【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/
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220: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2024/04/08(月) 00:44:33.75 ID:7sXiGFJs 上場大企業、上場企業のグループ会社。障害者の法定雇用率が上がり、企業の社会的責任(CSR) を重視する風潮が高まった結果、働き口は以前よりも見つけやすくなっていた。 ただ、どの会社でも待遇はパートか契約社員だった。最初に入ったガス会社の月給はおよそ15万円、 手取りで約12万8000円。低賃金以上につらかったのは、満足に仕事を与えられないことだった。 入社初日に上司から言われたのは「あなたは勤務時間中、 ここに座っているだけでいい」。コールセンター
のオペレーターとして採用されたものの、 最初から法定枠を埋めるための数合わせでしかなかったのだ。「ちゃんと働きたい」と訴えると、 ようやく業務が割り振られた。ただ、障害への無理解も感じた。例えば、 大量の書類を運ぶように指示されても持てない。「できない」と言うと、「業務をより好みしている」 と受け止められてしまう。心理的に落ち込み、約3カ月で退職した。かつての経験を生かそうと、 営業職の求人を探した。だが、障害者枠では見つからない。一般枠での応募も考えたが、 それで採用されると、障害への合理的配慮を受けられなくな
る懸念があった。 低気圧の日に体調を崩しがちで、通院が必要になる。急な欠勤を認めてくれる職場でなければ、 働くのは難しい。結局、事務職で貿易やコンサルなどの会社を転々とした。 この間の年間最高収入は約260万円にとどまる。「戦力になれる自信はあったのに、 社会は中途障害者に冷たいなと感じた」と振り返る。1カ所だけ、やりがいを感じられる職場もあった。 契約社員として3年間在籍した種苗メーカーだ。造園を担当する部署に配属された。 当時の上司は、「入ってきたばかりの時は正直、どう接したらいいのかわからなかった」 と打ち明ける
。トラブルを避けるため、最初の半年間は当たり障りのない、 簡単な軽作業ばかりを頼んでいた。フラストレーションをためていたのだろう。怒りっぽくなり、 計20人ほどの部署内で腫れ物のように扱われていた。転機となったのは、2人で酒を飲みに行った際、 「障害者でも働ける。自分の価値を認めてほしい」と直談判したことだった。 「それなら会社に『欲しい』と思われる人材にならなきゃいけない」と返答。 腹を割って話し合い、半生や悔しさを知った。部署内では各々が自分の抱える案件を管理し、 どの施工がどこまで進んでいるのかを俯瞰する手段
がなかった。改善案を求めると、 エクセルで工程を管理する表を作成。そのうち、部内の全員が情報を上げ、 進捗状況を一元化するようになった。さらに独学でPCスキルを学び、行政機関の報酬基準などを基に、 造園工事の見積もり額を自動で算定するシステムを構築。いつしか部署にとって、 なくてはならない戦力となっていた。「精神的にも安定したのか、とっつきにくさが減った。 同僚からの信頼も徐々に得ていた」。障害のため、パソコンの操作に健常者より時間を要した。 「仕事が遅い」と不満を募らせる社員も当初はいたが、コミュニケーションが深
まるにつれて、 文句を言う人はいなくなった。特性の1つだと周囲が理解したのだ。「今も仲間だと思っている。 相手の状況を知り、立場に沿って対応を考える大切さを学んだ。健常者だろうと障害者だろうと、 その重要性は変わらない。部下と接するうえで、共に働いた経験はずっと役立っている」。 会社側も評価し、雇用契約の無期転換を提示。だが、 分社化に伴う事業再編で決まりかけていた昇給が白紙となり、条件面で折り合わずに退社した。 それでも「障害者になった後、初めて自分を認めてくれた」と深く感謝している。 大学通信教育課程に入学。亡
くなった母親が「いつか大学に再チャレンジするために」 と残してくれた遺産を学費に充てた。終業後や休日に受講を進め、少しずつ単位を取得。 福祉工学のゼミでは障害者の労働環境の改善方法を調べた。 当時の職場で雇い止めされてからは学業に専念し、 「リモートワークや支援機器が運動機能障害者の働き方をどう変化させるか」 というテーマの卒論を提出、今年3月に卒業した。現在は月に4〜5件ほど採用面接を受けているが、 まだ就職先は見つかっていない。これまでの経験や大学で得た知識を基に、 企業と障害者を仲立ちするような事業を始め
られないか構想中という。 障害当事者の目線から働きやすい職場環境を説く講演活動にも取り組みたい考えだ。 「私は自分が障害者になるなんて、夢にも思っていなかった。つまり、誰の身にも起こりうるということ。 障害を持つ労働者がいい意味で特別扱いされず、『やればできる』という可能性を広く認められる社会にしていきたい」 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/220
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