[過去ログ] 兵庫県議 野々村 政務費不正で泣き乱 (938レス)
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34: 2023/11/06(月)23:05:43.53 ID:vqPx4u6q0(8/8) AAS
オランダ時代の台湾と日本人については、長崎代官・末次平蔵の朱印船船頭であった
浜田弥兵衛とオランダ長官のヌイツとが争った事件が有名だろう。
これは1625年、朱印船の輸出税課税をめぐる紛争から、渡台してきた浜田弥兵衛を当時の台湾長官が監禁したことで事が大きくなった。
浜田はその逆襲として、28年に長官ヌイツを台湾に監禁、人質としてその息子5人を平戸まで連行し、
幕府にオランダ平戸商館を閉鎖させた。さらに、オランダが有する台湾の城塞引き渡し、または破壊を要求。
結局、オランダ商館は青銅の灯篭を日光東照宮に献ずることで一事をしのいだが、江戸幕府とオランダのバタビア政府との間に残ったしこりは、和解まで10年もかかった

宮古島の朝貢船が暴風に流され、遠く台湾東南部の八瑤湾に漂着したことからはじまる。そこには、原住民のパイワン族が住んでおり、
彼らは日頃から略奪や虐殺を繰り返す支那人を目の敵にしていた。そこへ琉球人が漂着したため、彼らは支那人と間違えて襲いかかり、54人も殺してしまったのである。

清国側は、日本は中国と同文同種であるから、皇帝の前に出たいなら中国人同様に、まず「跪拝の礼」(ひざまずいて礼をする)をしてから用件を述べるべきだと要求。
しかし副島は、「跪拝の礼」とは属国が宗主国に対して行うことであり、日本と清国はそういう関係にあらず、ときっぱりと断った。
省4
103: 2023/11/12(日)16:58:10.53 ID:HMvqBiYy0(10/10) AAS
松前家は他大名から嘲笑の意味も込めて「蝦夷大王」と称されていた。しかし実際には、松前藩は土地を有せず、アイヌとの交易によって生計を立てる、商人国家だった

アイヌは和人に一方的に収奪されていたわけではなく、その居住地においては自らのルールに則って生活していた。
和人はアイヌの領域においてはその慣行を尊重せざるを得なかった。アイヌのルールに違反した和人はツグナイと称してタカラをとられた。

アイヌは不利な交易を押し付けられていたとか、漁場で過酷な労働を強いられたというのは客観的根拠に乏しい神話。漁場の開設がアイヌから感謝された例、
アイヌからの懇請によって交易所が設置された例がある。

幕府の役人たちはアイヌの素朴な生活を美風とみなし、またアイヌを日本に同化すべき存在と考えた。
また、松前藩がアイヌを教化しないのは、その方がアイヌを収奪しやすいからであると考え松前藩に不信感を抱いていた。また、幕府の上層部は蝦夷地への度重なるロシア人の到来に危機感を覚え、松前藩ではなく幕府が蝦夷地を直接支配するべきであると考え始めた。ナショナリズムのはじまりである。
119: 2023/11/14(火)14:53:56.53 ID:8tItf8L00(9/17) AAS
問題となっている清朝の国債は王朝崩壊前年の1911年、中国沿岸部の浙江省杭州市と内陸部の四川省間の2000キロを鉄道で結ぶ建設プロジェクトを実施する目的で、米、英、仏、独の4カ国から資金を募るため発行された。発行額は当時の金額で600万ポンド。
各国は銀行などを通じてこの国債を販売したが、翌年に清朝崩壊の原因となった辛亥革命が成功したことで、返済の望みが途絶え、価値がなくなったという。
しかし、米テネシー州の牧場経営者、ジョナ・ビアンコ氏は祖父から受け継いだ国債について、「祖父や父母は清朝が滅亡してしまったことや、その後アメリカと中国の国交の途絶えた時期があったことから、誰にも訴えられず、泣き寝入りするしかないとこぼしていた
デューク大学の法学者は「法的にみれば、清王朝が残した債務は完全に合法だ。現在の中国政府はこれらの債務について、1949年より前の中華民国政府が責任を負うと主張しているが、中国共産党政権が自らを『中国の主権の唯一の継承者』だと主張している点と矛盾する」と指摘しているという。
すでに、米国内の債権者は米中関係が改善していた1979年、中国当局に債務返済を求める訴訟を起こし、裁判所は当時の中国外相だった黄華氏を証人として召喚した。
しかし、この年に米中国交正常化が実現しており、米政府は対中交渉を優先して司法省に圧力をかけたことから、同省が両者の和解を求めた結果、裁判所は1987年、原告側の訴えを退けている
266: 2023/12/01(金)16:59:29.53 ID:LB3kD/ze0(13/19) AAS
「目的はパリ、目標はフランス軍」
ナポレオンと戦ったプロイセンの軍人クラウゼヴィッツの言葉
目標は目的とは異なる。
341: 2023/12/09(土)14:04:43.53 ID:ypWR1ypa0(5/13) AAS
評論家の川本三郎は、本作が発表された時期には、現在の東京一極集中に通じる、地方と東京の大きな格差が生まれていて、桐子の大塚弁護士に対する恨みの背景には、地方出身者の東京に対する恨み(と強い憧れ)があると指摘
659: 01/07(日)11:35:46.53 ID:QvsNxKCX0(5/11) AAS
明治維新前は日本の外交権を代表する大君(徳川将軍)と朝鮮国王は対馬藩主を通じて彼比対等の礼をとり交隣の関係と称してきた

天皇親政を伝えるものであったため,〈皇〉〈勅〉などの文字を用いていた。ところで朝鮮は清の属国とされていたので,〈皇〉〈勅〉は朝鮮にとって清の皇帝とその命令を意味するものと考えられていた。
その結果,大院君政権は,日本がこれらの文字を使用したのは従来の交隣関係を破棄して朝鮮の上に立とうとすることを示したものとして,書契の受理を拒絶した。いわゆる書契問題である

朝鮮に開国を迫ったのは日本だった。1868年12月、明治政府は王政復古と新政府成立を通告する外交文書を朝鮮に送った
文書の中に天皇の「皇」や「勅」の文字があったので、これらの文字は清の皇帝が用いるもので書契の格式に違反するとして受け取りを拒否した。朝鮮が清を宗主国としているためであった。
 日本ではこの書契問題によって朝鮮が国書を受けとらないのは無礼である、という論調が強まった。中には木戸孝允のように武力に訴えてでも朝鮮に開国を迫るべきである、という意見も現れた
西郷隆盛は次第に士族の不満の捌け口として征韓もやむなし、と考えるようになり、いわゆる征韓論が台頭した。それに対して岩倉使節団として外国視察で世界情勢を観てきた大久保利通らは征韓は時期尚早と考え、
征韓論に反対、両派の対立はやがて1877年の西南戦争

新国家の国際的権威を確立するためには、中国や朝鮮に対して優位な状況を作るべきであり
領土拡張におる国威発揚の姿勢は、早くも1874年5月の台湾出兵に現れている。
省7
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