多利思比孤は任那人だった! (319レス)
1-

75: 04/19(金)20:17 AAS
 現代の日本人約3200人分のゲノム(全遺伝情報)の分析から、日本人の祖先は三つの系統に分けられる可能性が高いことが分かったと、理化学研究所などのチームが17日付の米科学誌に発表した。従来唱えられてきた「日本人の祖先は縄文人と弥生人の2系統」という仮説に疑問を投げかける内容。

 従来の説では、狩猟民族である縄文人と弥生時代に大陸から移住した渡来人が混血したとされる。一方で、日本人の祖先は3系統であると示唆する研究はこれまでもあったが、遺跡から出土した人骨のゲノムを解析しておりサンプルが少なかった。今回、現代人のゲノムで大規模な解析ができたことで「3系統説」がより確からしくなった。

 チームは、多くの人の血液や遺伝情報を集めて保存している組織「バイオバンク・ジャパン」のデータを活用。北海道、東北、関東、中部、関西、九州、沖縄の医療機関に登録された日本人約3200人分のゲノムの特徴を分析した。

 その結果、日本人の祖先は主に、沖縄に多い「縄文系」、関西に多く、古代中国の黄河周辺にいた漢民族に近い「関西系」、東北に多く、さまざまな要素が混ざっていて詳しい由来が分からない「東北系」の三つに分けられると分かった。

 縄文系の遺伝情報の割合は沖縄に次いで東北で多かった。一方、関西では最も低かった。
省3
76
(1): 05/01(水)21:47 AAS
多利思比孤たりしひこ 天 照彦てらすひこ
77: 05/08(水)23:42 AAS
てるひこか?
78: ころころ 05/10(金)10:24 AAS
天足彦国押人命
小野・和邇・大宅の祖
79
(1): 05/10(金)20:54 AAS
阿毎多利思比孤(天足彦)は天皇ではないと大和朝廷の史書にはっきり書いてあるわけだ
80
(2): 05/11(土)10:58 AAS
>>79 >>76 
多利思比孤が弁韓地名「上/下多利」>>1地名由来の男性名なら日本語に
助詞シはないからタリ・シ・ヒコでなくタリ・ヒコとされるはずだが?
81
(1): 05/13(月)10:43 AAS
>>4
>類推するに・・・「任那を統治した」あるいは「任那に出自のある」という意味・・・・
三韓と往来交渉のあった神話時代4〜5世紀の景行・成務・仲哀の和風諡号中のタラシが仮に
任那出自由来としても任那が滅亡し統治・出自無縁の歴史時代7〜8世紀代舒明・皇極・元正の
下示和風諡号中のタラシも任那由来と「類推」するのかね?
------------------------------------------------------
12代景行天皇(大足彦忍代別/オオ・タラシ・ヒコオシロワケ)
13代成務天皇(稚足彦/ワカ・タラシ・ヒコ)
14代仲哀天皇(足仲彦/タラシ・ナカツヒコ)
・・・・・・・・・・・
省3
82
(2): 05/15(水)20:05 AAS
>>80
何を言いたいのかわからない
83: 警備員[Lv.9][新苗] 05/15(水)22:50 AAS
類推するに

足 = 朝鮮半島の地形のカタチ

に酷似
84
(3): 05/18(土)09:40 AAS
敦賀の古名の角鹿

諸蕃 任那 大市首 同国人都努賀阿羅斯止之後也
諸蕃 任那 辟田主 任那国主都奴加阿羅志等之後也
未定雑姓 三間名公 御麻奈国主牟留智王之後者…額有角人乗船泊于越国笥飯浦、遣人問曰、何国人也、対曰、意富加羅国王子、名都怒我阿羅斯等、亦阿利叱智干岐…

智干岐(チカムキ)

未定雑姓 近義首 新羅国主角折王之後者

ツノ・ツヌも半島に縁が深そう
85: 05/18(土)09:42 AAS
諸蕃 任那 辟田首 任那国主都奴加阿羅志等之後也
86: 05/18(土)23:08 AAS
>>82
磐余彦(神武天皇)・平城津彦・吉備津彦・能登比古・伊須流岐比古など古代神話時代の人名には
地名+ヒコが広くみられ多くはその地にその名前を冠して祀った神社がある。
弁韓地「上/下多利」なら多利思比孤でなくタリ・ヒコorタリ・ツ・ヒコとされる筈なので
多利思比孤(タリ・シ・ヒコ)は多利の地由来の名でない。即ち多利統治を任された>>1名などではない。
87: 05/18(土)23:08 AAS
>>82
磐余彦(神武天皇)・平城津彦・吉備津彦・能登比古・伊須流岐比古など古代神話時代の人名には
地名+ヒコが広くみられ多くはその地にその名前を冠して祀った神社がある。
弁韓地「上/下多利」なら多利思比孤でなくタリ・ヒコorタリ・ツ・ヒコとされる筈なので
多利思比孤(タリ・シ・ヒコ)は多利の地由来の名でない。即ち多利統治を任された>>1名などではない。
88: 05/19(日)05:32 AAS
>>84 >>71 〜 > >68
出典元を付記してもらえると正誤探索にありがたいのだが
原典は『新姓氏録』でよいのかな?
89: 05/19(日)10:05 AAS
です
新撰姓氏録
90: 05/19(日)13:41 AAS
>>84
都怒我阿羅斯等は敦賀市氣比神宮の境内社角鹿神社の御祭神だが
日本海沿海の久麻加夫都阿良加志比古神社(七尾市)の御祭神でもある。
神吾田津姫を祀る阿良須神社 (福知山市)も社地名と古伝から実の御祭神は
亦の名を阿利叱智干岐>>84とする都怒我阿羅斯等ではないか?
91
(1): 05/25(土)08:28 AAS
任されたってえかその場合だと勝手に宣伝してるだけだな
92
(3): 05/25(土)23:54 AAS
>>1
この文章、なんか変じゃない?

まず、「継体天皇、上多利(オコシタリ)、下多利(アロシタリ)を含む任那四県を百済に割譲」ってあるけど、これって本当なの?確かに『日本書紀』にはそう書いてあるんだけど、最近の歴史学の研究では、この記述は事実ではないって説が有力なんだよね。

そもそも、任那四県って場所自体がどこだったのか、実はよくわかっていないんだ。もしかしたら、多利という地名も、実際には存在しなかったかもしれないんだよ。

それに、多利思比孤って名前も、ちょっと怪しいよね。百済の官職名としては確かに存在するんだけど、任那の統治を任された皇族出身の地方官なんて、聞いたことないんだよ。

そして、第一回遣隋使が「倭国中央に無断で派遣された任那倭人による使節」ってのも、ちょっと考えにくい話だよね。だって、任那って、そもそも倭国の一部だったはずなのに、なぜわざわざ無断で遣隋使を派遣する必要があったんだろう?
省1
93
(1): 06/02(日)15:00 AAS
>>2 >>92
『隋書』倭国伝記事に拠れば倭王の派遣した第一回遣隋使>>92がAD600年に来朝して
伝えたのは「倭王姓阿毎、字多利思比孤、号阿輩鶏弥・・・」
3句目「阿輩鶏弥ト号ス」は大王(オホキミ)がアハケミと隋人に聞こえたか?
謁見席上で問われた使者が以下を奏上。
「倭王は天を以って兄と為し、日を以って弟と為す。天が未だ明けざる時に出でて
政を聴き、跏趺して坐す。日出ずれば、すなわち理務を停め、我が弟に委ねむ」
「兄」と言ったのは任那側の王などでなく「天」なんだが?
遣隋使の書簡>>2って何国の誰が何国の誰宛てに送った書簡のことで出典は何なんだよ?
94: 06/05(水)00:03 AAS
天て夜空(星座)?
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