[過去ログ] 広島大学総合スレ (72レス)
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2: 2018/12/19(水)20:15 ID:??? AAS
広島の鈴木誠也の背番号が「51」から「1」へと変わる。
どの球団でも「1」は特別な背番号だが、広島でもチームを牽引した名選手が背負ってきた。
広島の背番号「1」の歴史を見ていこう。
1950-1953 白石勝巳/遊
1953 野崎泰一/投
1954-1958 金山次郎/二
1959-1969 古葉竹識/遊
1970-1974 渋谷通/一
1975-1978 大下剛史/二
1979-1982 大久保美智男/投
1983-1993 山崎隆造/外
1994-2013 前田智徳/外
2019- 鈴木誠也/外
広島の初代「1」は、戦前は巨人の名遊撃手で、2リーグ分立時に地元広島に移籍した白石勝巳がつけた。
白石は広島の監督も務め、1985年に殿堂入りしている。
投手の野崎が1年つけたのちに、松竹から移籍し、リードオフマンとして活躍した金山次郎がつけた。
金山は福岡出身だが、引退後も広島で解説者を務め、1975年の初優勝時には感極まって泣きながら解説をして話題となった。
そのカープ初優勝をもたらしたのが古葉竹識。現役時代は名遊撃手として、長嶋茂雄と首位打者争いをしたこともある。
古葉も1999年に殿堂入りしている。
ここまでの「1」は野崎を除いて野手のリーダー格がつけたが、渋谷通は全く意味が違っていた。
渋谷は「王貞治そっくり」と言われた一本足打法。期待も高く、王にあやかって「1」となったが、7本塁打に終わった。
1974年オフに日本ハムにトレード移籍したが、この時に広島にやってきたのが大下剛だった。
遊撃手、リードオフマンとして活躍し、1975年の広島の初優勝に貢献した。
救援投手の大久保美智男を挟んで、俊足好打の外野手、山崎隆造が「1」で活躍。その後は、強打者の前田智徳がつけた。
打撃職人と言われた前田は、広島一筋で2000本安打を記録した。
偉大な成績を残した前田の引退後は半ば永久欠番のような扱いになっていたが、鈴木誠也の成長で継承者ができた形だ。
鈴木は右の長距離打者。俊足で守備範囲も広い。この点は、チームの大先輩、山本浩二の直系と言えるが、
山本の「8」は、衣笠祥雄の「3」とともに永久欠番になっている。鈴木も「1」を永久欠番にするくらい活躍してほしいものだ。
同時に松山竜平も「44」から「55」に変更となった。「55」の歴史も振り返っておこう。
1963 原勇治/内
1964-1965 羽里功/投
1968 片岡一美/捕
1969-1974 白石静生/投
1976 入江道生/内
1977 小林一史/投
1981 高木宏彰/投
1982 平川雅敏/内
1984-1987 紀藤真琴/投
1988-1989 松林和雄/外
1990 ヤング/外
1990-1993 仁平馨/外
1994-1996 田中由基/投
1997 福良徹/外
2002 筒井正也/投
2004-2011 嶋重宣/外
2012-2018 エルドレッド/外
2019- 松山竜平/外
大きな背番号だけに、1軍出場がないまま終わった選手も多い。しかし、活躍した選手も散見される。
白石静生はメガネの左腕投手。2回2桁勝利を挙げている。のちに阪急へ移籍。
紀藤真琴は先発、救援で長く活躍した。デビュー時にこの番号をつけた。
2004年から2代続けて強打者が「55」をつけた。「赤ゴジラ」こと嶋は首位打者、
エルドレッドは本塁打王と打撃タイトルを取っている。
FA権を行使せずに残留を決めた松山は、2代続いた「55」の強打者の系譜を引き継ぐことができるだろうか。
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