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柄谷行人を解体する55 (1002レス)
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: 2019/07/27(土)19:22
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11: [sage] 2019/07/27(土) 19:22:34 ID:0 (書評)『老いのゆくえ』 黒井千次〈著〉 ■自分らしさを見出す初々しい論 本書は、二〇〇五年から新聞に連載されたエッセイを集めた『老いのかたち』、 『老いの味わい』の続編である。ここで著者は、「可能なかぎり率直に、老いていく 自分を描き、その感覚や感情を記していくことを目指した」という。ただ、最初の 『老いのかたち』には、老いの問題を、広く歴ログイン前の続き史的・社会的に見る観点、 あるいは、セネカのような哲学的考察があった。それに比べると、 本書に書かれているのは、まさに「老いていく自分」だけである。 しかし、私はこの地味なエッセイに感銘を受けた。 ここで幾度も出てくるのは、転倒する話である。最初に、空足(からあし)を踏んで 倒れた話も出てくる。つまり、「あると信じていたものがなかったために空を踏んで」 転倒してしまう。これは、他人の老化はわかるが、自分の老化はわかりにくい、 ということを典型的に示す例である。実は、私も七〇歳を越えてから、空足ではないが、 転倒を経験した。何度か転倒すると、それが老化の兆候だということを認めざるを えなかった。老いを自覚するのは、このように難しい。 社会的には、高齢者は前期と後期に分けられている。しかし、後期以後には区別がない。 死以外に、「『高齢者』には終(おわ)りがない」。とすれば、老いはいよいよ、 各人の問題となってくる。 たとえば、本書に書かれているのは、他人の年齢が気になることである。それは結局、 自分の老いが納得できないからだ。その意味で、老年期は思春期とまるで異なるにも かかわらず、類似した「自己」意識をもたらす。それに対して、著者は自分に言い 聞かせる。「自分らしく老いればいい」「自分の老いを育てればよい」 しかし、これは「自分」へのこだわりではない。著者が見出(みいだ)すのは、 「あらゆる〈老い〉が、夕陽(ゆうひ)の中を静かに登っている」というような「老いのゆくえ」だ。 初々しい老年論である。 評・柄谷行人(哲学者) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1563873651/11
書評老いのゆくえ 黒井千次著 自分らしさを見出す初しい論 本書は二五年から新聞に連載されたエッセイを集めた老いのかたち 老いの味わいの続編であるここで著者は可能なかぎり率直に老いていく 自分を描きその感覚や感情を記していくことを目指したというただ最初の 老いのかたちには老いの問題を広く歴ログイン前の続き史的社会的に見る観点 あるいはセネカのような哲学的考察があったそれに比べると 本書に書かれているのはまさに老いていく自分だけである しかし私はこの地味なエッセイに感銘を受けた ここで幾度も出てくるのは転倒する話である最初に空足からあしを踏んで 倒れた話も出てくるつまりあると信じていたものがなかったために空を踏んで 転倒してしまうこれは他人の老化はわかるが自分の老化はわかりにくい ということを典型的に示す例である実は私も七歳を越えてから空足ではないが 転倒を経験した何度か転倒するとそれが老化の兆候だということを認めざるを えなかった老いを自覚するのはこのように難しい 社会的には高齢者は前期と後期に分けられているしかし後期以後には区別がない 死以外に高齢者には終おわりがないとすれば老いはいよいよ 各人の問題となってくる たとえば本書に書かれているのは他人の年齢が気になることであるそれは結局 自分の老いが納得できないからだその意味で老年期は思春期とまるで異なるにも かかわらず類似した自己意識をもたらすそれに対して著者は自分に言い 聞かせる自分らしく老いればいい自分の老いを育てればよい しかしこれは自分へのこだわりではない著者が見出みいだすのは あらゆる老いが夕陽ゆうひの中を静かに登っているというような老いのゆくえだ 初しい老年論である 評柄谷行人哲学者
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