【新田楠木】後南朝スレ4【西陣南帝】 (258レス)
上下前次1-新
36: 04/29(月)04:59 AAS
ちょう
37: 04/29(月)05:46 AAS
すー
38: 04/29(月)16:08 AAS
つー
39: 04/29(月)17:17 AAS
いそら
40(1): 04/29(月)21:06 AAS
かくしげい
41: 04/29(月)21:14 AAS
>>31-40
支援感謝。
42: [age] 04/29(月)21:15 AAS
おっと、age。
43: 04/30(火)16:37 AAS
なぽりたん
44(1): 05/01(水)22:26 AAS
>>31 結構記録されてるな。
禁闕の変(きんけつのへん)は、室町時代の嘉吉3年9月23日(1443年10月16日)
『看聞日記』嘉吉3年2月20日条)
『建内記』嘉吉3年2月25日条)
相国寺常徳院の禅僧(『康富記』)
『東寺執行日記』嘉吉3年9月23日条
『斎藤基桓日記』
(『師郷記』)
(『大乗院日記目録』)
(『十津河之記』)
45: [age] 05/02(木)01:11 AAS
『妙法寺記』明応八年条
此年霜月、王、流されて三島へ付き玉ふ也。
早雲入道諫て、相州へ送賜也。
46: 06/05(水)12:42 AAS
後醍醐天皇(建武政権)は、自ら武家社会を統括するならば、鎌倉幕府が認定した土地所有関係を継承した上で、倒幕に功績のあった者に新たに恩給を与えるべきであった。武家社会運営の難しさと複雑さを理解しないまま、公武合体政権を軽々につくり上げてしまったのではないだろうか。源頼朝や執権北条氏がどれほど苦労したかを理解していれば、このような軽率な行動は取らなかったはずである。
47: 06/11(火)08:51 AAS
後醍醐天皇の突出した個性が、その後の長い混乱の一因となった可能性はあるな
48: 06/18(火)23:01 AAS
結局、後南朝って何をしたかったんですかね…?
49: 06/21(金)01:02 AAS
楠木正成、忠臣として歴史にその名を刻む
江戸時代、儒学の影響を受け南朝正統論が興隆。楠木正成は忠臣の象徴として再評価される
長らく議論が続いてきた「南北朝正閏論」。どちらの朝廷を正統とするのか、意見が対立していました。しかし、江戸時代になると儒学の影響を受け、南朝正統論が盛んになります。そして、後醍醐天皇のために命を懸けた楠木正成は、忠臣の代表として再評価されることとなったのです。
各地で楠木正成への祭祀が実施され、尊王思想の広まりにも影響
この再評価は大きな影響を与えました。各地の藩では楠木正成を祀る祭祀が実施され、尊王思想が盛んになり、後の明治維新へと繋がっていくのです。(春山明哲「靖国神社とはなにか -資料研究の視座からの序論-」『国立国会図書館月刊誌レファレンス』666号、2006年7月)
水戸黄門こと徳川光圀、湊川神社に墓碑を建立
この動きの中で、重要な役割を果たしたのが、水戸黄門として知られる徳川光圀です。南朝正統論を唱え、『大日本史』を編纂した光圀は、楠木正成を深く敬い、1692年に湊川神社に墓碑を建立しました。その後も墓域は整備され、楠木正成は忠臣の象徴として人々の崇敬を集める存在となっていくのです。
50: 06/21(金)01:08 AAS
南北朝正閏論:歴史学者による解説
はじめに
本書『日本歴史解禁』から、第4編「建武中興と南北朝」第10章「南北朝正閏の論」を取り上げ、現代の言葉でわかりやすく解説します。
南北朝正閏論とは何か
南北朝正閏論とは、14世紀に起きた南北朝時代に、どちらの朝廷が正統な天皇家なのかを巡る議論です。
北畠親房の神器論
南朝側の論客である北畠親房は、『神皇正統記』を著し、神器の所在こそが皇位の正統性を示すと主張しました。しかし、その論理は学問的には根拠が弱く、インチキであると批判されています。
武力と理論の戦い
武力面では南朝が優勢でしたが、理論面では北朝が劣勢でした。神器論は北朝にとって不利な論点であり、皇位継承問題についても明確な論理を打ち出せませんでした。
省8
51(1): 06/21(金)02:12 AAS
こんな場末までAI荒らしかよ。
52(1): 警備員[Lv.34] 06/22(土)11:37 AAS
南朝を正統としたのは日本の歴史の汚点だね
北朝正統でよかった
53: 06/23(日)00:21 AAS
南朝の復活希望
54: 06/29(土)13:58 AAS
南北朝時代における南朝の姿を鮮やかに映し出す鏡として、『新葉和歌集』は貴重な史料として注目されています。勅撰和歌集とは異なり、南朝皇室や公家を中心とした歌人たちの歌を収録しており、戦乱の世を生き抜いた人々の心情や思想、文化を直接窺い知ることができます。
和歌の内容からは、南朝独自の政治組織や制度、地方との関係性を読み解くことも可能です。例えば、後村上天皇や宗良親王らの歌には、南朝朝廷の運営や理念に関するものが多く見られます。また、各地の守護や豪族との交流を詠んだ歌からは、南朝と地方との複雑な関係性が浮かび上がってきます。
55: 06/29(土)20:22 AAS
>>51
あちこちでAI、AIって書き込みすんなボケ
お前がやってるのは立派な荒らしだぞ
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