[過去ログ] 究極の精神統一法を目指す【最強のMindfulness】 (44レス)
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31: 2020/11/13(金)01:27 ID:zp9dBuet(1/3) AAS
よく、他力、自力、という言葉があるが、本来、悟りの行としては
他力の行が正しい。

他力というのは「お任せ」のことで、別の言い方では「ありのまま」
ということになる。

たとえば、座禅は「他力」か「自力」かというと、もし、一生懸命集中して、
何かを得ようとしているのならば、それは「自力の行」ということになる。
しかし、本当の座禅というのは、自力で集中しようとするのではなく、
ただ座ってありのままにうち任せるだけだ。
雑念が湧こうが、足が痛かろうが、そういうのはただありのままで、本人はただ座るだけだ。
集中しようとか、心が乱れないようにしようとか、そういうものではない。
省22
32: 2020/11/13(金)01:51 ID:zp9dBuet(2/3) AAS
ある時親鸞が、疫病か災害かで苦しんでいる村を通りかかった時、
この村の苦しむ人々を救いたいと思う気持ちから、お経を何千部か読み上げようと
願を立てるようなことをした。
お経を読み上げることによって、苦しんでる人たちが仏の加護によって、
救われることを願ったわけだ。

ところが親鸞は、お経を読み始めてからすぐに、何を思ったのかお経を読むのを止め、
その場を立ち去ってしまった。

これはどういうことだろうか?

さて、阿弥陀様に全てをお任せしたはずの自分が、何をことさら、現状をああだこうだ
変えようとしようとするのか。
省19
33: 2020/11/13(金)02:21 ID:zp9dBuet(3/3) AAS
親鸞はおそらく、比叡山で理趣経を読んだんじゃないだろうか。
当時の比叡山に理趣経があったのではないかと推測するが・・・
実際はどうなんだろ。

後の親鸞の行動を見ていると、どうも理趣経を読んだとしか思えない。
当時の僧侶としては、肉食妻帯というのはよっぽどのことが無い限り出来ない。
親鸞は理趣経を読み、その内容を深く洞察して、本当の教えを見抜いたような気がする。

一方で、一休宗純は破戒僧と言われ、あえて慾にまみれた極端な生活をした。
これはもしかしたら、一休も理趣経を読んだか、あるいは噂を聞いたか、
その内容を曲解して、我慾のままに生きるという、誤った解釈を
してしまったのではないかと推測する。
省20
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