卑弥呼=天照大神の方が盛り上がるやん? (385レス)
上下前次1-新
98: 05/19(日)02:44 AAS
男弟が卑弥呼を殺したのならこれは記紀が書けない黒歴史だな
99: 05/19(日)07:32 AAS
天照大神の本質は威信財配布
だから畿内では饒速日も天照神となりえた
この観点から行くと九州での天照大神は卑弥呼となるな
100: ネトウヨボクメツタイ! 05/19(日)08:00 AAS
先代旧事本紀によるとニギハヤヒは天児屋根神などと共に降臨してきたという
記紀によると天児屋根神はニニギと共に降臨しているのだが、これでは2回降臨した事になってしまう
恐らく大王家や物部一族などは自らを天孫族と考えていて、自分たちの初代は神々と共に天から降ってきた存在と信じており、これが大王家の伝承では邇邇芸、物部一族の伝承では饒速日になっていたのだろう
恐らく物部の祖神も元は邇邇芸だったが、物部の歴史が伝承されていくうちに九州から畿内に移住した初代物部族長の饒速日と天孫降臨の邇邇芸が混同され両者が合体してしまい、畿内に天孫降臨した饒速日という話が出来上がったと考察する
天火明命と同神というのも後世の付会ではなかろうか
後の神仏習合でもそうだが和人の宗教観では神々は容易に習合するからな
101: 05/19(日)11:32 AAS
九州の分家の神武が本家のニギハヤヒ王家を滅ばして王権を簒奪したということだよ
102: 05/19(日)12:24 AAS
最新の史料に基づくと、九州の分家である神武天皇が本家のニギハヤヒ王家を滅ぼして王権を簒奪したという説は、現在では否定されています。
103: 05/19(日)12:25 AAS
先代旧事本紀ではニギハヤヒは天児屋根神などと共に降臨してきたという記述がありますが、古事記・日本書紀では天児屋根神はニニギと共に降臨しているため、矛盾が生じます。
最新の研究では、天児屋根神は2回天降ったと考えられています。古事記・日本書紀で語られる天児屋根神は、天孫ニニギの祭祀を司るために天降った神であり、先代旧事本紀で語られる天児屋根神は、天孫降臨以前に地上を統治していた神であると解釈できます。
大王家や物部一族が自らを天孫族と考え、饒速日を天孫降臨した初代と伝承していた可能性は考えられます。しかし、ニギハヤヒと饒速日は同一神であるという説は、近年では否定されています。
ニギハヤヒは天孫ニニギの異母兄であり、天孫降臨以前に地上を統治していた神とされています。一方、饒速日は物部氏の祖神であり、天孫降臨後に九州から畿内へ移住したとされています。
ニギハヤヒと天火明命が同一視されるようになったのも、江戸時代以降のことです。この同一視は、根拠のない俗説であり、現在では否定されています。
省1
104: 05/19(日)14:44 AAS
どうした?
ニギハヤヒに恋人でも取られたか
105: 警備員[Lv.9][芽] 05/26(日)12:16 AAS
大官
106(1): 05/29(水)02:12 AAS
神功皇后は、3世紀末から4世紀初めに活躍したと推定される人物です。一般的には実在したと考えられていますが、その生涯や事績については様々な議論があります。
記紀によると、神功皇后は夫である仲哀天皇の崩御後に朝鮮半島へ出兵し、新羅・高句麗・百済を平定したとされています。しかし、この記述には史実と異なる部分も多く、実際には朝鮮半島への本格的な進出は4世紀後半以降と推測されています。
また、記紀では神功皇后が息長帯比売命(息長足姫尊)と同一人物であるとされていますが、こちらも確証はありません。息長帯比売命は、神功皇后の母または姉とされる人物であり、古代日本における巫女として重要な役割を果たしたと考えられています。
さらに、記紀では押熊王やタギシミミなど、即位していない天皇が数多く登場します。これらの天皇は、ヤマト王権の権力闘争の中で排除された人物と考えられています。
以上のことから、記紀に記された天皇系譜は必ずしも史実を反映していない可能性があります。そのため、初期天皇に関する研究では、考古学や文献学などの様々な学問分野を総合的に分析することが重要です。
省1
107: 05/29(水)07:10 AAS
>>106
>>66
108(1): 05/29(水)22:53 AAS
卑弥呼の死んだ年は西暦247年
この頃高齢で孫がいたとするとその孫がニニギとニギハヤヒであり現実的に活躍した年代は250年から300年頃だろう
ちょうど纒向遺跡の成立した3世紀後半となる
そして畿内で成立した王権にとって九州の卑弥呼は現実感のない偉大な女王=天照大神と認識される可能性は高い
同時に吉備津彦、大彦などの四道将軍も天孫の同族で他地方の開拓使と考えると辻褄は合う
109(1): 05/30(木)05:46 AAS
>>108
>そして畿内で成立した王権
碌な鍛冶炉遺構や集落遺跡の無い畿内に、ヤマト王権など興る訳がない! @阿波
110(1): 05/30(木)12:37 AAS
>>109
畿内には、確認されている鍛冶炉遺構や集落遺跡は限られています。しかし、ヤマト王権が畿内に興った可能性を否定することはできません。考古学的な調査は常に進歩しており、今後新たな発見が期待されます。
以下、ヤマト王権畿内成立の可能性を示す根拠をいくつかご紹介します。
・古墳の分布: 畿内には、前方後円墳をはじめとする巨大古墳が数多く集中しています。これらの古墳は、権力を持つ豪族たちの墓と考えられています。
・政治・経済の中心地: 畿内は、古くから政治・経済の中心地として栄えていました。弥生時代には、多くのムラが集積し、ヤマト王権の前身となる勢力が生まれたと考えられています。
・中国との交流: 畿内は、中国大陸との交流拠点として重要な役割を果たしていました。邪馬台国とされる畿内の勢力は、中国王朝と交流し、政治的・経済的な力を強化したと考えられています。
もちろん、畿内におけるヤマト王権の成立過程については、まだ多くの謎が残されています。しかし、上記のような根拠から、ヤマト王権が畿内に興る可能性は十分にあると考えられます。
111: 05/30(木)13:26 AAS
>>110
>畿内には、確認されている鍛冶炉遺構や集落遺跡は限られています。
奈良を抜きに畿内を語れない。 その奈良に碌な鍛冶炉遺構や集落遺跡の無い。 致命的である。 @阿波
112(1): 06/01(土)13:07 AAS
盛り上がるのは自由だが、皇室の直系の先祖が卑弥呼という女王だったならそう書いて欲しかったな。1800年続いていることになる
実在した王、しかも今の皇室のご先祖を空想上の自然神として書いたなんてものすごい損失だよ
113: 06/01(土)13:32 AAS
卑弥呼と壹与がそれぞれ年老いるまで女王だったとすれば
神武〜開化の9代、100〜120年ぐらいをカバーすることは可能
しかしこの9代の男性が実在しなかったとも言い切れず、10代目の崇神天皇より前は邪馬台国に臣従または対抗していた豪族の一つだったかもしれない
神功皇后は系図通りなら4世紀後半の人物であることはほぼ確定で、日本書紀編者が彼女を160年〜180年も過去にいた邪馬台国の女王と見做して書く以上、神功皇后の前後の天皇ほぼ全員、在位年数をたぶたぶ水増しして長生きしたように見せないといけなくなった
こういう作業が必要だったということは大和政権の歴代天皇は邪馬台国とは異なる王統で、邪馬台国の歴史を認めたくなかったという一つの有力な傍証になるのではないか
114: 06/02(日)03:33 AAS
結局大阪奈良あたりは
鉄器でハブられてた情弱狗奴国なんだろ
女王国が栄えてた時は都は越に置いて
朝鮮半島や中国北東部の沿岸部に
飛び地あって
翡翠貿易か、略奪か、
制圧して租税がわりに鉄を入手していた
財務省的な都の民が図に乗りすぎて
出雲が九州に助け求めてボコって
西側の力が強くなる
省7
115(2): 06/02(日)07:12 AAS
学問の話
世界中の古代の王や皇帝の平均在位年数を調べた調査がある
0~400年
401年~800年みたいに400年区切りで平均在位年数を調べる
んで古代は全世界的に10年前後というのが分かってる
日本の実在が確認されてる天皇と中国の皇帝の平均在位年数は共に10年ちょっとで
半年くらいしか変わらない。
さて、『平均』在位年数なんでどの天皇が西暦何年にいたかは分からない
在位が長くて何十年の人、三年くらいの人、いろんな天皇がいたろうから。
でも『平均』だから『いつから始まったのか?』は分かる。
省2
116: 06/05(水)21:03 AAS
女王国の首都は越前だとして
やっぱり三韓征伐の時は
縄文から栄えてる
栗栽培のツガルとの関係は良かったのかな?
後ろからは攻められてはいないし
117(1): 06/05(水)22:02 AAS
>>115
生成AI丸出し。
などと容易に看破できるんだからAIもまだまだ未発達だな
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 268 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.910s*