15/108) AAS
>>6>>11
ヘンリー・キッシンジャーが『外交』で、近世初頭のフランスのことを、神聖ローマ
帝国の再生により「フィンランド化」される国と書いていた。

ヨーロッパの地図を一目見れば、フランスが周りをハプスブルクの領地に囲まれて
いたことがわかる。南にはスペインがあり、南東部にはスペイン支配下にある
イタリア北部の都市国家群、東部ではフランシュ・コンテもスペインの支配下にあり、さらに北方はスペイン領ネーデルラントだった。

一般に考えられている以上に、この時期のふらんすは危機的な状況にあったわけだ。ハプスブルク家が、フランスよりもプロテスタントを敵視する古い考え方に
凝り固まっていたおかげでフランスは助かったけど。
16: 2017/12/17(日)15:29 ID:0(16/108) AAS
1494年開始というから厳密にいえば近世の戦争ではないのか?
17: 2017/12/17(日)15:48 ID:0(17/108) AAS
一応14世紀から15世紀が中世後期と言うらしいしまあ中世といえば中世だろう

まあ1500年代はルネサンス期だし中世といわれてもピンとこないけどね
18: 2017/12/17(日)17:41 ID:0(18/108) AAS
>>1
イタリア戦争の結果、西ヨーロッパ諸国間で互いに大使を常駐させる外交慣例が
定着し、また、一国が突出して力を持つ状況になると関係国が介入してそれを
抑制し、力の均衡を保つという、勢力均衡の原則が国際政治の論理として姿を現した

も付け加えて。
19: 2017/12/18(月)14:38 ID:0(19/108) AAS
>>14
イギリスが先んじたのは地政学要因だから無理
フランスは中国と立ち位置が似ていて国内で資源もあり市場がでかいから
イギリスほど海外進出は積極的になれなかったとウォーラステインが書いてる
広大な海外領土があるのに海外に植民する気運がイギリスに比べて全く低かった
20: 2017/12/18(月)14:50 ID:0(20/108) AAS
例えばイギリスはバルト海貿易や北米貿易で資源を依存していた
東欧や北米からは木材、スウェーデンからは鉄、
良質な木材が海軍を維持にする重要だし、冶金のために熱をおこすこにも木材は重要
イギリスは木材資源に困っていて他の国より先んじて石炭を使うようになる
あと国内市場も小さいから競争が激しい欧州よりも比較的ゆるい植民地との貿易が盛んになりその結果移民も増える
こうやって貿易網を経済縮小期の17世紀の段階でフランスより拡大させていった
これが1世紀後の産業革命の経済拡大期でいっきに有利に働く要因になるというのが
おおまかな要約
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