[過去ログ] 「あの世(=死後の世界)は無い」は、非科学的 3 (1002レス)
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(1): 2013/03/08(金)11:30 ID:??? AAS
>>10
九州では女性狩りが行われて奴隷として海外に売られ
その金で鉄砲と弾薬をご領主様が購入するという地獄のような時代だ
上杉家による関東侵攻は農民を食わす為の略奪が目的だったとさえ言われてる
文字通り人権も何もない地獄のような世界

http://tokyo-sansenkai.net/bekkan/nanyakanya/20031130-51.htm
誘拐・人質は、日本にも日常的にあった。遠い話ではない秀吉の頃、戦国時代には身の毛のよだ奴隷狩りまであった。

戦国時代も末に日本の戦場を目のあたりにした、ポルトガル生まれの宣教師ルイス・フロイス(1532〜97)がいう、
中世の西欧の戦争は、領土を広げるのが目的だが、日本では戦争が食うために行われていると。

戦国大名の軍隊は、かりに百人の兵士がいても、騎馬姿の武士はせいぜい十人たらず。
あとは雑兵。戦場で濫妨狼藉の主役を演じた雑兵たち。彼らはいったいどこから来たのか。
凶作と飢饉のあいついだ戦国の世、懸命に耕しても食えない人々は傭兵になって戦場に。
その戦場で食物や家財や男女を奪い、その稼ぎで飢えに見舞われる冬から夏への端境期をなんとかしのげる唯一の稼ぎ場が戦場だった。
そのたったひとつのせつない稼ぎ場に、村にいても食えない二、三男坊も、ゴロッキも悪党も、山賊海賊や商人も殺到し、
略奪・暴行と「食うための戦争」をしたのである。

<冬は越せるのか、春まで持ちこたえられるのか>
越後の上杉謙信の軍が、北関東の戦場で城を落とすと、その城下で人の売り買いをしたことが記録にある。
その上杉軍が関東に攻め込んだのは、「万民餓死に及ぶ」といわれた永禄8年(1565)の冬11月、越後に引き揚げたのは翌春の3月。
まさに現代の出稼ぎさながらに、冬に関東に出て略奪をかさね、春に国に帰っていたのである。

北信濃に進出した武田軍は、信越国境の関山(新潟県妙高村)を越え、春日城(上越市)近くまで侵入し、村々に火を放ち、
どさくさに紛れて女性や児童を乱取りし、生け捕った越後の人々を甲斐に連れ帰って、自分の召使(奴隷)にした。
「甲陽軍艦」に、この作戦で武田軍は越後を占領こそしなかったが、略奪に大成果をあげたのもみな信玄の威光のお陰だと力説している。
戦国の戦争には、明らかに乱取り目当ての戦争もあり、大名さえ強ければ、それは思いのままであった。
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