[過去ログ] 天皇家って完全に韓国系だよね (535レス)
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(2): ネ トウ ヨ撲 滅隊 2023/06/20(火)12:20 AAS
倭国の古語で大王を「タラシヒコ」と言い、太子を「ヒツギノミコ」と呼んだ。
これだけでも韓半島の文化的影響が明らかである。いや明らかという以上に韓半島起源と言ってしまって良いだろう。

まず高句麗の始祖である朱蒙は衆解ともいう。この名前の末尾の「解」は「日」と音通しており、倭語の「ヒ」とも共通する。
後魏書には朱蒙を日子と記述しており、ここから朱蒙は「ヒコ」であった事が分かる。

この「解」は高句麗や新羅などの韓民族系の王の名の中に頻繁に登場する。
例えば新羅王の南解や脱解や奈解、高句麗王の解儒留や解朱留や解愛婁など、特に初期の王に「解」が多く用いられている事が分かるだろう。

上代の韓民族には太陽信仰があり、そのために王は太陽をその名に負ったものと考えられる。

この「ヒ」であるが、記紀に天孫とされる人物の名前にも多く見られる。
例えば物部の祖の邇芸速日(ニギハヤヒ)、神武の別名の稲飯(イナヒ)、出雲臣の祖の天之菩卑(アメノホヒ)、忌部の祖の天日鷲(アメノヒワシ)など数多くいる。
ちなみに欠史八代の開花の名はオオヒヒであり、大いなるヒの中のヒつまり諸王の王と解釈できる。これはオレが欠史八代にモデルとなった人物が居たのではと考える理由のひとつでもある。

ここから古代の韓半島には太陽信仰があり、日本人の首長が彦(ヒコ)や姫(ヒメ)を名乗ったのは韓半島の文化的影響と分かるであろう。
隋書に倭王はタラシヒコと記され、記紀でもタラシヒコを名に負った天皇が多く見られる。

記紀にある日継や日の御子などの称号から倭の大王はヒの王であった事が明らかであり、ここから日本の天皇という存在の起源性を韓国に求める事が可能なのである。
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