森山高志 被害者の会 (576レス)
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552: [] 2020/07/01(水) 19:38:20.27 ID:SQvFv7HD 当社は真言宗8公寺の一つである神徳寺(現在も道路を挟んだ当社の南西側に位置)に併置 の神社として、官社の制により琉球八社とされた。官社へは王府から神職の役俸並びに営繕 費が支給されたが、当社へは神職として祝部・内侍・宮童が置かれた。また、祝部・内侍が神 楽の際に着用する服装は全て王府の寺社座から支給を受けた[4]。 明治時代に入り、 琉球処分により琉球王国が廃され沖縄県が置かれると、当社は近代社格 制度により無格社とされた。『琉球宗教史の研究』によれば、沖縄県行政府では当社を村社に 列することを立案したが、経済的な理由から村社列格が出来ず、また社殿その他の設備にお いても不備な点が多々あって村社列格が事実上不可能であることから、とりあえず無格社とし て残置し、追々維持拡張整備して村社に引き直す根基を充実するよう努めることになったとして いる[5]。 さらに『琉球宗教史の研究』によれば、当時地元の民衆と信仰的に直接結合していたのは御嶽 拝所であり、無格社となり日本政府の経済的保障がなかった当社は、その後経済的にも信仰的 にも見るに耐えない無残な状態を呈することとなり、昭和14年度に沖縄県振興事業に取り上げら れたときには、明治末頃まで美麗な姿を留めていた拝殿は倒壊消滅して礎石のみが残り、本殿 は腐朽破損が甚だしくて東方に傾斜したのを4〜5本の支柱で支えている有様で、その支柱もシロ アリの被害が甚大であり、屋根は数箇所は長年の暴風雨で破壊されて参拝者の生命に危険を及 ぼす恐れがある状態となっていた。[6]。 その後、昭和19年(1944年)10月に沖縄戦で被災全焼し、戦後に再建されたのが現在の社殿で ある。神社が位置する高地は沖縄戦の激戦であるシュガーローフの戦いの戦場だった。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/552
当社は真言宗公寺の一つである神徳寺現在も道路を挟んだ当社の南西側に位置に併置 の神社として官社の制により琉球八社とされた官社へは王府から神職の役俸並びに営繕 費が支給されたが当社へは神職として祝部内侍宮童が置かれたまた祝部内侍が神 楽の際に着用する服装は全て王府の寺社座から支給を受けた 明治時代に入り 琉球処分により琉球王国が廃され沖縄県が置かれると当社は近代社格 制度により無格社とされた琉球宗教史の研究によれば沖縄県行政府では当社を村社に 列することを立案したが経済的な理由から村社列格が出来ずまた社殿その他の設備にお いても不備な点が多あって村社列格が事実上不可能であることからとりあえず無格社とし て残置し追維持拡張整備して村社に引き直す根基を充実するよう努めることになったとして いる さらに琉球宗教史の研究によれば当時地元の民衆と信仰的に直接結合していたのは御 拝所であり無格社となり日本政府の経済的保障がなかった当社はその後経済的にも信仰的 にも見るに耐えない無残な状態を呈することとなり昭和年度に沖縄県振興事業に取り上げら れたときには明治末頃まで美麗な姿を留めていた拝殿は倒壊消滅して礎石のみが残り本殿 は腐朽破損が甚だしくて東方に傾斜したのを本の支柱で支えている有様でその支柱もシロ アリの被害が甚大であり屋根は数箇所は長年の暴風雨で破壊されて参拝者の生命に危険を及 ぼす恐れがある状態となっていた その後昭和年年月に沖縄戦で被災全焼し戦後に再建されたのが現在の社殿で ある神社が位置する高地は沖縄戦の激戦であるシュガーローフの戦いの戦場だった
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