[過去ログ] 天皇の日本史 (678レス)
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(8): 2013/11/17(日)16:21 AAS
日本の天皇というのは独特なもので、いわゆる万世一系ですが、
長い歴史のあいだには、いつそのまま亡びても不思議はないほどの
危機を何度も経験しています。
天皇の地位が力で奪えるものであったなら、藤原氏、源頼朝、北条泰時、
織田信長、豊臣秀吉、その他日本史の上にあらわれた実力者たちが、
いつでも天皇に代わることができたでしょう。
しかし実際には二千年近くのあいだ一度もそんなことは起こらなかった。
これは日本の不思議であり、日本史の不思議です。
ヨーロッパだったら王を倒した者はそのまま王になる。
そのため近世のはじめまでは血腥い戦争の連続だった。
省3
2: 2013/11/17(日)16:25 AAS
安康、崇峻、用明、孝明、睦仁(大室寅之祐の入れ替わりで殺害されている)
天皇は案外殺されている、天皇家の歴史は醜い権力争いの血まみれの歴史
3: 2013/11/17(日)16:43 AAS
大室信者ってまだ絶滅してないのか
4: 2013/11/17(日)16:44 AAS
5世紀までは将来天皇家になる資格のある王のようなものが日本の各地にいて、
6世紀になるとはっきりといまの天皇家が超越的な姿をあらわしてくる。
天皇でいえば継体天皇ぐらいからだろ。
しかしこの時代はまだ内乱続きだから天皇権が安定したというわけではない。
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(5): 2013/11/17(日)17:01 AAS
6世紀の半ばごろから仏教が入ってきてるが、これを受け入れるのは天皇家としては
かなりの決断だったと思うな。
天皇というのはもちろん政治的権威だけれども、それ以上にまず宗教的権威、
要するに神主の親玉でしょ。
大昔はとくにそうだったと思う。
そういう人が異国の宗教を許すというのは自分の価値の根本的な転換だからな。
今上陛下がクリスチャンになるよりもっとたいへんなことだったろうと思う。
まあ、今上陛下がクリスチャンになることはないけど。
6
(1): 2013/11/17(日)17:28 AAS
だからすぐには受け入れていないよ。
「元興寺縁起」という説話によると、仏教はだいたい530年代ごろに、
百済の王室から日本の王室に伝えられたが、日本の王室はしばらく受け入れないで、
590年ごろやっと受け入れられた、となっている。
とすると半世紀くらいは公認されないわけだ。
もちろんこれは伝説(縁起)だから1つの手がかりに過ぎないわけだが、
はじめ、蘇我稲目が仏教を入れようとする。
ところが欽明天皇も敏達天皇も日本としては公認できないといって拒絶する。
そこで稲目はプライベートに信仰するわけだ。
ところが稲目の息子、馬子の代になると蘇我氏も勢力が大きくなったから、
省5
7: 2013/11/17(日)17:37 AAS
朝鮮を調べてみても、たとえば新羅の説話によると、はじめは仏教が迫害され、
法興王という人が出てきてはじめて公認された、ということが述べられてある。
そこでも抵抗はあったに違いない。
8
(1): 2013/11/17(日)17:50 AAS
蘇我氏が宗教的な存在としても邪魔であった天皇を倒さずに立てていたのか、
ということが理解できない。
馬子は公然と政治的な対立から崇峻天皇を暗殺しているぐらいだからな。
そこまでやった男がどうして自分で天皇にならず、推古天皇を立てたのか説明できない
9
(7): 2013/11/17(日)18:08 AAS
天皇一族は渡来人であり、日本列島にいた原住民を制圧して一つにまとめた。
神道は西洋宗教を日本列島に持ち込んだ渡来人(天皇一族)が、
原住民の自然崇拝とドッキングして作り上げていった神学体系ということになる。

徐福 : ユダヤ教の儀式と風習、旧約聖書を日本列島に持ち込んだ。

秦氏 : 原始キリスト教(ミトラ教の一派)と新約聖書を日本列島に持ち込んだ。

蘇我氏: ミトラ教の中でも東洋グノーシス主義の流れを汲む仏教を輸入

原始キリスト教とグノーシスの流れを汲む仏教は本質の部分(ミトラ教)では共通する。
カトリックやプロテスタントは頑なに認めないが、
イエスキリストはエッセネ派(ミトラ教の一派)に属してグノーシス主義者だった。
今のキリスト教はイエスの思想からかけ離れたミトラ教の模倣に過ぎない。
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(1): 2013/11/17(日)18:24 AAS
587年に物部守屋が蘇我馬子と争って、馬子に滅ぼされる。
これは天皇家としては危機になりえたんだろうけどな。
天皇の軍事指揮官であり、祭祀的な天皇の機能にもつながる一面をもった、
それ故に仏教にも反対していた物部氏が、自分の目の前で倒されてしまったんだからな。
ほんとうなら、天皇にとっては右手をもぎとられたのも同じだ。
ところが蘇我氏もそのころには天皇家と外戚関係を結んでいる。
聖徳太子でも誰でも、そのころの皇太子はみんな広い意味で蘇我氏一族なんだから、
皇室全体としてはどうということはない。
そのへんが、天皇家のしたたかさの最初の証明だったといえる。
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(1): 2013/11/17(日)18:41 AAS
要するにそのころになると日本の国としてもそろそろ仏教が必要になってきた。
東アジアの情勢をみると日本はいつまでもまとまりのない国のままではいられない。
東アジアのどの国もがそうであるように、中央集権国家を成立させなければ
これらの国からの脅威をまぬがれない。
しかし、それぞれの部族がそれぞれの神様を持っているようでは、
中央からの威令は行われないから、この際、部族信仰を超えた普遍宗教である仏教を興隆させることにしよう。
こういうきわめて政治的な理由で、仏教の本格的な受け入れが始まったんだと思う。
これが聖徳太子の時代だ。
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(1): 2013/11/17(日)18:43 AAS
蘇我馬子 → 我蘇りし馬屋の御子

厩戸皇子 → 厩で生まれた御子

聖徳太子 → 聖人で徳の高い太陽の御子

冠位十二階 → 黄道十二星座、十二支族、十二使徒

聖徳太子の逸話(十人の声を聞き分けた)→失われた十支族をまとめる長、レビ族
省5
13: 2013/11/17(日)18:49 AAS
イエス本来の教え(イエス自身の思想)であるグノーシス主義を、
日本に広めるために仏教(東洋グノーシス主義の流れを汲む)を持ち込んだ。

イエスはユダヤ教の一派ではないし、
イエスの思想はローマカトリックが始めたキリスト教とも本質的に関係がない。

だから当時主流だったが後に異端として駆逐されるグノーシスの生き残りである、
東洋グノーシスを日本に持ち込んだ。
東洋グノーシスにはゾロアスター教、マニ教(やがて滅んだが)など様々な分派があったが、
日本には仏教として伝えられた。
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(1): 2013/11/17(日)18:57 AAS
儒教も当然入ってきている。
むしろ入ってきたのは仏教より儒教の方が早いんじゃね。
ただその入り方が、中国の学術文化と一緒にジワジワと浸透してきたために、
儒教だけをとり上げては論じにくい面がある。
この儒教もつきつめると天皇制とは相容れないんだよな。
天皇制というのは世襲でしょ。
儒教思想は帝王に徳がなければ世襲を許さないからな。
仏教のように具体的な抵抗の例をあげることはできないけど、
とにかく本質的には性が合わない。
そういうことはあったけど、聖徳太子の時代になると憲法にしても冠位にしても、
省2
15: 2013/11/17(日)19:10 AAS
聖徳太子の時代には仏教も儒教も国家をつくるための、
あるいは天皇の支配を高めるための手段にすぎなかった。
本質の相違はこの際問題にならなかった。
そういうことでしょ。
16: 2013/11/17(日)19:12 AAS
和を以って尊し・・・なんかは儒教的だな。

日本に入ってきた仏教は大乗仏教の方だから、
儒教の影響を受けていても何ら不思議ではないからね。
というか儒教と大乗仏教が同時に輸入されたと思える。

いずれにしろ神道や皇族の作り上げた宗教観というのは、
渡来人が日本列島に持ち込んでごちゃ混ぜにした宗教観ってことだ。
唯一、日本にオリジナリティがあるとすれば自然崇拝しかない・・・orz
自然崇拝は世界どの地域どの民族にも普遍的にありえた原始宗教の基本だからね。
アマテラスなんてのは日本オリジナルの神ではないwwあれは太陽神ミトラの成れの果て。
17: 2013/11/17(日)19:30 AAS
ところで太子と馬子との関係が興味深いな。
印象批評的ないい方するけど、馬子の方は政治的権力をにぎって実際政治をやっている。
太子はちょっと政治的中枢から離れて斑鳩宮に住んだりして、精神的権威として立っている。
そうすると馬子は覇道、太子は王道を行なっているわけで、二人は分業関係にあるような気がする。
そして太子の歩んだ道は、後世の天皇の道になるような気がする。
権力でなく権威で生きていくスタイル。
天智天皇とか天武天皇のような人は、日本史の中でも例外的な、中国皇帝に近い人だけどね。
そうすると、聖徳太子のあり方というのが、日本の天皇のあり方のモデルとして、
崇められたという一面もあるのかもしれない。
太子信仰というものもあったしな。
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(1): 2013/11/17(日)19:40 AAS
蘇我馬子 → 我蘇りし馬屋の御子

厩戸皇子 → 厩で生まれた御子

聖徳太子 → 聖人で徳の高い太陽の御子

冠位十二階 → 黄道十二星座、十二支族、十二使徒

聖徳太子の逸話(十人の声を聞き分けた)→失われた十支族をまとめる長、レビ族
省1
19: 2013/11/17(日)20:09 AAS
天智天皇という人は、天皇家にはめずらしいパーソナリティの人だな。
何か外国人の血でも入っているんじゃないかと思うぐらいに意志的で厳しい人だ。
まず蘇我馬子の子蝦夷とその子入鹿を退治した。
これは改新のために計画したクーデターだから論外だが、
この入鹿暗殺のときに味方した倉山田石川麿も後に邪魔になると処刑したし、
有馬皇子もかなり残酷に殺している。
目的のためには手段をえらばないところがある。
一方古代人にはめずらしい組織力があり、理智的判断も持ち合せている。
織田信長、豊臣秀吉の古代バージョンだな。
歴史の曲がり角には、こういうタイプの人が出てくるもんだ。
20: 2013/11/17(日)20:37 AAS
入鹿は父蝦夷以上に権力欲が旺盛で、人民を使って自分の生前の墓をつくったり、
天皇だけが使う陵の名でそれをよばせたり、従兄の古人大兄皇子の擁立をたくらんで
山背大兄王を殺したりして、皇極女帝をしのぐ勢いだったからな。
滅ぼさざるを得なかっただろうな。
これを亡ぼして、新しい体質の国をつくるよりほかにないと考えられたのだろうな。
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