[過去ログ] 【UK】イギリスの歴史【英国】 [転載禁止]©2ch.net (780レス)
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594: 2020/10/09(金)00:09 ID:0(579/765) AAS
英国で「末席」を用意された天皇陛下を「最前列」に呼び寄せた人物とは? 天皇陛下が尊敬される理由
https://www.bookbang.jp/review/article/571375
595: 2020/10/14(水)06:22 ID:0(580/765) AAS
>>574
ノルマン・コンクエストの影響のうち一番大きいのはデーン人の一掃だから、
もしノルマン・コンクエストがなかったらイギリスはデーン人の国として北欧扱いされてたかもしれない
596
(1): 2020/10/14(水)18:30 ID:0(581/765) AAS
で一掃されたデーン人は何処へ行ったんや?
597: 2020/10/14(水)19:32 ID:0(582/765) AAS
>>596
元のデンマーク等に帰ったor他のノルマン人地域に移り住んだ
中には抵抗して殺された人もいるかもしれないが
598: 2020/10/16(金)10:55 ID:0(583/765) AAS
「ブラッディ・メアリ」って、実は有能な女王だったのでは?
https://youtu.be/__n8yOraMDQ
599: 2020/10/16(金)19:47 ID:0(584/765) AAS
アングロ・サクソン七王国というが、これらの国は、今日の目で見れば、
王国というよりは地方の豪族に近く、その他にも小国、属国など多数が
群雄割拠して武力によって覇を競っていた
最初に優位を占めたのはノーサンブリアだった
この地にはいち早くアイルランドからケルト系のキリスト教が浸透し、
ラテン語での読み書きを中心とする教育が普及した
600: 2020/10/16(金)20:39 ID:0(585/765) AAS
しかし、アイルランドからのキリスト教はやがてローマからのキリスト教に駆逐されてしまったんだよな
七王国時代のイングランドでは、アイルランドからのケルト系キリスト教とローマからのカトリックのどちらを受容するかが政治的問題となった
結局カトリックが勝利し、イングランドは他の西欧諸国同様にカトリック圏の国となった
601: 2020/10/16(金)22:32 ID:0(586/765) AAS
ノーサンブリア王国が落ち目となり、次に勢力をふるったのはマーシア王国
この国はペンダ王の時代に異教を奨励し、その後キリスト教に改宗していたものの、
教会の税金を厳しく取り立てて、強大な軍事力の維持につとめた
オッファ王の時代に全盛期を迎えるが、彼はウェールズとの国境に
「オッファの城壁」と呼ばれる長大な土塁を築いてブリトン人の侵入を阻んだ
602: 2020/10/17(土)04:34 ID:0(587/765) AAS
英国の国王と領土変遷
Timeline of English & British Monarchs
https://www.youtube.com/watch?v=AgGUEV0cTeY
https://www.youtube.com/watch?v=__T1sh58YzU
603
(1): 2020/10/17(土)07:30 ID:0(588/765) AAS
後に大英帝国は海を通して全世界に出ていくことになるが、
中世初期のイギリスにとって海は外敵を運んでくるルートという感じだな
604: 2020/10/20(火)11:28 ID:0(589/765) AAS
>>603
中世初期のイギリスは常にヴァイキングという海からの侵略者の脅威にさらされ続けていたな
ノルマン・コンクエストまでずっとそんな感じだ
605
(1): 2020/10/20(火)23:05 ID:0(590/765) AAS
ヒストリーチャンネルで、ヴァイキングと取り引きしたアラブの商人が、彼らのあまりの野蛮さに衝撃を受けたというようなことを言ってたな
606
(1): 2020/10/21(水)00:08 ID:0(591/765) AAS
ヴァイキング時代のイングランドでは北東部にデーン・ロウと呼ばれるデーン人居住地域まで存在した
しかも後にはデンマーク王クヌートによってイングランド全土を完全に征服されている
そのような状態が続けばイングランドが北欧になっていた可能性も十分あった
607: 2020/10/21(水)08:07 ID:0(592/765) AAS
>>605
野蛮になるのはこれからだっていうのにw
608: 2020/10/21(水)14:53 ID:0(593/765) AAS
イングランドのキリスト教は、ガリアからではなく、ローマから直接伝わった
596年に教皇グレゴリウス1世によって派遣され、のちにカンタベリの大司教と
なったアウグスティヌスは、神学と並んでギリシア・ローマの科学も伝えた
このように、純粋にゲルマン的であったイングランドに、いち早く直接に
地中海経由で、キリスト教と同時にギリシア・ローマの文化が浸透していった
改宗したアングロ・サクソンの知識人の目はローマに向けられ、彼らは
ひっきりなしにローマを訪れては聖遺物や写本を持ちかえった

アルクィンをカール大帝が招いたのには、このような歴史的背景がある
609: 2020/10/27(火)23:22 ID:0(594/765) AAS
ヴァイキングは、865年にイースト・アングリア、その後、約二年間でノーサンブリア、
マーシア東部を次々と征服し、ノーサンブリアの大都市ヨークに拠点を構え、
残りのマーシア西部とウェセックスの征服を狙うようになっていた
このような状況下で、救世主のごとく現れたのが、871年にウェセックスで即位した
アルフレッドである
彼はヴァイキングと激戦を続け、一時はサマセットの湿地の奥にあるアセルニー島に
身を隠し、なんとか命を長らえるなどの苦々しい経験を経て、ようやく878年、
エディントンの戦いで大勝利を収め、後にウェドモアにて休戦協定を結ぶことに
成功した
この協定により、デーン人の支配地域をイングランド北東部に限定することができた
610
(1): 2020/10/29(木)19:21 ID:0(595/765) AAS
>>606
デーン・ローと呼ばれるが、デーン人の人口比はわずかであり、
住民の大多数は現地民だった
611: 2020/10/30(金)10:28 ID:0(596/765) AAS
>>610
実際はそんなものなのか
確かに、デーン人がわずかだったからこそノルマン・コンクエスト以後にこの地域からデーン人を一掃することができたんだろうしな
612: 2020/10/30(金)13:12 ID:0(597/765) AAS
ヴァイキングというものは空想のものバケモノだけどなw
613: 2020/11/06(金)14:58 ID:0(598/765) AAS
ノーサンブリア王国はエドウィン王が統一するまでバーニシア王国とデイラ王国に分かれていたらしいけど前者は今のランカシャー地方で後者はヨークシャー地方という事でいいの?
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