[過去ログ] 誰が第二次世界大戦を起こしたのか (134レス)
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7: 2017/12/16(土)07:41 ID:0(7/121) AAS
真珠湾攻撃が無ければアメリカは参戦出来ないまま。
ヨーロッパではソ連単独でどこまでドイツを押し返せたか。
8
(1): 2017/12/17(日)00:37 ID:0(8/121) AAS
渡辺惣樹はミュンヘン協定が当時の世論に歓迎されていた事をやたら持ち出しているがチェコ解体後の反応については何故か語らないんだよな
奇妙な戦争期について語らないのも不自然で
9: 2017/12/20(水)13:44 ID:0(9/121) AAS
渡辺はチェコ解体後のチェンバレンが理解不能のパニックになったと言ってるが実際のチェンバレンはチェコ解体でむしろミュンヘン協定の国境保障の義務は無くなったと最初言ってたんだよな
それは渡辺が我田引水に使ってるフーバーの本にも出ている

ただし世論がむしろ反独に向かったので慌ててポーランド独立保障宣言を行った
それも内容的には領土ではなく独立の保障であり裏ではポーランドに対独譲歩をせっつきまくった
10: 2017/12/20(水)14:14 ID:0(10/121) AAS
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11
(1): 2017/12/20(水)16:59 ID:0(11/121) AAS
>>1
俺の祖父
S級戦犯
12: 2017/12/22(金)21:40 ID:0(12/121) AAS
>>11
下痢便まき散らして死ね
13: 2017/12/23(土)21:10 ID:0(13/121) AAS
>>5
特にフランスは戦間期においてポーランドを御都合主義的に持ち上げまくった
ただしそれ故に御都合主義で制御する事が出来なくなった
14: 2018/01/30(火)08:45 ID:0(14/121) AAS
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

XIK1H
15: 2018/02/04(日)23:58 ID:0(15/121) AAS
渡辺の説は奇妙な戦争期の水面下外交にも触れない限り完成しない
あるいは出来ないのか
16: 2018/04/11(水)11:22 ID:0(16/121) AAS
>>8
要するに渡辺はミュンヘン協定を世論で正当化しつつチェコ解体については政治家の良識を重んじるというダブルスタンダードを使っている
17: 2018/06/14(木)16:12 ID:0(17/121) AAS
【終らせよう、?皇室″】 菅でも、安部でもない、原発の真の責任者は、東電の大株主、天皇ファミリー
2chスレ:liveplus

世界教師、マイトLーヤが来る前に、死刑とセットで廃止しよう!
18: 2018/07/12(木)10:56 ID:0(18/121) AAS
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C38
19: 2018/09/07(金)22:57 ID:0(19/121) AAS
渡辺は第一次世界大戦時のベルギー中立保障条約をカビの生えた条約だと言ってそれを破ったドイツよりそれを理由に参戦したイギリスを非難している
そうなれば日米安保も同じになるか
20: 2018/10/12(金)17:32 ID:0(20/121) AAS
要するにこの作者としてはソ連よりもドイツと組むべきだったと言いたいらしい
21: 2018/10/20(土)05:25 ID:0(21/121) AAS
迫る中国「シャープパワー」(複眼) クライブ・ハミルトン氏/周永生氏/高原明生氏
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO36500590V11C18A0TCR000/

■合法活動 誤った脅威論 中国 外交学院国際関係研究所教授 周永生氏

 「60%現象」という言葉がある。ある国の国内総生産(GDP)が米国の60%に達すると、米国はあらゆる力を
使ってその国をつぶしにかかるという経験則だ。
 歴史を振り返れば、それはかなり当たっている。
 1960年代末から70年代初めにかけて、ソ連のGDPは米国の60%になった。米国が全力でソ連たたき始めた
のはそのころからだ。88年に日本がソ連を追い抜くと、こんどは日本が米国の主要な脅威となる。日本への攻撃
は、バブル経済が崩壊したあとの94年ごろまで続いた。
 そしていま、中国のGDPは米国のおよそ60%である。米国は中国を怖いと思うようになっている。それは
省4
22: 2018/11/11(日)19:29 ID:0(22/121) AAS
ポーランド回廊やダンチヒの奪還はヒトラーより国民の方が強硬だった

ならば空襲で大惨禍を被るのも当然という事か
23: 2018/11/12(月)17:52 ID:0(23/121) AAS
一つの様相において、米国の人種法はナチ達にとって過酷過ぎである、と受け止めらた。
米国では、「一滴」ルールが支配的だった。
すなわち、16分の1しか黒んぼの血が入っていなくても、その人は黒人に計上されたのだ。

ところが、ナチの強硬派達の、祖父母のうち一人がユダヤ人であればユダヤ人と定義すべき
であるという提案は、ニュルンベルクでは承認を得られなかった。
その代わり、4分の1、そして、2分の1、のユダヤ人達もかなり大目に見る扱いがなされた。
半分ユダヤ人(Mischlinge)は、彼らが宗教的に<ユダヤ人として>厳格(observant)
であったり、ユダヤ人と結婚していたり、しない限り、アーリア人達として計上されたのだ。

著者は、このような諸見解は、粗野な南部のデマゴーグ達によって抱かれていただけでなく、
米国の大統領自身によっても抱かれていたことに言及すべきだった。(この著者によって
省15
24: 2018/11/12(月)17:56 ID:0(24/121) AAS
現実の法制には体現されていないけれど、究極的には、ナチ達は、彼らの宣明された諸目標と、
米国の19世紀におけるマニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)、との間の比較を行った。
その途上で、彼ら自身の人間以下の者ども(Untermenschen)であるところのインディアン人達を
破壊しつつ、西方へと拡大することによって、米国は、それ自身の生存圏(Lebensraum)を確保した。
ナチ達は、彼らが後に、究極的に、そこにいた大勢のスラヴの人々に関してとった行動の指針と
すべく、この事例を活用したのだ。

もちろん、どんなに米国の人種法が醜悪だったとしても、また、ナチ達は、しばしば、
米国人達の西部の征服への称賛を表明こそした・・まさに、ヒットラーは、<米>入植者達は、
「何百万ものインディアンども(Redskins)を撃ち殺して数十万までにした」と宣言した・・けれど、
そこには、ナチの絶滅収容所(extermination camp)群の米国的モデルは存在してはいなかった。
省14
25: 2019/03/07(木)17:17 ID:0(25/121) AAS
呑気に軍縮してるイギリス人が悪い
とチャーチルが言ってた
26: 2019/03/10(日)11:07 ID:0(26/121) AAS
第一次世界大戦で国民を煽り過ぎた
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