[過去ログ] カール・マルクス 70 (1002レス)
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944
(5): 06/02(日)12:13 ID:0(944/1000) AAS
>>941
じゃあレーニンは君主になりたくて労働者を騙したと言いたいわけか
マルクスはそれを手伝ったと
マルクスも君主になりたかったのかなw?
これは笑えるw
大笑いするしかないなw
壮大な陰謀だw
945
(1): 06/02(日)12:15 ID:0(945/1000) AAS
>>944
当たり前じゃん
マルクスは元々ブルジョワだったが親父が死んで没落
再び貴族になるための「理論」をでっち上げた
自由と平等を訴えたら貴族に返り咲くことは不可能になるから敢えて隠した
946: 06/02(日)12:16 ID:0(946/1000) AAS
>>944

論文「マルクス主義理論史研究の課題(XIV)」におけるノーメンクラトゥーラに関する記述を以下に示します。また、法的チェックシステムの欠如についての記述も含めています。

1. **レーニンの成功とノーメンクラトゥーラ支配**:
- 「レーニンによって、「無法・無国家共同体」を目指す権力は現実態となることができた。成立した国家は、「法治主義」の欠如した「人治国家」であり,ノーメンクラトゥーラの支配する国家であったが、それはマルクスの夢想とはかけ離れたものであっても,やはり彼の「無法・無国家共同体」思想の可視化された姿であった。」 [oai_citation:1,37_1_089_102.pdf](file-service://file-dgoD4cF0Qoq4ZJktzhmMyl3M)。

2. **ノーメンクラトゥーラ支配の国家の特徴**:
- 「「無法・無国家共同体」を目指した過渡期の国家は,権力者に対する法的チェック・システムの無い「人治国家」となり,マルクスとエンゲルスのユートピアは実現された。それは彼らが主観的に夢想した状態とは相当に異なった情景の社会であったが,「無法・無国家共同体」思想がもたらす論理的に必然の帰結であった。」 [oai_citation:2,37_1_089_102.pdf](file-service://file-dgoD4cF0Qoq4ZJktzhmMyl3M)。

3. **法的チェックシステムの欠如**:
- 「ボリシェヴィキの権力は,近代的統治のような法によるチェック機能(法治システム)を内在させない権力であり,大江泰一郎が言うように「法治主義」を欠如させたものであったが(大江[1992]),そのことは「無法・無国家共同体」をめざす権力にとっては当然のことで,現実に現れたシステムは「人治国家」であった。大江の言う「法治主義」の不在は,すでにマルクスの革命構想の基本的特徴であったと言えよう。この点では,マルクスの思想そのものなかに反「法治主義」を見いだしている森下敏男の議論が的を射ている(森下[1999])。」 [oai_citation:3,37_1_089_102.pdf](file-service://file-dgoD4cF0Qoq4ZJktzhmMyl3M)。
省1
947: 06/02(日)12:17 ID:0(947/1000) AAS
>>944
騙した可能性しかない
真に労働者のために働くなら労働者の自由を保障する
しかしマルクス主義に労働者の自由や平等という言葉は出てこない
出てこないことを理解した上で選んだのがレーニンやスターリン
948
(1): 06/02(日)12:18 ID:0(948/1000) AAS
>>944

ボリシェヴィキの指導者たちは、貴族や資本家から没収した邸宅を所有し、別荘や専用列車なども所有していた。レーニンは、1921年5月19日のスターリン宛の書簡で以下を書いた。
同志スターリン。ところでそろそろモスクワから600ヴェルスト(注:約640キロメートル)以内に、一、二ヶ所、模範的な保養所を作ってもよいのではないか? そのためには金を使うこと。また、やむをえないドイツ行きにも、今後ずっとそれを使うこと。しかし模範的と認めるのは、おきまりのソビエトの粗忽者やぐうたらではなく、几帳面で厳格な医者と管理者を擁することが可能と証明されたところだけにすべきです。
5月19日 レーニン
追伸 マル秘。貴殿やカーメネフ、ジェルジンスキーの別荘を設けたズバローヴォ(注:モスクワ郊外の都市)に、私の別荘が秋頃にできあがるが、汽車が完璧に定期運行できるようにしなければならない。それによって、お互いの間の安上がりのつきあいが年中可能となる。(中略)また、隣接してソフホーズを育成すること
950: 06/02(日)12:22 ID:0(950/1000) AAS
>>949

>>944

ボリシェヴィキの指導者たちは、貴族や資本家から没収した邸宅を所有し、別荘や専用列車なども所有していた。レーニンは、1921年5月19日のスターリン宛の書簡で以下を書いた。
同志スターリン。ところでそろそろモスクワから600ヴェルスト(注:約640キロメートル)以内に、一、二ヶ所、模範的な保養所を作ってもよいのではないか? そのためには金を使うこと。また、やむをえないドイツ行きにも、今後ずっとそれを使うこと。しかし模範的と認めるのは、おきまりのソビエトの粗忽者やぐうたらではなく、几帳面で厳格な医者と管理者を擁することが可能と証明されたところだけにすべきです。
5月19日 レーニン
追伸 マル秘。貴殿やカーメネフ、ジェルジンスキーの別荘を設けたズバローヴォ(注:モスクワ郊外の都市)に、私の別荘が秋頃にできあがるが、汽車が完璧に定期運行できるようにしなければならない。それによって、お互いの間の安上がりのつきあいが年中可能となる。(中略)また、隣接してソフホーズを育成すること
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