他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16 (310レス)
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231: 2019/06/03(月)17:56 ID:jQxX6wbN(59/130) AAS

どんなに正しい意見でも、十分に、たびたび、そして大胆に議論されることがないならば、
人はそれを生きた真理としてではなく、死んだドグマ[教条]として抱いているにすぎない。


思想の自由は、ただ単に、あるいは主として、偉大な思想家を生み出すために必要なだけではない。
普通の人間を可能なかぎり精神的に成長させる、そのためにも必要である。
いや、むしろ、そのためにこそ必要なのである。


古代の偉大な雄弁家キケロが残した記録によれば、
彼はつねに論敵の主張を、自分の主張以上にとはいえないまでも、
それと同じくらい熱心に研究したのだそうだ。


意見の違いがありうる問題の場合、
真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる。
自然科学の分野でさえ、同一の事実について、
つねにまた違った説明を加えることが可能なのである。


自分の頭で考えず、世間にあわせているだけの人の正しい意見よりも、
ちゃんと研究し準備をして、自分の頭で考え抜いた人の間違った意見のほうが、
真理への貢献度は大きい。


真理に備わる本当の強みは、つぎの点にある。
すなわち、ある意見が真理であるならば、それは一度、二度、あるいは何度も
消滅させられるかもしれないが、いくつかの時代を経るうちに、
それを再発見してくれる人間がたいてい現れる。


真理は、ただ真理というだけで、間違った意見にはない固有の力が備わり、
地下牢や処刑台に打ち勝つ、などというのは根拠のない感傷にすぎない。
ひとびとは真理よりも間違った意見を熱狂的に支持することもある。


再発見された真理のいくつかは、幸運な事情に恵まれて、迫害をまぬがれ、大きな勢力となる。
そして、そうなった後は、いかなる抑圧の企てにも耐えられる。


深刻な論争が、あの問題でもこの問題でも、つぎつぎに終結していくのは、
意見がひとつにまとまっていく流れの必然的な現象なのだ。

ジョン・スチュアート・ミル
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