おっさんのやり直し日本史を生暖かく見守るスレ (301レス)
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140: 2016/01/03(日)16:06 ID:MgY(1/4) AAS
ありがとうございます。
ギャラリーが一人でもいると励みになります。
さて、本日からは、昨年の続き。
古墳時代にはいります。
古墳時代は、ざっくりと4世紀〜6世紀の約3百年間。
このうち、4世紀は大和政権が形作られた、つまり現在につながる日本の原型が形成されたという、非常に重要時期。
にもかかわらず、文章がこのされていない。なのでどのようにどうなってきたのかよくわかっていない。
この辺りは辛いですね。「謎の4世紀」と言われているくらいですから。
この辺りは、海外の石碑や古文書、国内の遺跡、
記紀や各地の風土記、神社仏閣の口伝書などに記載されている各種神話
省9
141: 2016/01/03(日)16:12 ID:MgY(2/4) AAS
○古墳の形から、ヤマト政権の勢力の推移が見える
まず、古墳時代に入る直前、弥生時代の終わりのころ(3世紀)。
方形周溝墓、円墳、方墳など、地域によっていろいろな形が作られていました。
言い換えると、地方色が豊かだったわけです。
それが古墳時代になると、その大半が「前方後円墳」となり、一律なものになっていく。
これは、その地域の文化が統一されていったた過程であると考えられます。
もっとはっきり言います。
前方後円墳は、ヤマト政権のランドマーク、社章みたいなものです。
省4
142: 2016/01/03(日)16:21 ID:MgY(3/4) AAS
●古墳の副葬品から、集団の性質の変遷が分かる 1)騎馬
古墳時代の前期、4世紀のころは銅鏡や勾玉など、為政者の魔力を示すような呪術的なマジックアイテムが
多かったようです。
それが中期、5世紀になると、武具馬具が多くなってきた。
5世紀といえば、倭の五王のころです。
朝鮮半島の好太王の石碑によると、
>391年に百済と新羅を破って従えた倭国は高句麗と戦った。
>高句麗が勝った。
という内容の石碑があるそうです。
そこから見えてくるのが、すでに4世紀の後半には国内統一をある程度固め終えて、朝鮮半島にもガンガン進出していた倭国の
省7
143: 2016/01/03(日)16:32 ID:MgY(4/4) AAS
●古墳の副葬品から、集団の性質の変遷が分かる 2)男系の世襲
卑弥呼の時代(3世紀後半)はまだ、豪族連合の長たる大王の地位にいる者は
世襲ではなく、男子系統と決まっていたわけでもなかった。
しかし、戦乱の世が続くと、集団の優先順位においては「男の戦う力が」強く意識されるようになる。
これは古今東西人間の歴史の共通項です。
なので、次第に男系の一族世襲になっていったものと思われます。
ただし世襲といっても必ずしも親子ではなく、同母系の兄弟にバトンが渡される形になっていたようです。
当時の平均寿命の短さを考えると、先頭に立って戦える頭脳と体力を集団として維持するためには、
子どもが育つのを待っていては間に合わない、という事情があったのではないかと思われます。
●古墳の大きさの変遷から、集団の性質の変遷が分かる
省13
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