自己言及としての自然科学概論  自然過程説の展開 (35レス)
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1: 三浦三郎 ◆/Pbzx9FKd2 01/05(金)09:57 AAS
認識論から観た自然科学

現代科学は革命が必要と主張する科学者たちは半世紀ほど前から出現し三十年前からはっきりと言う科学者は洋の東西を問いません。
ビッグバン仮説は宇宙背景放射が証拠と言われますが異論がありスムート博士は否定できないとコメントしました。
赤方偏移も違う理解が可能という異論があります。
大構造生成にはビッグバンが主張する時間の数倍が必要だということです。

この仮説はいろいろ疑問があります。
対象が宇宙非宇宙と否定関係を想定、つまり矛盾するということです。
また物理として生滅は無いというエネルギー保存則、絶対座標、つまり始まりを否定する光速度一定の原理も無視、否定します。

これらは科学者がいずれ解決するのでしょうが余生が短いわたしには概観だけでも構築したいわけです。
たしか物言わぬは腹ふくるるとかいいましたし
省2
16: 三浦三郎 ◆/Pbzx9FKd2 01/05(金)10:39 AAS
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。
省4
17: 三浦三郎 ◆/Pbzx9FKd2 01/05(金)10:39 AAS
哲学上の諸問題

まずゼノンの逆説をとりあげます。
これは師のパルメニデスの主張である自然は一であるという理解の擁護です。
仮に数が実在し最小単位があるとしたらその半分の大きさがあることを「競技場の逆説」で示します。
自然は数で出来ていると反駁するピタゴラス学派は数には大きさが無いとします。
ならばと「二分の一の逆説」「アキレスと亀の逆説」で目的地に達することも、亀を追い抜くこともできないと反論します。
「飛ぶ矢の逆説」では自然が点で出来ていたら運動は不可能だと証明します。

これらは光速度一定の原理が座標原点が実在しないことで裏付けられます。
数で規定しますが数は実在しません。
無で有を、規定は否定です。
省4
18: 三浦三郎 ◆/Pbzx9FKd2 01/05(金)10:42 AAS
観測問題は粒子は波の渦状態とすると解決します
ここからもここまでも実在しませんが認識器官は全てを反映しません
重力は運動関係変更に要するエネルギー量であり
他の諸力はその物理理状態生成に必要なエネルギー量と理解できます。

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥の過程で様々な物理状態を生成します

進化論はこの理解で裏付けられます

自然はただただ運動変化する過程として在るだけです
19: 三浦三郎 ◆/Pbzx9FKd2 01/05(金)10:45 AAS
諸力も次元なども自然を規定理解するためにあり自然には実在しないのです

自然は無矛盾です
20
(1): 01/07(日)02:01 AAS
sm43241510
21: 01/08(月)08:56 AAS
>>20
哲学板の常連さん?
投稿の意味が解らん
無意味なんかな 笑
22: 01/08(月)08:58 AAS
あっ勘違いだ
失礼した、
23: 01/09(火)15:35 AAS
自然が無矛盾であることは、静止、生死、終始、粒子など、これは静止の派生ですが、それが実在を否定され証明されます。
認識器官は物理状態であり、その在り様に物理状態の像は生成されます。
ですから一である自然は多様な像を生成します。
表現には認識主体が常に付きまといます。
同様に自然像はその各々の認識器官の在り様が付きまといます。
静止、生死、終始などはそれです。
科学はその認識の在り方を相対化していく歴史でもあります。

光速度一定の原理は認識器官の在り方から生成される像である静止が実在しない事を示し自然の存在形態が運動であり終始の実在を否定し無限である事、エネルギー保存則が成立、対象が無矛盾であることを証明しました。

規定は否定です、有を無で規定するからこそ不確定性原理です。
自然認識は自己言及ですから、対象が無矛盾であるが故に決定不能となります。
24: 01/09(火)16:43 AAS
意識問題を考えます
自然は運動するエネルギーの濃淡であり非物理存在は自然には存在しません
たとえば樹木と認識したとします
樹木という物理状態は同一であることはなく違う物理状態に遷移します。
樹木という表現は対象を静止、非同一を同一で捉えいたものです。
科学者が死を峻別できないのは生死が物理として存在しないからです。
運動変化している物理状態をわたしたちは静止で規定しますから生滅と認識します。

物理状態を人間、樹木と静止で規定しますから生滅すると認識するわけです。
意識自身も物理状態の附随現象ですから生滅します。
意識の自己言及の側面の考察が必要ではないかと現在は考えています
省1
25: スレ主 01/10(水)04:58 AAS
結局附随現象活動か
現象界 

自身もまた
26: 01/10(水)05:00 AAS
うん、また書き直しだな 笑
27: スレ主 01/10(水)05:06 AAS
運動変化がもたらすだけか
物理状態の関係理解ということか?  
そこに還元される・・・
28: スレ主 01/11(木)10:40 AAS
現象学ってあったな
読んでみるかな
29: 01/11(木)15:22 AAS
展開し直すか
もう三十年前かなゼノンのパラドックスから展開した
何回書き直したやら
30: 01/14(日)19:57 AAS
不確定性原理
不完全性定理

規定は否定の具現ということです 
今頃気がついた 
31: スレ主 01/14(日)20:01 AAS
正直自然科学の結論が怖い
32: 01/14(日)20:05 AAS
新約聖書学
共産主義思想
数学

これらの結論にはひいた

わたしたちは自然科学には呆然としそう
33: 01/14(日)20:07 AAS
突き進むしかない

誰かがやるだろうが憎まれそう
34: 01/14(日)20:15 AAS
トドメは西欧には文化背景から困難かと思えるが
さて
35: 01/14(日)20:20 AAS
もう少しかと

ただ怖いです
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