村上春樹的司法試験予備試験 口述式試験編 (252レス)
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86: It2iZS2d 2019/09/03(火)21:35 ID:Thxubbe8(1/10) AAS
三 二日目
87: It2iZS2d 2019/09/03(火)21:37 ID:Thxubbe8(2/10) AAS
 昨日の失敗に学んだ僕は、きちんと目覚ましをセットすることに成功していた。
 そしてきっかり八時に目を覚ました。あいも変わらずいつごろ眠りに落ちたのかは判然としない。
 だがおぼろげな記憶から判断するに、昨日よりは長く眠ることができたはずだ。
 缶ビールを何本か飲んだが二日酔いもない。今日も寝起きの割にはスッキリとした状態だった。
 午後組であることに改めて感謝しなければならない。
88
(1): It2iZS2d 2019/09/03(火)21:43 ID:Thxubbe8(3/10) AAS
 その日僕は少し遅くにホテルを出た。塾の休憩所を使わないつもりでいたからだ。
 その代わりに、新浦安駅前のとある喫茶店で時間をつぶしてから会場に向かう算段だった。
 休憩所には数十名の受験生がいるため、いやおうなしに気を張らせられる。他方喫茶店であればそういったおそれはなく、店を出るまでは多少なりともリラックスした気持ちで過ごすことができると考えていたのだ。
 だがその選択にはまたしても裏目に出た。何のめぐりあわせか、足を運んだ喫茶店において僕は口述式試験受験生と隣り合うことになったのだ。
 パリッとしたスーツ姿にもかかわらず身にまとうのは重苦しい雰囲気、そしてテーブルの上には類型別。これはもう間違いない。
 僕はいまや試験という名の地獄に向かうベルトコンベアにすっかり乗せられているということを、意図せずして思い知らされた。
 現実から目を背けて一息つくために向かったところで現実を突きつけられた僕は、幸先の悪さを感じながら苦いコーヒーを啜った。
90: It2iZS2d 2019/09/03(火)21:51 ID:Thxubbe8(4/10) AAS
 法務省浦安総合センターは昨日となにも変わらないように思われた。予備校関係者も長い行列も相変わらずだ。
 決定的な違いを突きつけられたのは、僕が受付を済ませ、体育館で待機する際の席番号を知らされた時だった。
 その番号は最後列のひとつ前の列を示していた。
 前列から順に呼ばれていくという試験のシステムを知っていた僕は、それが意味するところ悟り慄然とした。
 自分の順番は、ほとんど最後にならないと回ってこないのだ。
 番号が良くないと四時間から五時間待たされる人間もいる、という噂を思い出した。僕は今からその噂を身をもって証明することになるかもしれないのだ。
 もしかするとそれは、『もしかりに噂が本当だとしても、自分がその貧乏くじを引くことはないだろう』、そんなことを考えて当事者意識に欠けていた僕に対する罰なのかもしれない。
91: It2iZS2d 2019/09/03(火)21:56 ID:Thxubbe8(5/10) AAS
 会場に到着し受付から知らされるその瞬間まで、自分がどのタイミングで待機室を離れて発射台へと運ばれていくのか正確に知ることができない。
 それにしても、これはきわめて不合理なルールではないだろうか。
 そんなことを考えつつ、動揺を隠せない僕は憤然とパイプ椅子に腰かけた。
 体育館ではパイプ椅子三つで一つのブロックが形成されていたのだが、僕は不幸なことにその真ん中に配置された。
 そして両隣に鎮座まします受験生は共にかなり身体が大きい。
 ひとりはパイプ椅子から優にはみ出してしまうくらい恰幅のよい中年男性で、もう一人はアメフト選手のように筋骨隆々とした僕と同い年くらいの男性だ。
 やれやれ、こんななかで何時間も移動のときを待たなければならないのか。僕は大きくため息をついた。
92: It2iZS2d 2019/09/03(火)22:01 ID:Thxubbe8(6/10) AAS
 席に着いてからしばらくして、僕はもう一つのシビアな問題に直面した。
 待ち時間をフルに活用するには、僕が持ってきていた教材はあまりにも少なかったのだ。
 僕の手持ちの教材は次のようなものだった。
 ア〇ルートの刑法論証集(加工済み)、三〇・〇巻の刑事手続法入門、〇巳のハンドブックの部分的なコピー、そして例の判例六法。
 〇ガルート論証集やハンドブックのコピーは既に最終確認のつもりで目を通してきたので、これ以上みるつもりはなかった。
 だがそんな僕の方針はあっさりと変更を余儀なくされた。
 僕はホテルに山〇厚の青本を置いてきたことをひどく後悔した。彼が提示する正確無比な定義や簡にして要を得た記述が恋しくてならなかった。
 短答も論文も共に切り抜けてきた頼れる戦友の不在は、僕の気持ちを不安定なものにさせた。
 しかしいくら念じたって、ないものはない。
 僕らはいつだって手持ちの武器だけでやっていくしかないのだ。
93: It2iZS2d 2019/09/03(火)22:08 ID:Thxubbe8(7/10) AAS
 そして劣悪な数時間が幕を開けた。
 僕は集中力が切れると一旦教材から目を離し、周囲の受験生がどんな教材を使っているのか探るためあちこちに視線を泳がせた。
 それはささやかな好奇心を満たし、一向に自分の番が来ないことに起因する絶望的な気分をまぎらわせてくれた。
 右隣の大男は定石本を読んでおり、左隣の大男は僕と同じように刑事手続法入門を読んでいた(同じ教材を使う人に僕はささやかな親近感を覚える。)。
 右のブロックの一番端に座るやせぎすな男性は塾の基〇マスターらしき巨大なバインダーを膝の上に置いており、彼の前のブロックの一番端に座っているショートカットの女性は、A5のバインダーに閉じられた論証集のようなものを開いていた。
 他にも枚挙にいとまはないが、予備試験用法文を読んでいる人がかなり多かったのが印象的だった。
 刑訴法・刑訴規則ならいざ知らず、刑法の条文、それも関連判例が付記されていないものを読んでも、大した役に立たないのではないかと僕は思った。
 だが彼らとてきっとそれを読みたくて読んでいるわけではないのだろう、僕はそう考えなおした。
 彼らは僕と同じように、まさか自分がこんな後方に配置されるとは思っておらず、それゆえ持ってきた教材が時間をつぶすに十分でなかったのだろう。
 そう考えると、勝手ながら彼らに対し同情の念を抱かずにはいられなかった。
96: It2iZS2d 2019/09/03(火)22:25 ID:Thxubbe8(8/10) AAS
 五時間弱に及んだ待機時間はとても壮絶なものであり、僕の戦意は幾度も失われそうになった。
 その恐ろしさは筆舌に尽くしがたく、こればっかりは経験した人間にしかわからないことなのではないかと思う。
 言葉を交わすことが許されない静かな空間で、ピリピリとした緊張を維持したままでいつづける。
 そして待てど暮らせど自分の番は回ってこない。そんな環境に置かれると、人は本当に様々なことを考えることになる。
 例えば、自分と同じ縦列になった人間がしくじらず、試験時間を長引かせないように願う。
 ある受験生の試験時間が長引くと、その受験生と同じ縦列の人間は呼ばれるのが遅くなり、『周回遅れ』のような状況が生じることがある。
 それは些細なことかもしれないが、些細であるからこそ、ただじっと待つばかりの僕らをうんざりさせた。
 またあるときには、僕らが待っている間じゅう立ちっぱなしで室内を見守る試験監督員たちの苦労について考える。
 好きでこんなところにいるわけではないだろうに、貴重な休日を使って精神の限界を迎えつつある連中の相手をさせられる。彼ら彼女らもたまったものではないだろう。
97: It2iZS2d 2019/09/03(火)22:31 ID:Thxubbe8(9/10) AAS
 もちろんそんなことばかり考えていたわけではなく、持ってきた教材から得られるだけの知識を得ようともした。
 しかし生真面目に反復したところでそもそも頭が疲れてきてしまっているからどうにも捗らない。
 気分転換に椅子から立ち上がってストレッチしたくなるが、それはご法度だ。そのため必然的に、制限付ながら立ち歩くことのできるトイレ行に手を挙げる人が増える。
 トイレに行くにも一苦労だ。十分か十五分に一度、試験監督員がトイレに行きたい人間を募る。そこで希望者は挙手し、試験監督員の前に一列に並ぶ。
 希望者は列を崩さぬまま階段を下ってトイレに行き、用を足す。そしてまた一列になって体育館に戻ってくる。そのあいだも私語を交わすことは禁止される。
 僕も四回はトイレに立った。そのうち二回は排泄を目的としたものではなく、足を動かしてくさくさした気分を晴らしたいがためのものだった。
98
(1): It2iZS2d 2019/09/03(火)22:43 ID:Thxubbe8(10/10) AAS
 四時を回ったくらいで、緊張や疲労、閉塞感に焦燥感といった負の要素たちのなかに、あらたに空腹が加わってくる。
 ただ待っているだけというのは、意外なほど人にエネルギーを消費させる。
 飲食が禁じられていなかったこともあり、僕の右隣に座る巨躯の男性はおにぎりを食べはじめた。
 僕もつられてカロリーメイトを口にし、そしてそれをミネラルウォーターで流し込んだ。
 すると左隣の男性がグウと大きく腹を鳴らしたが、彼は僕らと違って食べ物の持ち合わせがないようだった。見かねた僕は未開封だった残りのカロリーメイトをぎこちなく彼に勧めた。
 それがいらぬお節介であることは承知の上であり、僕の独善的ともいえる行為は突っぱねられて当然と思っていた。
 しかし意外にも彼はそれを受け取り、目の前にかざして小さく頭を下げた。袖振り合うも多生の縁というやつだ。
 それからほどなくして、僕は発射台へと移動させられた。
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