[過去ログ] 外来語でみる真の日本の歴史 (994レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
1
(1): アッシー [asitano81@yahoo.co.jp] 2020/02/18(火)14:26 AAS
日本語には多くの外来語語彙がみられます。
この外来語語彙を解明することで、日本の歴史の真の姿が浮かび上がってくるのです。その新しい日本発見の旅を楽しむことにしましょう。
2: 2020/02/18(火)14:52 AAS
日本語の語彙に牧(マキ)があり、これは馬を放牧する草地を指す。
この馬の放牧地としてのマキの語彙の意味はまったく不明だ。
どのような意味があるのだろうか。
そこで、外来語。

フィンランド語
maki(マキ) 丘

日本で馬を放牧する草地が多く丘陵に設けられたことを考えれば、
牧(マキ)の語彙はフィンランド語のmaki(マキ=丘)と関連していることが考えられるのだ。
フィンランド語は元々は中国遼河地方にいた種族の言葉なので、maki(マキ=丘)は遼河語由来とすることができる。
5世紀には日本は四条畷あたりで馬を飼うようになり、この時期に日本は高句麗に出兵して戦争をしたことから、
省8
3
(1): 2020/02/18(火)14:53 AAS
>>1
ガイジか?w
4: 2020/02/18(火)15:03 AAS
>>3
アホォォォォォ〜!
5
(3): 2020/02/18(火)15:27 AAS
【まき】馬(マー)+き(城)
    馬を収容するところという意味である
6: 2020/02/18(火)16:16 AAS
>>5
その馬城に牧の字を当てるわけない。
7: 2020/02/18(火)16:17 AAS
>>5
牧は、馬小屋じゃないんだからね。
8: 2020/02/18(火)16:33 AAS
またオヤジギャグスレか
9: 2020/02/18(火)17:28 AAS
>>5
牧を馬城と書く用例はみられんな。
つくり話だろ。
10: 2020/02/18(火)19:41 AAS
四条畷の讃良(ささら)地域で400年頃〜600年頃にわたって馬の飼育が行われた讃良の牧は生駒山地からの扇状地に設けられたが、
その牧の標高は海抜22m付近にある集落の周辺だそうだ。
つまり、海岸から見上げると生駒山の麓の丘の部分に当たる位置だ。
この付近の遺跡からは馬一体分の骨格や鞍、また馬の乳歯などが出土している。
乳歯は5世紀中頃のものだという。
5世紀初頭頃には日本は高句麗に出兵しており、時期からみてその直後には大王の政府により馬と飼育要員がこの地に来て、
政府直営の馬の飼育が始まったもののようだ。
集落からは百済や伽耶系の土器などが出ているそうだが、馬の飼育自体は高句麗系の者によって行われたのではないか。
なぜなら、中国の遼河を原郷とするフィンランド語のmaki(マキ)は丘を意味しており、馬が飼われた讃良地区はそうした丘陵部に当たり、
そしてその丘の土地が牧(まき)と呼ばれているのだから、それは偶然ではないということになるだろう。
11: 2020/02/18(火)21:04 AAS
痴呆老人のうわごと
12: 2020/02/18(火)21:35 AAS
牧(まき)は、遼河語のmaki(マキ=丘)由来だよ。
これ以外に牧(まき)の発音を説明できる語彙はない。
四条畷の讃良で馬を飼ったのは、高句麗出身の遼河人だったということだ。
これが歴史の真実よ。
わははははは。
13
(1): 2020/02/19(水)03:27 AAS

呉音 モク
漢音 ボク
訓読み まき まい
14: 2020/02/19(水)09:52 AAS
>>13で示唆されるように「牧」はもともとただの漢字の音読みなんだよ

小中学校の教科書にある「訓読み」でそれを執筆している連中や漢文学者など
誰一人やまとことばだとはみなしていない漢字は他にも多い

馬(うま)とか匹(ひき)とかね
15: 2020/02/19(水)12:53 AAS
牧(ボク)は、馬を飼うという意味。
これを馬を飼う場所の意のマキの音に当てているので、
古代の日本では牧(ボク)の字は馬を飼う所の意味に用いていることになる。
16: 2020/02/20(木)17:21 AAS
高句麗が馬を用いた機動力に優れていたことが百済を圧迫した理由の一つだが、
その高句麗に馬を供給していたのは女真族だそうだ。
女真族はモンゴル族と隣り合わせに居住していて、馬の飼育に長けていたということだろう。
この女真族には遼河人が紛れ込んでいたようであるから、
遼河語の丘を意味するmaki(マキ)の語彙は女真族にも伝播していた可能性がある。
5世紀中頃に四条畷で馬を飼っていたのは遼河人か、女真人かどちらかだろう。
17: 2020/02/20(木)19:34 AAS
四条畷の蔀屋北遺跡では、馬の飼育が始まるのは5世紀中頃からだという。
その後、6世紀末までにこの地への入植民の変化が複数次みられるものの、当初から一貫して特定の集団が指導的立場を維持しているそうだ。
馬を飼う技術などはこの集団が保持していたようで、6世紀末頃には在地豪族へと成長発展することになるという。
6世紀初頭頃のこの集団のリーダーは河内馬飼荒籠だと目されている。
継体天皇の諜報機関的な役割を果たしたという。
18: あげ [age] 2020/02/20(木)22:01 AAS
tes
スレチかも? ですが、age 進行って良いよね?
19: 2020/02/20(木)22:12 AAS
女真族などツングース諸族では、結婚式で花嫁が婿の家に入るときに火を跨いだり、両脇の松明の間を潜る風習があるが、
この火を跨いだり、松明の間を潜る習俗は日本でも関東や長野に集中してみられ、また北部九州でもみられるという研究があるそうだ。
そして、日本でのこの習俗の分布は諸国の牧や勅旨の牧の分布とぴったり重なるのだという。
つまり、日本で馬を飼う牧(マキ)を直接運営したのは畑作騎馬文化を持つ高句麗系の集団ではなかったかと指摘しているのだ。
北部九州にもこの習俗がみられるのは、高句麗系の馬飼い集団が渡来した際の入り口であったためと考えられている。
この研究に従えば、遼河語系の丘を意味するmaki(マキ)が女真族に流入し、
高句麗の馬軍団を維持したその女真族が5世紀中頃の倭の五王時代の政府によって渡来し、
そして日本に牧(マキ)の言葉をもたらした可能性が相当高くなってくる。
20: 2020/02/20(木)23:11 AAS
満州の倭人と高句麗人が混血したわけだな
1-
あと 974 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.276s*