野々村元県議の今後を考える7 (992レス)
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抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん

745: 05/03(金)00:34 ID:6/b243CA0(1/10) AAS
日本を戦争するしかない状況にしたハル国務長官のハルノート、実際あれをハルノートと呼ぶにはおかしい
(実際は戦争回避もあり得る日本に憂慮したハル原案は却下され否決)
後々ヴェノナ文書でソ連コミンテルン(スパイ)とバレるH.D.ホワイト試案(日本は戦争するしかない)が可決
正確に言うならH.Dホワイト&ヘンリー.モーゲンソーjrノートと言った方が正解。
それをハルノートとして日本に突きつけた、そして、その採択に暗躍した曲者が
🇨🇳天津育ちの反日
あの太平洋問題調査会(IPR)のメンバーのオーウェン・ラティモア
(あの忌まわしい戦後の対日政策WGIP、3R5D3Sにも大きな影響を与えた組織IPR)
彼は戦後マッカーシズム(赤狩り)の最中、最大の標的となったにも関わらず
最後まで尻尾を出さなかった
省9
746: 05/03(金)00:36 ID:6/b243CA0(2/10) AAS
当時は日教組も推薦、この年、「“戦犯”を救え!」と衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が社会党・共産党を含む全会一致で可決されている。

主権回復後の日本の国会で、社会党の堤テルヨ議員の提案で、全ての戦争犯罪とされた人を救済する署名活動が行われ、
五千万人とも言われる署名で、国会で改正遺族援護法が成立、
A類〜C類の戦犯として処刑された人々を法務死として適用、戦犯から救済した
747: 05/03(金)10:55 ID:6/b243CA0(3/10) AAS
お茶をこよなく愛した徳川家康公の命により、新茶の時期に茶壺にお茶を詰め、
夏の間、冷涼な井川大日峠「お茶壺屋敷」で保管・熟成させ、
秋になると駿府城へ運び茶壺から取り出し、茶会に供された

慶長18年(1618)〜幕末の慶応3年(1867)まで250年に渡って続いた、
徳川将軍家御用達の茶を江戸城に運ぶ宇治採茶使一行を「茶壺道中」
748: 05/03(金)11:22 ID:6/b243CA0(4/10) AAS
" 穀物メジャー " でググってみなよ
日本の商社は穀物問屋の一角を握ってんだぜ
韓国とはレベチなんだわ
小麦を輸入しているのは事実だが、国内でもより良い品種を育てようと日夜研究・開発をしている。
韓国にはそれが無く、イチゴやブドウの様に日本から盗めば良いと思っている。

韓国で生ラーメンが普及しない理由でもある
小麦の品質が落ちるのででんぷん粉を混ぜるでんぷんメンは生ではラーメンっぽくならないから
油で揚げてインスタントにするしかない、生タイプ乾燥麺も無理

最低品質なのに中間業者が何重も入るので値段は最高価格になる
中間業者を減らす対策をすると失業者で溢れるからそれも出来ない
749: 05/03(金)13:36 ID:6/b243CA0(5/10) AAS
戦争中でも親の葬式のために現場を離れてもに服すのが儒教。孔子は忠孝が対立すれば孝を選ぶのが正しいとした。
750: 05/03(金)21:08 ID:6/b243CA0(6/10) AAS
日本は欧米的な肌の色とか宗教をベースにした差別が強いと思いません。むしろ欧米に比べ寛容です。一方で村社会なので同じグループに属していない日本人でも差別を受けることがあります。外国人がたまたまこの部類に入れられる人が多い。
自分の社会人生活でも体験しましたが、会社で派閥に属すれば外国人でも自分のところの派閥の人を庇います。逆に同じ日本人だろうが他の派閥の人は敵対しますので。日本の文化は地中海のパトロヌス•クリエンテスに近い。殿様がいないと守ってもらえない
個人主義が強いゲルマン、アングロサクソン文化の人は理解しにくい概念だと思います。日本にある差別問題を軽視すべきではないが、北米とは違うということを理解する必要があります。

付け加えれば大学や会社で外国人だから優遇されたことも何度もありました。日本人に比べて融通が利く場面は多々あります。外国人だから大目にみてくれる日本人たくさんいることも忘れないでほしい。国民全員ゼノフォビックみたいな言い方は失礼です。
751: 05/03(金)21:42 ID:6/b243CA0(7/10) AAS
南京城内の安定に伴い、アメリカ領事館の館員が上海から南京に向かい、
領事館を再開するという記事。こちらも南京陥落後2週間後の記事。
それであればこれ以降、南京大虐殺とやらはアメリカ領事館員が南京城内に駐在している状況下で行われたことになる。ないない。
※昭和12年12月29日付け 朝鮮新聞

南京-上海間の鉄道の再開を報じる新聞記事。南京陥落後15日間で鉄道が復旧し、
上海・南京間の交通が確保されていた。南京大虐殺とやらは南京陥落から2か月にわたって約40万人の市民が虐殺された設定になっているのだが、
市民が鉄道移動ができる状況下で可能なのだろうか。あり得ない。
※昭和12年12月29日付け 京城日報 夕刊
※昭和13年1月7日付け 朝鮮新聞 支那事変画報 
「南京についた一番列車」(写真タイトル)
省14
752: 05/03(金)22:31 ID:6/b243CA0(8/10) AAS
民主党のルーズベルトを大統領とする米国が、ソ連や中国を主要な同盟国として手を組む戦争政策をとり、
つまり、アメリカが滅ぼさなければならない敵は、ソ連や中国に代表される悪の共産主義勢力ではなく、
世界初かつ最も断固とした反共・反共国家であった日本である

GHQは1900年公安警察法を廃止し、1925年治安維持法を改正し、日本における共産主義を合法化した。

アメリカとソ連を中心とする連合国は、ジュネーブ諸条約で禁止されている火炎放射器などの兵器を戦場で日本軍に対して乱用し、他方、戦時中に国際法で明確に禁止されている
大量破壊兵器を使用して日本の民間人を虐殺するという極端な手段で「勝利」を達成した
753: 05/03(金)23:04 ID:6/b243CA0(9/10) AAS
日本軍占領下のラバウルの原住民が

『本当につらい労働だった。朝8時から休むことなく働き、10時になって初めてタバコを吸ったり用を足したりした。その後また働き始め、昼休みには昼食を取り、1時から4時まで働いた。本当につらい労働だった。
754: 05/03(金)23:22 ID:6/b243CA0(10/10) AAS
もし日本軍が本当に細菌戦をしていたら、中国人は何人残るのだろうか。 しかし、蒋介石は日記の中で、日本軍に対して細菌を2度使用したことを認めています
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