[過去ログ] 朝日新聞とCIA [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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(1): 2015/12/26(土)22:03 ID:kfg0RbvY0(1) AAS
緒方竹虎(主筆)および、笠信太郎(論説主幹)など、
米国情報機関と朝日新聞との歴史的な関係
2: 2015/12/26(土)22:08 ID:XGbgxTTs0(1) AAS
※暗号名「ポカポン」だった緒方竹虎
※論説主幹として「朝日の顔」になった笠信太郎
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org671745.jpg
3: 2015/12/26(土)22:11 ID:GJWUdj1b0(1/2) AAS
新潮45 2014年9月号(2014/08/19発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20140819/
【昭和秘史発掘】
「スイス終戦工作」空白期間の謎/有馬哲夫
 2 ダレスは何をしていたか

「スイス諜報網」の日米終戦工作: ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか (新潮選書)
有馬 哲夫  (著) 出版社: 新潮社 (2015/6/25)
http://www.amazon.co.jp/dp/4106037726
4
(1): 2015/12/26(土)22:17 ID:xZrmwute0(1/2) AAS
スイス発緊急暗号電 笠信太郎と男たちの終戦工作
坂田 卓雄  (著) 出版社: 西日本新聞社 (1998/09)
http://www.amazon.co.jp/dp/481670468X
幻の終戦工作 ピース・フィーラーズ 1945夏 (文春新書) 
竹内 修司  (著) 出版社: 文藝春秋 (2005/7/20)
http://www.amazon.co.jp/dp/4166604546
ドクター・ハック: 日本の運命を二度にぎった男
中田 整一 (著) 出版社: 平凡社 (2015/1/23)
http://www.amazon.co.jp/dp/4582836801

藤村義一(ふじむらよしかず)  スイス和平工作の真実 (第一部)
省12
5
(1): 2015/12/26(土)22:21 ID:ASPtO9pg0(1) AAS
秘密のファイル(上) CIAの対日工作
春名 幹男 (著) 出版社: 株式会社共同通信社 (2000/03)
http://www.amazon.co.jp/dp/4764104539

秘密のファイル CIAの対日工作(上下)/春名幹男2007年 03月 31日
http://nikdec160kidoku.exblog.jp/5101368/
CAI東京支局?
2009/3/2(月) 午前 3:51
http://bldec160ogs.yahoo.co.jp/mina_hide2/11443350.html

CIA退職金で始めた「壁の穴」の秘密[春名幹男「国際情報を読む」]
http://asumaken.blog41.fcdec1602.com/blog-entry-7112.html
省10
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(1): 2015/12/26(土)22:25 ID:GJWUdj1b0(2/2) AAS
CIA、自民に数百万ドル援助 50-60年代 左翼の弱体化狙う
http://www.asdec160yura2.com/0401/dispute16/msg/413.html

2014/10/15
【政治】自民党、新情報機関創設を検討・・・アメリカのCIA(中央情報局)やイギリスの対外情報機関(MI6)の活動状況について調査
2chスレ:newsplus

348 名前:名無しさん@0新周年@転載は禁止[sage] 投稿日:2014/10/16(木) 04:48:29.09 ID:l7KyxgeO0
初代CIA東京支局長であったポール・チャールズ・ブルームと、彼に執事として雇われた成松孝安の奇妙な
出会いについて紹介。ブルームは、自宅で毎月著名人を集めた夕食会「火曜会」を開催、中でも、
・笠新太郎(朝日新聞論説主幹)
・松本重治(国際文化会館理事長)
省16
7
(2): 2015/12/26(土)22:26 ID:xZrmwute0(2/2) AAS
2009/07/24
【社会】「日本版CIA」が50年代に構想されていた…緒方竹虎が米側と接触
2chスレ:newsplus
2009/07/26
【CIA】緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析
2chスレ:wildplus

緒方竹虎とCIA アメリカ公文書が語る保守政治家の実像 (平凡社新書)
吉田 則昭  (著) 出版社: 平凡社 (2012/5/20)
http://www.amazon.co.jp/dp/458285639X
8: 2015/12/27(日)20:22 ID:BLfDUE4L0(1/31) AAS
URL修正

>>4
2015/08/16
【戦後70年】スイス公使の謎の電報、米英方針確認? 終戦決断、根拠の一つか(c)2ch.net
2chスレ:newsplus

>>5
秘密のファイル CIAの対日工作(上下)/春名幹男2007年 03月 31日
http://nikkidoku.exblog.jp/5101368/
CAI東京支局? 2009/3/2(月) 午前 3:51
http://blogs.yahoo.co.jp/mina_hide2/11443350.html
省10
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(12): 2015/12/27(日)20:24 ID:BLfDUE4L0(2/31) AAS
新潮45 2014年9月号(2014/08/19発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20140819/
【昭和秘史発掘】
「スイス終戦工作」空白期間の謎/有馬哲夫
 2 ダレスは何をしていたか

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ベルリンから一時的に姿を消したダレスは、「天皇制存置」のため動いていた。
そして「和平工作」の人脈はCIAと戦後日本の関係として生き続けていく。
10: 9 2015/12/27(日)20:25 ID:BLfDUE4L0(3/31) AAS
 藤村義朗海軍中佐がスイスの首都ベルンから本国外務省に暗号電報を打って早期和平を呼びかけたとき、相手方のアレン・ダレス
(のちのCIA長官)はすでにOSS(戦略情報局、大統領直属の諜報機関)も辞め、スイスのベルンを去っていた。藤村はダレスがいない
「ダレス機関」と交渉していたのだ。そのことが露見することを恐れた藤村は、実際よりも一か月ほど前倒しして、ダレスがまだベルン
にいた5月に本国に和平の呼びかけを始めたとする「ストーリー」を作り上げ、それが雑誌記事やテレビドキュメンタリーを通して
戦後広まることになった。だが、様々な歴史資料により、今日この藤村終戦工作「ストーリー」は歴史的事実とはかなり違っていることが
明らかになっている。ここまでが、前回に述べたことだ。
 そうすると、当然ながら次のような問いが浮かんでくる。藤村と和平交渉を始めたばかりだというのに、なぜダレスはベルンを
去ったのだろうか。…

 7月21日にスイス公使加瀬俊一が本国の東郷茂徳外務大臣宛に打った電報のオリジナル(これも傍受されて同日付
マジック文書になっている)にも次の部分がでてくる。
省5
11: 9 2015/12/27(日)20:26 ID:BLfDUE4L0(4/31) AAS
 …
 実は木戸幸一内大臣が6月9日に天皇に提出した「時局収拾ノ対策試案」の第一項目「敵側の所謂平和攻勢的の諸発表諸論文
により之を見るに、我国の所謂軍閥打倒を以て其の主要目的となすは略[ほぼ]確実なり」という判断は、ザカライアスのとくに
第3回目から5回目(5月19日〜6月2日)にかけてのプロパガンダ放送から得られたものだった。これらの放送で、ザカライアスは、
軍閥の犯した過ちとその責任にのみ言及し、天皇および天皇制には一言も触れなかった。
 ザカライアスは二十年から5年間日本にいたことがあり、帰国後も皇族や政治家やジャーナリストと親交を続けていた。このため、
彼のプロパガンダ放送は、彼と知り合いの日本人の重要人物に直接話しかけるという、珍しい形をとっていた。
 彼もまた、海軍やOSSから得ていた情報から、日本は天皇制さえ残せば降伏するという感触を持っていた。だから彼はプロパガンダ放送
で天皇および天皇制にまったく触れなかった。触れれば、日本人はアメリカ側が天皇制を問題視していて、廃止するつもりだと判断し、
「一億玉砕」の決意をいっそう固くするからだ。
省10
12: 9 2015/12/27(日)20:27 ID:BLfDUE4L0(5/31) AAS
 …

 原爆実験成功で消えた降伏案

 7月初旬、スイスで北村、吉村たちが、和平の動きを起こしていた。OSS文書を読むと、実は彼らは早くも3月にこのような動きを
起こしていたことがわかる。その後、東郷外務大臣の訓電を受けて五月初めに加瀬がOSSに接触して和平の条件を探っている。
藤村の和平を求める動きは、実は三番手だったのだ。
 この時の北村たちの動きが前と違っていたのは、陸軍中将の岡本も加わっていて、彼らをスイス公使の加瀬がバックアップする
というオールジャパン的なところだった。だからダレスももう一度やってみる価値があると考えたのだろう。…

 北村、吉村、岡本が7月初旬になって和平の動きを起こしたのは、ポツダム宣言へ向けての日米の動きが彼らに伝わっていたからだ。
 7月7日、トルーマンらアメリカ代表団が巡洋艦オーガスタに乗ってポツダムに向けて出航していた。同じ7月7日、
日本のソ連相手の終戦交渉のほうも予想以上の急展開を見せていた。
省4
13: 9 2015/12/27(日)20:28 ID:BLfDUE4L0(6/31) AAS
 スイスの日本人たちは、ポツダム会議へ向けての切迫した動きが伝わってくるにつれて、もはやいてもたってもいられなくなっていた。
 注目すべきは、それまでは藤村の黒子役に徹していた朝日新聞特派員の笠信太郎も、7月9日に公使館の暗号機を借りて外務大臣
東郷宛てで、当時内閣顧問となっていた緒方竹虎に送付するよう依頼する電報を打ったことだ。これは7月14日付マジック文書
となっている。
 内容は、ソ連が参戦することを予想し、この上本土上陸が行われるならば、戦争末期のドイツと同じ惨状が繰り広げられることに
なると警告し、最低限の権利を守ったうえで和平を結ぶべきだと勧告していた。アメリカ側は笠が緒方のほかに近衛などに通じている
ということで、この電報に注目した。
 しかし、この電報は外務省には届いたが緒方のもとには届けられなかった。日本の外交史料館に残る同電報の余白には
「配布せず」と鉛筆書きしてある。
 すでにソ連を介しての米英との和平交渉を開始していたのだから、ソ連の参戦に言及したこの電報が無視されたのは仕方なかった。…
省1
14: 9 2015/12/27(日)20:29 ID:BLfDUE4L0(7/31) AAS
 …
 …
 実は、東郷を動かしたのは、駐ソ連大使佐藤が7月30日付で打った電報だった。この電報は次のように同日加瀬が東郷に打った
電報に言及しつつ、東郷にポツダム宣言の即時受諾を促している。…

…加瀬の30日の東郷宛の電報は、吉村の、ヤコブソン経由のダレスの、情報に基づいていたのだ。そして、それが佐藤と東郷を動かし、
8月10日の最高戦争指導会議での条件付ポツダム宣言の受諾へと導いた。

 天皇の確信

 さらに重要なのは岡本が天皇に与えたインテリジェンスだった。8月12日、日本側が8月10日に送った条件付きポツダム宣言受諾に
対する回答が返ってきた。それは以下のようになっていた。…

…だが、ポツダム宣言よりは妥協的だと読める。だが、それでも天皇制存置を保証しているのかどうかは明確だとはいえない。
省13
15: 9 2015/12/27(日)20:30 ID:BLfDUE4L0(8/31) AAS
 「クラウン・ジュエル作戦」

 ところで、これまでみてきたように、終戦工作で中断されることになったが、そもそも、ダレスはウィースバーデンで何をして
いたのだろうか。
 最近のドイツでの研究からわかってきたことは、彼が「占領地高等弁務官」として行っていたのは、ナチスの戦争犯罪者を
ニュルンベルク裁判にかけるための調査や証拠集めだったということだ。
 OSSの活動を通じて、ナチスの上層部の戦争犯罪をよく知っているのでダレスは適任だと思われていた。だが、ドイツの研究者は、
ダレスが証拠を集めるというよりは、隠蔽し、隠滅していたと非難している。
 たとえば、北イタリア駐留ドイツ軍親衛大将カール・ヴォルフは、反ナチスレジスタンスの捕虜虐待や虐殺に手を染めていたが、
ダレスと交渉して無血降伏したからには、彼の戦争犯罪を免責しなければならない。これはかなり大がかりな「工作」だった。
 これと関連してダレスが行っていたのは、「クラウン・ジュエル作戦」だった。これは非ナチスのドイツ人有力者のリストを
省9
16: 9 2015/12/27(日)20:31 ID:BLfDUE4L0(9/31) AAS
 妹の記述から、ダレスがコルビーをドイツ語の、サーモンをフランス語の通訳兼交渉係として、戦争裁判の証拠集め、証拠隠滅、
「クラウン・ジュエル作戦」の遂行にあたっていたことがわかる。
 これもドイツ側からの研究でわかったことだが、ダレスはこの作戦の対象を非ナチスのドイツ人に限定しようとしたが、
その影響力の大きさや地位の重要性から、ナチス党員や協力者もリストに入れるケースがあった。
このようなケースにラインハルト・ゲーレンも含まれていた。
 ゲーレンは対ソ連インテリジェンスを行ったドイツ陸軍参謀本部東方外国軍課の課長だった。彼はドイツ崩壊後、南ドイツの山に
潜伏していたところを、アメリカ軍のCIC(防諜隊)に捕らえられていた。だが、CICはゲーレンが何者かわからず普通の
ドイツ兵捕虜としてミュンヘンに近いフィッシュハウゼンの監獄に入れていた。
 コルビーの情報から、彼が終戦に備えて何万枚にもなる対ソ連情報資料を保管していることを知ったアメリカ軍のG2部長
(ヨーロッパ戦線)のエドウィン・シバートは、彼を他の戦争犯罪容疑者から引き離して、ダレスがいたウィースバーデンに移送し、
省7
17: 9 2015/12/27(日)20:32 ID:BLfDUE4L0(10/31) AAS
 では、スイスの日本人に対しては日本版「クラウン・ジュエル作戦」は行われたのだろうか。8月19日付のマジック文書は
北村と藤村が次のようにOSSスイス支局に申し出ていたことを明らかにしている。
「北村も藤村もヤコブソンとダレスを通じて築いたワシントンとのチャンネルを維持したいといっている。彼らはスイスにいる
米国人の誰かが任命されて、自分達と非公式に連絡を取れるよう望んでいる。こうすれば東京も外国からの視点を得られるし、
米国人にとっても役立つだろうということだ」
 OSS文書、国務省文書(アメリカ国立第二公文書館所蔵)、アレン・ダレス文書(プリンストン大学シーリー・マッド稀覯文書図書館
所蔵)は、ダレスのOSSスイス支局時代の部下ポール・ブルームが47年春まで駐スイス公使館に勤務したあと、同年7月に日本に
やってきて表向きGHQの外交局に勤務していたことを明らかにしている。
 ブルームの著書『ブルームさん!』によれば、彼は自分が日本に来ていることをまず笠に教えている。そして、笠が帰国後しばしば
会っていた藤村に、ブルームが日本に来ていることを伝えている。これ以降、ブルームと藤村は頻繁に接触することになる。
省3
18: 9 2015/12/27(日)20:33 ID:BLfDUE4L0(11/31) AAS
 朝日新聞とCIA

同じく48年ころからブルームは、蝋山政道、前田多門、東畑精一、松本重治、松方三郎、浦松佐美太郎、佐島敬愛など
日本の指導的知識人を集めて英語で座談させる火曜会を主催し始めた。49年の秋からは、それまで帝国ホテルで開かれていた
この会合を、藤村に見つけさせた渋谷区神山町の旧鍋島藩邸に移して行うようになった。この会合のもう一人の主催者は、
かつてベルンにいた笠だった。彼は、ブルームが東京にやってきた少しあとの48年朝日新聞に復帰し、
翌年論説主幹に大出世している。
 藤村が『GHQ歴史課陳述録』で語ったところによれば、そもそもベルリンの海軍武官室にいた小島秀雄海軍少将にスイスに来て
終戦工作を行うよう促したのは、ハックと笠だった。小島がスイスに入国を拒否され、藤村が代わりに行くことになったときも、
藤村はハックと笠を便りにベルリンからスイスへ脱出している。
 実は笠がスイスに来る以前に、朝日新聞チューリッヒ支局の駐在員となっていた田口二郎と笹本駿二がOSSの接触を受けていた。
省6
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(1): 9 2015/12/27(日)20:34 ID:BLfDUE4L0(12/31) AAS
 CIA文書野村吉三郎ファイル(アメリカ国立第二公文書館所蔵)は、54年に野村が参議院補欠選挙に出身地の和歌山県から
出馬したとき、CIAが関与したことを明らかにしている。そのとき野村選挙事務所の金庫番を務めたのはなんと藤村だった。
そして、彼の同居人のブルームが、野村に当選を祝う手紙を書いている。野村とブルームを結び付けたのは藤村だったとしか思えない。
野村はこのあとアメリカ側の援助を得て、彼の悲願の日本海軍再興、つまり海上自衛隊の創設を成し遂げる。
 さらには、CIA文書緒方竹虎ファイルも、緒方が戦後CIAからポカポンという暗号名を与えられていたことを示している。
緒方は52年の総選挙で当選し、内閣官房長官になったあと、内閣官房調査室を拡大して日本版CIAにするためにダレスに接近し、
秘密資金を得ていた。だから暗号名がついているのだ。その反対給付は、日本で傍受された共産圏の無線放送の内容、
日本人引揚者から得た共産圏についての情報、日本の政治情勢についての情報の提供だった。
 緒方は中国通で、終戦期に繆斌工作(同名の中国人を使った終戦工作)を行い、戦後も国民党と密に接触していたが、
アメリカとのコネクションは弱かった。その緒方とCIAを結び付けたのは、誰だったのだろうか。
20: 9 2015/12/27(日)20:35 ID:BLfDUE4L0(13/31) AAS
 笠は、藤村や津山重美や北村などに、つねづね自分がスイスで終戦工作に関わったことを口止めしていた。
「ダレス第一電」が評判になって以来、終戦工作を行ったことは、賞賛されこそすれ、非難されることはなかった。
なのになぜ、笠はそのことを隠そうとしたのだろうか。
 同じことはダレスの側にもいえる。ダレスは「サンライズ作戦」については、細大もらさず明らかにして一冊の本まで出しているのに、
スイスの終戦工作については、不自然なほど寡黙だった。
 笠がスイスの終戦工作について、なにも語らず、人にも語らせないのは、ダレスと関係があったことを知られたくなかったからからだろう。
 また、ダレスがスイスの終戦工作について語りたがらないのは、スイスにいた日本人との関係が、戦後になっても続いていて、
しかもそれが重要だったからだろう。ダレスはブルームを通じて「クラウン・ジュエル作戦」を日本でも実施していて、
彼がCIA長官になった53年以降、その成果を享受していたのだ。
 1960年安保で岸信介が窮地に陥ったとき、在京七社に呼びかけて6月17日の朝刊の第一面に
省5
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